理解には至らない不可思議な「んー!」と、辻褄の合致して自分の思慮よりも更に上を見出だした「ほっほぉっ~!」には紙一重の瞬間と閃きが在るな。本来は其の唸りの後には不理解の言語が発せられるし、解ったような判っていない様な息出しの後には安堵の言語が続く筈であるが現代日本語では省略されている。広辞苑なんかでは、どのような解釈であろうか?更に「ほっほぉっ~!」も「ほーっ!」も一面小馬鹿にした様な表しもするなっ!若しくは、本来は判っていないのにとっくに知っていた様な、感心を装いながらも「ふ~ん、だからどうしたっ!」的な心理も含めていたり素直に受け取れない表現でもある。プライドだっ!此、かなり面倒で厄介な心理である。可愛がられない大きな要因でもある。今更聞けない年齢経験相応の知識なんかの場合に特に出現する訳だなっ!なんか出ないような抗生物質とか、予防薬とか、予防接種なんかはないモノかっ!そういうお客さんのカウンター鎮座は本当に辛い。
いよいよとは大袈裟だが、難題表現の「コーヒールンバ」の譜面起こしに期は熟し五線譜書き始めるがどうも音符が多くてごちゃごちゃと見辛い。たった二小節の断念だが、美しい譜面を書きたい訳で暫し思案。曲はルンバだから8ビートなのだが表記上では4分の2にすれば小節は倍に為るが見やすく美しく表現出来る。落とし穴であった。譜面が美しいとか見辛いとか汚いとかは、演奏に其れ程関係はないと思うが、譜面上で記録としても表現する以上は芸術的でありたい。思うが「書」なんかで、到底読めない筆字が掛軸や額装されたりしているが、読めないんだけど美しいという事は多々在る。美術館なんかで嵯峨天皇や空海の書をガラス越しに眺め「んー!」とか「ほっほぉっ~」なんてつぶやいている解ったような判っていない様なご仁をよく見掛けるが、あれは読めてない。だけど、字とか余白とかのバランスに立ち止まり「ん~!」なんだなっ!で、解説の立て札を読んで「ほっほぉっ~!」だ。権威に降参している。オイラだってあの「美の壺」の画面表示の書、決して上手
いとは思えないが、紫舟さんが筆を執ったと思うから「ほっほぉっ~!」な訳である。
いとは思えないが、紫舟さんが筆を執ったと思うから「ほっほぉっ~!」な訳である。
昨夜は暇ながら、二年程前からちょくちょく来てくれている県議会議員のご夫婦。政治の裏話やら支持者達との裏話なで、話はプロだから聞き入る。で、持ち物がご夫婦共にちょっと輝。昨夜は入る也、靴に目が行く。高いっ!奥さんのも先生のもドイツの「メフィスト」で買えば三万円以上のウォーキングシューズである。見た目は議員夫婦だから地味なのだが内容は吟味して身に付けている。奥さん、ゴブラン柄のコートを脱ぐミンクのベスト「イタリア製」だっ!笑い話だが、五年前に購入したらしいが半信半疑で来ているらしい。裏表示にテトロンとかナイロンとか横文字で書いてありミンクの事は書いていないので「やられたっ!」と思っていたらしい。拝見すると、縁取りは鞣し革、洋服の裏地が化繊は滑りの為に常である。毛皮を掻き分けるとうぶ毛も綺麗に揃い芯毛を立て起こしている。本物だっ!間違いないっ!天地天命に誓い間違いなくミンクである。オイラ達夫婦も、景気の良い時代にお揃いで悩んで購入し疑った事があり見分け・目利きは慎重である。其の時の先生の顔・
目付きは安堵と驚きで点に為っていた。品の佳いご夫婦である。
目付きは安堵と驚きで点に為っていた。品の佳いご夫婦である。
「小指の思い出」で気付いたが、子供の頃は小指は何の為に在るのか?と疑問に思っていた。部活をやるように為って、サッカー等の様に手を使えないスポーツでもバランスを取るのに重要だなっ!と感じ始めたがマサか、フラメンコには大切だとは思いもよらず、クラシコでずっと続けていても小指は使わない。フラメンコギターに限る指使いな訳である。一つ音を多く出せるだけなのだが、フラメンコ特有の掻き回し奏法「本来はちゃんとした呼び名がある」こそがフラメンコらしさで、其処に多用する訳である。此、ギター弾きの立ち会いに為ったら他のギター弾きは大概黙る。唖然である。弾けるだけに、凄さが理解出来るンだなっ!今、編曲中の「オーソレミーオ」でも音を伸ばし歌い上げるフレーズでもフラメンコの掻き回しは有効であるが、譜面起こしが大変なのと、譜面を起こしても誰それが弾ける技術でもないのが残念である。
お互い腕試しに至るかと感じてはいたが、立ち会いで終わる。一方はまぁまぁ弾ける女性でキャリアは10年程であろうか、片方は未々キャリアは一年程の男性であるから指先凝視緊張立ち会いで終わる。双方は、訳在って食事に来るわけで、お互いそれぞれが別々な教授を受けているのだが中々に開けないで歯がゆいらしい。ギターと謂えども両手の指先の運動だから型やコツというモノがある。しかし、先生達は其のコツを教えてしまったら何にも為らないから教えない。其の解決を求めているのは判る。だが、プライドが在るのか?先生を差し置いて他人に教えを乞うのが嫌なのか?オイラの目の前に居ながら尋ねないで毎回帰る。オイラも聞かれもしないお節介も何だから、直すのが大変な癖を見出だしながらもそれぞれの演奏を聴いている訳である。気の毒だが、大壁に行き詰まるのは目に見えている。でも、彼等には支持者が居て月謝も納めている訳だから仕方ない。あれ、何故聞けないのだろう?ちょっと尋ねて手解き受ければ解決するのに。手解きだから習う訳でも頭を下げて
