月曜日午後3時からの常任委員会に出席終了したのが4時40分ころ。議員控室へもどり、多少自分の机の上を整理(と言っても机が見えない・・・いつものこと)したつもりで、JR三田駅に向かう。明日(8月23日午前9時から)の「第9回 全国地方議員交流会」に出席のため、東京へ行くためである。本来なら月曜日朝出かけ、当日午後からの、佐藤栄佐久・前福島県知事の講演「ふくしま原発と地方自治」を聞くつもりであったが、所属の常任委員会が同じ日の午後に開催されることになり、講演参加を断念。翌日の分科会のみの参加となった。
全体の日程では8月24日に福島県浜通りの視察があったが、この日は私の所属する「三田市健康福祉審議会」が開催され出席のため、視察参加を諦めた。(これには中田はつ美議員が参加)
今日は5つの分科会が開催された。
第1分科会: 被災地の復旧・復興と支援のあり方
第2分科会: 悪化する地域経済と住民生活
第3分科会: 原発震災からエネルギー政策の転換を
第4分科会: 社会保障と税の一体改革で地方はどうなる
第5分科会: TPPで日本はどこへ向かうのか
私はこの内、第3分科会に出席した。50数名の参加。顔ぶれは多彩。自民党・民主党・社民党・共産党・無所属など、またこれまで原発を推進する立場にいたと自己紹介された議員も含め、実に様々な立場の議員の集まりであった。
初めての参加で、どのような分科会になるのかと期待していたが、お互いの考えやこれまでの取り組みなどを自由に発言し、また発言に対する反対意見なども自由に出し合うといった、正に地方議員の意見交換会のような分科会となった。私もこの場で3回ほど発言し座長のまとめ発言に取り入れられた。
金沢市議会の森 一敏氏が座長を務め、会をリードしてくださった。
日本赤十字長崎原爆病院で12年間働き、その後24年間長崎市会議員として活躍された中村すみ代氏から「放置された原爆被爆者と日本における原発開発・推進の流れ」と題して約40分の報告。歴史的背景から見るアメリカによる原爆製造開始(1949年:マンハッタンプロジェクト)から、広島・長崎に原爆投下、その後原爆被害の実態調査に日本人も参加できたものの、データは全てアメリカに持ち去られ、正に原爆の人体実験情報がアメリカに握られた。
1953年12月8日「Atoms for peace」(アイゼンハワー大統領の国連演説)で原子力の平和利用キャンペーンがはられた。(当時、広島に原発設置計画さえあった)1954年中曽根康弘(元総理)らによる2億3500万円の「原子炉に関する基礎調査・研究助成金」がつく。1956年には正力松太郎(アメリカCIA要員)を中心として「原子力委員会」が設置され、さらに読売新聞を使って現在に至る原子力推進の大きな世論誘導がなされた。
この10年間は被爆者にとって正に「空白の10年」と言われ、被爆者は国からも放置されたことと併せ、GHQにより報道管制がしかれ、原発の真の姿を告発しようとする言論が抑え込まれてしまった。
また、1956年8月には田川長崎市長がアメリカセントポール市に招かれたが、それを機に「浦上天主堂」が解体されてしまった。(現在のものは建て替えされたもの)
これら中村氏の報告でも明らかなように、戦後アメリカによる原子力開発が原発開発、日本での原発政策がアメリカによるコントロールが現在まで続いている。(現在でも核燃料の80%近くをアメリカから輸入)
この歴史的背景をしっかり押さえて今回の福島原発事故をみることの重要性を指摘された。この報告を踏まえ、各議員から活発な議論がなされた。
原発立地されている新潟県・上越市議会では約1カ月にわたる「原発事故」に係る議論がなされ、「原子力発電所の段階的縮小と再生可能エネルギーへの転換・促進を求める意見書」が採択された、その取組の報告がなされた。3月11日までとその後の町民の意識が大きく変わった。(2点)
その1つは、「原発と共存共栄」の考え ⇒ 「もし原発事故が起これば、明日は福島と同じ運命となる」へと大きな変化。2つ目は、防災ネットを決めるにあたって原発問題も入れ込んだが、その原発設置にあたって石川県と近隣の同意だけでよいのかという意識が生まれた。
私が最も印象を受けたのは、福島原発事故の起きた福島県県会議員・西丸武進氏の発言だった。「私のまちはゴーストタウンになってしまった。この先何十年も人々は故郷に帰ることができない。『放射能は怖い』と口で言うよりも、文書で書くよりも、福島の『現実』を見て『怖い』と知ってほしい。このままでは、『福島県』がゴーストタウンになるのではないか。日本列島そのものが地殻変動の上にあり、『自分の街は大丈夫』と言えるところは日本中にどこにもない。日本そのものが危険である。脱原発へ向け、個別具体的に進めていくことが大人たちの責務である。特に子どもたちを守ることは日本人としての使命だ。」
原発立地県の県議・市議からの党派を超えた脱原発の発言、原発立地の周辺都市の市議・町議からの発言も、脱原発が基本であり、その立場から原発をやめさせる国への意見書採択の大切さ、電力会社との安全協定等を締結することの意味、EPZ(防災対策の重点実施地域)の拡大を求めることの重要さなど、発言が出された。是非とも三田市議会でも単に脱原発政策に賛成・反対ではなく、共通認識に立てるよう、しっかり議論をしていきたい。知らないことで原発は安全だ、原発なくして経済が成り立たないなどの意見が出そうだが、その意見も受け止めながら、原発の危険性と命の大切さを基本とした政治を求めていきたい!