長谷川よしきのブログ

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介護の質 低下を招く: 介護保険法改定案 衆院厚労委で可決

2011年05月29日 | ブログ

 衆院厚生労働委員会で27日、介護保険法改定案の採決が行われ、民主・自民・公明・みんなの党などの賛成多数で可決されました。日本共産党と社民党は反対しました。(5月28日の「しんぶん赤旗」を紹介します)


 赤嶺政賢議員は、法案で創設される「介護予防・日常生活支援総合事業」は、「要支援」と認定された高齢者への保険給付を、人員・サービス内容・利用料などすべて市町村任せのサービスに置き換えるものだと指摘。質が担保されず、利用者の意思が尊重される保障もないと批判しました。

 介護職員が行える医療行為の範囲を法改定なしに省令で拡大する仕組みは、命にかかわる重大問題だと指摘し、医療体制の充実こそが必要だと訴えました。7年後までの介護療養病床廃止については、医療の必要な高齢者から医療・介護・生活の場を奪うものだとして撤回を要求しました。

 赤嶺氏は採決に先立つ質問で、法案には含まれていないものの厚労省が検討している(1)特養ホームの相部屋の室料負担増(月5000円程度)(2)低所得者の施設居住費・食費を軽減する補足給付の要件厳格化(家族の負担能力勘案)―について追及しました。

 「利用料を払えず特養ホームの待機者にすらなれないと悲鳴が上がっている。これ以上の負担増はやめるべきだ」と求めたのに対し、細川律夫厚労相は賛否両方の意見を踏まえて「今後検討する」と述べるにとどめました。

Dscn2010 乙原の氾濫する川

 台風の接近、停滞前線により、三田でも大雨となった。午後、心配になって農村部、市街地を車で巡回しながら状況確認をした。市内の主要な川は真茶色の濁流となっていた。乙原にある大根川では土手を超えて今にも畑や民家の倉庫に流れ込もうとしていた。

 いたるところで、雨と強風により道路には枝や木の葉が散乱していた。

 このところの自然現象が異常となってきており、今年は早くも台風が日本に大きな被害をもたらしている。災害を最小限に食い止めるため、災害に強い自治体にしていかねばならない。


議員辞職と市民のみなさまへのお詫び

2011年05月24日 | ブログ

 5月24日(火)の各紙新聞、しんぶん赤旗にて日本共産党三田市会議員の城谷恵治氏の辞職を報じていました。

 5月22日、釈放された日に、城谷議員本人と中田議員とで神戸電鉄有馬口駅(事件の場所)へ、謝罪に行きました。しかし、暴力をふるわれた職員の方は、非番で出勤されておらず、謝罪の意を伝え、翌23日再度二人で訪問しました。

 この日に暴行を受けた職員の方にお会いすることができ、謝罪することができました。その方からは、「暴行の相手が市会議員だったことを後になって知った。市民に模範を示すべき立場の人が、このような事件を起こしてはならず、残念。今後はしっかりと頑張ってほしい」旨、の言葉をいただいたとのこと。

 23日(月)阪神北地区委員会の西中委員長ともども本人は議会正副議長に会い、事実経過と議会・議員、市民の皆さんへの謝罪を伝えました。党中央委員会の判断、承認を得たこと、本人として辞職意思を伝えました。

 のような事件を起こしたことについて、「本人はもとより、日本共産党として『あるまじきこと』を市民の皆さんにお詫びするとともに、二度とこのようなことがないように努め、信頼回復に全力を尽くすこと」を西中委員長は表明しました。

 同僚議員としても、皆さんに謝罪いたします。同時に今後については、信頼回復、議員として市民の願い実現に全力で取り組んでまいります。本当に申し訳ありませんでした。


2つの総会に出席

2011年05月23日 | ブログ

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 5月22日(日)午前10時から上野台中学体育館で開催された「第27回上野台地区青少年健全育成連絡協議会総会」に出席した。

 主催者の挨拶に続いて、来賓のあいさつでは、「三田市議会として檜田議員が今回の城谷議員の不祥事で市民の皆さんにお詫びすると同時に市議会として襟を正して市民の信頼を取り戻す努力をする」旨、謝罪した。私は挨拶する立場でなかったが、心より皆さんにお詫びを述べたい心境だった。

 総会終了後、兵庫県生涯学習講師断講師の土居克己氏による「よい子を育み家族みんな幸せになろう」講演をお聞きした。

 「子どもの願いとその受容(承認)を上手にしてやろう」として、①自分の存在、②自分の能力や価値、③自分の役立ち(有用性)の3つを子どもは認めてほしいと願っていることや、子どもの健やかな成長のためには、①認める、②ほめることと併せ、安心感を持って成長できるように、「触れ合う」スキンシップの大切さをポイントとしてお話しいただいた。