教わる訳でも無いのに不思議な心理である。
教わる訳でも無いのに不思議な心理である。
昨夜は、久しぶりのギター弾き二組が出会う。勝負は無かったが、やはり牽制しあっていた。其の中間のテーブルにはオイラのオーソレミーオの譜面起こし最中の書きなぐり。片方がギター持ち込みだからどうしても、もう片方はギターに目が行く。お互い指先を凝視する。此の作法は、ギター弾きならではのお作法であるが、特にギター専門の楽器屋などでは挨拶代わりに指先凝視のお手並み拝見から右指先の爪の手入れの捌き拝観、そしてここで右指小指の爪の始末で裁きは下る。ギターは、右指で弦を弾いて音にする為に右指の爪は伸ばし綺麗に整えるが常である。此、ギター用の実用爪捌きであって、決してネイルアートではない。で、左指先は弦を押さえる為に深爪気味に切り整える。ギター弾きならではの常である。更に、右指小指の爪だ。此れを伸ばし整えているギター弾きはフラメンコ弾きである。一目置かれる。というのも、フラメンコギターの世界はクラシコとは別物でかなりの腕前のクラシコ弾きでも圧倒的なフラメンコ奏法には口をつぐむ。昨夜は、というギター弾き出会
いの場緊張牽制の幕開けだった。
いの場緊張牽制の幕開けだった。
又、弟は建築家なので創るのは得意である。更に、職業柄あちこちの飲食店も観ているからテーブルコーディネートに使用する様々な品々を創る事が可能だから百人力だなっ!実際は、製作者と感覚家との意見の相違は沢山在るだろうが、善かれと解釈したモノ造り、モノ産みに度重なる切磋琢磨は大事である。残念ながら、オイラの夫婦の趣味はそれぞれなので立ち入る事も無いのである。が、店のメニューや月一発行のかわら版には嫁さんの習字の腕前を奮って貰う。何れは、落款をプレゼントしたいモンである。
弟から入場券を戴く。2月3日の東京ドームでの弟の嫁さんの展示会である。テーブルアートつまりテーブルコーディネートの全国展示会である。道程は、先日に神田に勤めるお客さんから聞いた。尚且つ、水道橋から有楽町までの道程も聞いた。展示会の帰りに中古カメラの聖地「銀座」へ立ち寄りたい訳である。その日は、忙しいよー!朝一で歯医者へ行き、京急で乗り継いで水道橋の東京ドームでの展示会、そして聖地「銀座」での見学会と目白押しである。が、テーブルアートの展示会は弟の嫁さんの出展だし、オイラの商売の新鮮な知識見聞も在り是非に行きたいと思っていた。入場券1700円券も弟が三枚もくれて親父と行く事に為った。以前も書いたが、弟の嫁さんつまり義妹は室内装飾の達人である。お金も掛けたが、先ずはセンスが無ければ只の収集家である。其のセンスが骨董収集に拍車を掛け雑誌の表紙を飾るまでに為った。ひょっとしたら世に出るかも知れないので一族掛けての応援である。オイラの嫁さんは、其の日は趣味のヨガの当番なので行けなく残念がってい
る。妹は、テーブルアートばかりでなく料理も上手で、其の腕前を収集した骨董食器に載せてテーブルを飾るのも得意である。
る。妹は、テーブルアートばかりでなく料理も上手で、其の腕前を収集した骨董食器に載せてテーブルを飾るのも得意である。
歯医者の後、高脂血症の減少を兼ねて叙情的古典派印画機械持込散歩術散歩術をやる。南区の丘を抜ける七つの切通の一つ岡村の切通を抜け磯子区へ、マック等の無い地域である。寂れた商店街が何通りかある古い町並みだが、哀れでどうしようもない。マア、それでも高脂血症散歩術が目的だからと三時間程歩く。お風呂屋の煙突も何本か見えるという事は下町の条件だなっ!又、リサイクルショップ拝見も楽しい。今日も年に一度程寄る店で見学、銀製なシャープペン「カランダッシュ」製3000円、同じく銀製のオイルライター「プリンス」製4600円。ウインドウから出して拝見させて頂くが「必要か否か?」がよぎる。「見せていただき有り難うございました」と礼を述べ再び散歩。帰宅後、やはり気になる。あのシャープペンとオイルライターの事である。オイルライターは実際使うかどうか?と言えば既に持つ銀製オイルライターは何年も机の中。シャープペンも実際は鉛筆主義だから使わない。思案の晩である。
二日連続の歯医者である。昨夜は病んだが、抗生物質と鎮痛剤のおかげでぐっすり眠れて助かった。今朝は朝一の診察にて痛みは和らぎ楽なのだが、診察台で意気なり膿を圧しだし始め痛みは爆発である。一月程前であろうか、店で主治医とオイラの友人が出会い会話。その後に友人があの歯医者を紹介してくれとの事にて電話番号を伝える。今朝、待合室で友人と出会う。こういう切っ掛けも在るもんだなっ!と、つくづく感慨に浸った次第である。さて、出会いついでにお茶でも飲みたいモンであるが彼は此の後は仕事らしい。それでも、このまま挨拶無しの別れもなんだから外で彼の診察を待っている。