9月定例議会も終わり、もう来週からは11月になろうとしているのに、9月議会・前年度の決算委員会の内容など、ニュースの原稿書きを早く終え、12月議会の準備をしなければならない。しかし、PCに向かうも一向にキーボードをたたく指が動かない。(かつてなら、「筆が進まない」とでもいうのか)
この間、生活相談、宣伝、会議など、次々と入ってくるものの、原稿書きだけが進まない。
今月25日から、所属する常任委員会が変更になり、「生活文教常任委員会」に所属することになった。福祉関係、市民のコミュニティーに関すること、教育に関することを担当する委員会である。その事務概要の説明会が、今日行われ、課題も示された。急いで関係部署の理解をしなければいけない。
所属の事務概要説明会が午後3時から行われ、1時間ほどで終了。その後5時からはJR三田駅ペデストリアンデッキ(駅からキッピーモールに通じる通路・広場)で、オレンジリボン点灯式が行われた。
市長・議長の挨拶の後、オレンジリボンが点灯された。悲しい児童虐待など、虐待する側も、される側も深い心の傷となって生涯残ってしまう。
キャンペーンだけに終わらず、原因となるその根源を明らかにし、大本からの治療が今こそ必要と考える。結果やその行為を批判するのではなく、多くが、経済的貧困、心の貧困が基になっている。ある意味で、誰しもが陥る危険性が潜んでいる。
今日の事務概要の中で、教育について、「指導目標」などの資料が配られ、これから目を通すことになるが、今の日本の教育は「本来の教育」に値するものだろか?数値で評価され、比較される。協力すること、助け合うこと、自己表明、自己決定等々、生きていくことの基本がどこかに置き忘れているように思えてならない。
先日NHKテレビで「デンマークの森の中の保育園」が紹介されていた。就学するまで、そこでは一切文字・言葉教育はなされず、1日を森の中で過ごす。1日の時間を子ども自身に任せ、ケンカも全て子ども自身が子どもの中で解決していく。自然の中で、動物・植物との触れ合いを通して命の大切さ(動物を殺して人間の食にすること、動物自身の生活があること等)を自然に学ぶ。
午後5時には父親も帰宅しており、子どもから1日の出来事や話を父親は真剣に、じっくり聞く。夕食は家族そろっていただく。
これができるためには、親の労働の在り方も含め、家族・社会が一体になった「人間の生活」を確立しなければ「教育」は成り立たない。子どもと十分に接することができない学校教育。「風呂敷残業」していては、教員自身が家庭で親子関係ができるはずもない。
テストの成績が他府県と比べてどうだったか、などそれが教育だろうか?そんなことを続けていて、本当の教育ができるのだろうか?「親の教育が大切」だと、教育委員会の場で話されているが、そんな親が子どもの頃の教育はどうだったろうか?これまでの教育の結果が今になって表れている。さらに、働く現場では、効率優先、人を人として扱わない働かせ方がはびこり、富を独占するものに協力できない者をどんどん切り捨てている。
一方でこの現実を放置、もしくは更に進めようとしていては、とても子どもの虐待は減りはしないだろう。じっくりと「人間の生活」を考えていこう!