多くの自治体議会議員の定数削減が花盛りだが、そもそも、何故定数削減なのか?
三田市では、「議員の活動が見えない。働いていないのではないか。○○議員はどうなのか?財政が厳しいというなら、議員定数を減らすべきではないか」などの意見が出ているのは確か。議員の中でも、「多くの自治体で減らしており、議員自ら身を削るのはやむを得ない。」「流れとなっているからやむを得ないのではないか」等々。
確かに、私自身、議員になる前は一部の議員の活動以外、ほとんどそれぞれの議員がどのような質問を議会でしているのか、市が発行する「市議会だより」をみても分からなかった。どの議員がどんな質問をしているのか、書いてないのである。
議員の中にはそれぞれ独自に活動ニュースを発行している人もいるが、全ての人のところには届けられていない。やはり各議会ごとに発行されている「市議会だより」は、最も手ごろに議員が議会でどんな質問をし、市民の声を実現しようとしているのか、また予算や条例に対して、どんな対応をしているのかを市民に明らかにするべきではないだろうか。それによって、有権者として議員を評価し、また判断できる。
議会改革で「市民に見える議会」の初歩が市議会だよりを分かりやすくすることではないだろうか。ところが、議員の中には、「議会での質問」をパーフォーマンスとみて、議員の質問内容と議員名を「市議会だより」に明示することは問題があると言っている者もいる。
議会での質問は市民の声や要望、行政の問題点を質す大切な本質であり、市民の代表者として全く当然すぎる義務でありまたその責任を果たすことである。それをパーフォーマンスとしか見れないとは、何のために議会があり、議員がいるのかの意味すら理解できていないのではないだろうか。
市政運営で市長と、その市長の進めようとする内容が、市民にとって相応しいものであるのか、しっかりとチェックし、調査もするのが議会の役割である。その仕事をするのが議員である。だれしもが毎回の議会や委員会の傍聴をできるわけでもない。だからこそ、分かりやすく公開すべきと思う。
議会で質問するために、どれほどの労力を割いて調査をしなければならないのか。1つの質問で僅か10分であっても、その質問をするために何十倍もの時間を使って現地調査や行政への調査、法令や過去の事例など、様々な下調べなどが必要であり、単なるパーフォーマンスでできるものではない。それどころか、声に出して言えない多くの人の、または、たとえ一人の人の声であっても、しっかりと胸に受け止めて、必死の思いで質問に立つのである。