へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2007-07-27 08:32:32 | Weblog
無駄は、人生の中に無い。とは言うけれど、でも有る。複雑に成りすぎた情報や音、絵画でも主題が解明出来ない程の線は省かれています。言葉も同じ、起承転結がしっかりしていれば伝わり安いです。善悪・良し悪し・必要か否かをじっくりと見極める目を養えば、複雑な絡み合いはほどけて整理が付く。溜め込んで整理していない情報、これ結構有る。情報は、大切だが整理し見極めていないと基付く判断に過ちが出ます。そんな大袈裟な事柄でなくも、前期の音造りなんかで随分と学びました。実際、複雑に成って自作が弾けないって有り得ます。

へんな洋食屋

2007-07-26 08:38:21 | Weblog
アルペジオー分散和音、オイラは音楽から学んだこと沢山有るなっー!ある曲を手掛ける時、まずメロディーを単音で拾う。そして、曲想にふさわしい和音を加えて楽曲にするが、段々と音が増えて複雑に成り、弾くのも困難、聞くのも困難になる。あれもこれもと天子盛りで元の素材が隠れてしまう、その時に分散和音を使い、和音を重音で出さずに一度分けてみる。すると、不要な音が発見出来て削除していく事でスッキリとします。で、譜面に起こすから譜面も美しい。でも、これって生活の全てにも活用出来ます。捨てる技術なんて言いますねっ!

へんな洋食屋

2007-07-26 08:37:10 | Weblog
音楽だって同じ、単音ではセイゼイ、音質や拍子しか表せないが、他の音を加える事で「和音」と成り、いわゆる「響」と変わる。それには、協和音と不協和音が有るが悠幻な音にもなる。しかも、和音は分散も可能で分散和音というが、つまりアルペジオです。結局、表現の幅が大きく広がる。だから、趣味だって職業だって「和音」を加えたり分散したりしてまとめる事で無限に世界が広がるんだなっ!専門を突き詰めながら補足の様々を続け加える事で無限に広がる。世に認められた学者馬鹿ならそれはそれで良いが、他への好奇心も大切ですなっ!

へんな洋食屋

2007-07-25 08:42:40 | Weblog
表紙を飾るの偉い訳でないが、それでもナカナカそういう機会に恵まれる事では無いからやはり相当な腕前である。その腕前に苦心と創意工夫・切磋琢磨・鋭い感性を見る。やはり、モノ造りではその作品に造り手の心意・技量が表れる。たまにしか会えないが、その「たまに」の進化・進歩には脱帽する事が多く、努力を重ねている姿が浮かび、オイラも益々意欲が湧き出る。相乗効果だっ!相乗効果と言えば、料理はその結晶ですなっ!一つの食材では、そのモノでしかないが、他の食材や調味料を加える事で何倍にも元の食材の良さを引き立てます。

へんな洋食屋

2007-07-25 08:42:23 | Weblog
昨日は、久しぶりに兄弟に会い暫し会話。会いと言ってもオイラの方から相談を持ちかけたんですが、立場の異なる兄弟が直ぐに来てくれたことに安心感と血縁の尊さを覚えた。今では、五才離れた弟も、どっちが兄だか判らない程頼もしいっ!その弟も、どうしようもない趣味人で嫁さんも輪を架けた趣味人だ。オイラの趣味等とはスケールが違うし、職業自体もモノ造り屋だからチョット叶わない。イザとなれば相談する事の方が多く、直ぐに解決に結び付く。特に、嫁さんは大変な趣味人で、モノ造り系の相当なこだわり派、専門紙の表紙を飾る程。

へんな洋食屋

2007-07-24 08:24:48 | Weblog
そのお客さんも考えつつ続けているし、あれもこれもと様々なモノ造り趣味をやっている。だから、その様々が悩みの中で巧く融合しシンクロし一つの分野の作品に表れていました。それを、指摘したら「フッ切れて益々続けていきたい!」との返事。実際、モノ造り趣味の方達は常に頭を捻っているから、理解も早く、スランプからの立ち直りも早い。そして、建設的な心を持っているからモノ造り趣味人双方にとり談話は最高の励みになる。また、そう言った趣味人達はモノを観る角度や見所・観る目が繊細です。オイラにも大変勉強に成ります。

へんな洋食屋

2007-07-24 08:24:35 | Weblog
昨夜のお客さん、水彩画やステンドグラス等を幅広く趣味に持つ奥さんで、暫し趣味論。趣味論というと大袈裟ですが、大概始めは恐れ多くも少しづつ披露、続いてその努力の過程や製作感性の心意、最後には「これをやり続けて何に成る論」となる。まとめると「人生の証」に行き着きますが、動機や続けている理由、目的等は関係無くなる。だか、希に問われる「何に成る論」、これは一度言われるとずっーと引っ掛かる。自分の好き勝手と言えばそれ迄だが、それに答えを探しながら続ける様にも成る。オイラは、今現在では「人生の証」が答えだ。

へんな洋食屋

2007-07-23 08:24:24 | Weblog
でも、頑張って続けている姿・作品を見て「それが、何に成る?」と言う方も居る。開き直りで言えば、人生だって終れば形には残らない。ましてや、世に役立つ事を目的としない個人の趣味なんて、発明者・発見者・学者などの様に名を残すことも無い。だから、オイラは只ただ自分の今の為、自分の明日の為、未来の為に続けている。そして、たまに披露する。評価も受け、誉められる事も希には有って、チョットは人に感動を伝える事も出来る。「芸は、身を救う」とは、そう言う意味です。金銭で無く、感激の共有が自分をも励ますという意味だ。

へんな洋食屋

2007-07-23 08:24:13 | Weblog
そして、大事なのは評価と意見です。心有る方なら、こうしたらもっと良い。とか、個人的な意見をくれる。これ結構、次のステップに役立つ、厳しい評価でも冷静に受け止める当方の心次第で更成る発展に結ぶ。下手だった写真術も、そうやって鍛えられ今では少しは見せられる様に成った。ギターだって今では演奏を乞われる様に成った。そうした喜びを味わうと共に、励みになりより熱心に取り組める様に成った。その時、気付いたのは、完成品を評価されるのは辛い。しかし、途上の作品ならば対処が可能だから手直し・修正が効くという事です。

へんな洋食屋

2007-07-22 08:15:23 | Weblog
モノ造りだって、始めて出来上がった作品は下手であっても、なにしろ初作品だから棚の奥から出して眺めてみたら感慨は一潮だっ!だから、モノ造りも大事である。とにかく、その製作時代の自分の分身でもあるからだ。だが、モノ集めはチト異なる。入手の苦労はそれぞれ有るだろうが、その時代の自分の分身ではないし心技体でもない。オイラがつくづく幸せだなっ!と思うのは、職業も趣味もモノ造りであり、それぞれが関連し合い相乗効果を産むことです。だからと言って、商売が巧くお金が沢山産まれる訳ではないんだけど。目的違いだなっ!