久しぶりに参加した「同和研修会」には30数名の方が集まっておられた。区長の挨拶で始まり、DVDドラマ「風かよう道」を観た。内容は、「古い因習にとらわれている主婦とその家族を通じて、六曜(友引・大安・仏滅・・・など)、占い、などが差別意識を形成する土壌となっていることを提起し、人権・問題を学習する」というもの。この研修会には三田市から3名の職員がコーディネイター役(?)として出席されていた。
DVDを観終わり、3つのグループに分かれてそれぞれが意見・感想を述べるスタイルで進められた。ところが三田市の意図したこととはどうも違った意見が次々と出された。「迷信やうらないと差別(同和問題)とどう結びつくのかわからない」などの意見や、「他人を尊重し思いやる心が大切であり、六曜など迷信などは、それぞれの人が他人に押し付けなければ個人がそれをどう思うかなどは自由である」などの意見が出された。
「結婚と差別」問題についても、参加者は「これまで自分は経験したことがなかった」「高齢者の間では一部その考えが残っていることも事実だが、自分たちや若い世代では、男女それぞれの考えを大切にしており、差別問題などは起こっていない」などの意見が次々出された。
研修会の最後に市職員が「まとめ」の発言をされたが、なんとも奇妙なものだった。「まとめ」は会場で出された意見を集約したものでなければならないのに、全く反映されず、研修会が始まる前から用意されたものを発表されたなど、ちぐはぐな「まとめ」となった。
会場から出された意見で、「地区がどこだということを、わざわざ皆に知らせなくていいのではないか」(寝た子を起こさなくてよい)との声には、「寝た子を正しく起こすことが大切」と行政の答え。行政の考えを無理やり押し付けようとした発言には、何人かの参加者から「まとめになっていない」のではないかなどの声が出された。
ひとり一人を尊重し、ひとり一人の違いを認め合うことこそ大切ではないか。参加者からの発言にもあったように、「他の人の立場に立って物を言う(大変難しいことではあるが)」ことで、そのひとが心の中に一部の差別意識を持っていたとしても、他者に心配りをする努力をされていること自体が大切であって、差別意識を持っていること自体でその人を非難したり、排除することの方が問題ではないか。(このことを持って、『内心の自由』とまで言うつもりではない。)