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日本にあるアメリカ軍基地・専用施設の74%が密集する沖縄。5年前、新型輸送機「オスプレイ」着陸帯建設に反対し座り込んだ東村(ひがしそん)・高江の住民を国は「通行妨害」で訴えた。反対運動を委縮させるSLAPP裁判だ。[※1]わがもの顔で飛び回る米軍のヘリ。自分たちは「標的」なのかと憤る住民たちに、かつてベトナム戦争時に造られたベトナム村[※2]の記憶がよみがえる。10万人が結集した県民大会の直後、日本政府は電話一本で県に「オスプレイ」配備を通達。そして、ついに沖縄の怒りが爆発した。
今日、地元でドキュメンタリー映画「標的の村」の一部が収録されたDVDの上映会をしました。
地域の方に見ていただき、その後に感想や意見を出し合いました。その中で「沖縄の人が可哀想」、「特別な目的をもって恣意的な映画」(表現は違っていますが、意味としてはこの内容)の感想が出されました。
純粋な気持ちとして「可哀想」と思うことは大切なことと思います。思いをはせ、何とかならないのかの意味も含まれています。しかし、一方で自分は当事者(もちろん当事者ではないのですが)でなく、安全な場所にいて自分はそのような立場には立たないだろうという安心感がどこかにあるのではないでしょうか?
また、「恣意的な内容の映画」と見ることは、決してそう思うことが悪いのではなく、むしろ批判的に物事を見るという、大切なことだと思います。物事をストレートに受け入れるのではなく、批判的に見て判断することが人間にしかできないことであり、それが社会を発展させる重要な要素となっています。
以上のような受け止めは、ある意味でやむを得ないことといえるでしょう。実は、こうした映像や「叫び」をたとえそれがドキュメンタリーであったとしても、初めて見る人にとっては、「にわかに信じられない」ということになります。
私たちは、本土にいて沖縄の実態を直接見聞きするわけでもなく、マスコミを通して日常的に知る状況ではありません。むしろそうした実態や実情をマスコミがあえて伝えていないことが本土の人を「無知」にしています。「知らないこと」がどれだけ人々の判断を誤らせることになっているのではないでしょうか?
参加者の一人が「沖縄から来た人がこの映画のことを語っていましたが、非常な重みをもって私は受け止めました」と話されていました。
真実を知ることと合わせ、マスコミがどれだけ真実を伝えようとしているかが大切であることが、今日の映画会からも見えてきました。
ましてや、権力を持った為政者が国民へ「うそ」「ごまかし」で説明をして判断を誤らせるならば、国の破壊へとなってくることは、これまでの日本と世界の歴史が証明しています。
この為政者による「うそ」と「ごまかし」を暴き、真実を伝える大切な役割を果たせるようにマスコミは努力をしていただきたいと思うと同時に、そこに権力が介入することの危険がすでに行われてきていることに警鐘を鳴らさねばなりません。