 これらは、実は大人でも当てはまることであり、夫婦でも同じことが言えることを交えてのお話は、納得できるものであった。

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 午後2時からは、キッピーモール6階で、「三田革新懇、第5回定期総会」が開催され、出席した。

 初めに約1時間、沖縄の基地闘争のDVDを鑑賞し、沖縄の人たちによる本当に粘り強い「米軍基地建設反対」の戦いに深い感銘を覚えた。今生きている自分たちの利益でなく、先祖代々の土地を守り、孫子の代までの生活を考えた人間の底力を見せつけた闘いの記録であった。

 第2部の総会開始の冒頭で、政党支持の違いがあっても日本の・三田の革新のために会員となって総会に参加されておられる方々に、今回起きた城谷議員の不祥事の内容報告とその対応、謝罪の気持ちを同僚議員の立場から述べた。

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 総会では、代表世話人の永井和男医師の挨拶の中で、「原発の問題は何も解決していない」とのお話や、「住民の生存権を考える革新懇運動の重要性」のお話は納得できるものだった。

 弁護士の挨拶の中で、同僚の弁護士が今回の福島原発事故のマスコミ報道がまともになされていないことで、マスコミに問い合わせなどをしながら、自分でも研究し、出版準備をされているお話があった。


謝罪申し上げます: 城谷議員の不祥事で

2011年05月22日 | ブログ

 既に、各紙やテレビで報道されているように、日本共産党三田市議会議員の城谷恵治議員が、5月20日午後9時35分ころ、神鉄有馬口駅ホームにおいて駅員に暴行をしたこと、乗っていた電車の窓ガラスを割ったことなどで警察に逮捕されるという事件を起こした。

 本日5月22日、午後1時に釈放され自宅に戻った。事件後、本人には党として、また共産党議員団として初めて会い、本人の意向を確かめた。

 5月21日午前0時10分に新聞記者から電話連絡を受けた私は、本当に驚き。早速同僚議員や党の責任者と連絡を取った。21日午前中と夜に緊急の責任者会議を開いた。その間、弁護士とも連絡を取り、21日午後3時に家族と私は拘留されている東灘警察で弁護士に会い、弁護士の接見報告を受けた。

 その報告を受け当日夜の会議で報告をした。また、21日午後4時から緊急の三田市議会代表者会議が開催され、弁護士の接見内容の報告を中田議員を通して行った。

 事件の内容は、マスコミ報道の通りであり、本人も認めている。また、当然のことであるが、本人は関係者に対しての謝罪を表明している。

 今後の城谷議員としてのこと、ならびに党としての処分については、一両日中に公式発表を党として行うことを予定している。

 公式発表前ですが、今回の事件につては日本共産党三田市議会議員の同僚議員として、支持して下さっている皆さん、後援会の皆さん、そして全ての市民の皆さんに、心より謝罪申し上げます。

 議員として、あるまじき行為である以上に、日本共産党として厳に暴力を否定していることにも反する、正に反社会的行為です。

 今後、同僚議員として中田議員、私は全力で皆さんの信頼回復のため努めてまいります。どうか、今後ともご指導、叱咤激励をいただけますよう、お願い申しあげます。

 党としての公式見解が出ましたら、直ぐにご報告申し上げます。


「自立」のあり方には正解は無い

2011年05月20日 | ブログ

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 5月19日、午前10時から総合福祉保健センターにて「三田市肢体不自由児者の会総会」が開かれ、出席した。市長のほか、数人の議員の出席もあった。

 総会後、会の会員の娘さん(20代)である増金望美さんのお話を参加者全員で聞いた。

 増金さんは、成人するまで他人と比べることで落ち込んだりしていたのを「他人と比べるのをやめよう」と思った。そうすることで、自分は車いすを使っての生活であり、他の人は使わないで生活していることで、人間としていくることに違いのないことを自ら生きる道を切り開かれてきた。その裏には、「生徒を丸ごと受け入れてくれた先生の存在」が大きかったとのことだ。

 「何が何でも一人暮らしをする」という夢を実現したい。自分には下に2人の弟がいるが、自分より先に亡くなるであろう両親が亡くなった後、弟たちの世話にならなくても自立した生活ができるようになりたい。弟たちが、両親に代わって自分の世話をすることになれば、弟たちの人生を変えてしまうことになる。それは本意ではない。

 肉体的には20代になって老化が進んできていると感じているが、もっと自分でできることを増やしていきたい。

 施設入所を否定はしないが、自分としては、普通の家庭のような生き方をしたい。60歳になって、親しい友人たちと成人式で撮ったように「赤いちゃんちゃんこ」を来て写真を撮りたい。

 自立とは、それぞれの生き方があり、正解は無いと思うと述べられた。

 以上が、増金さんのお話の中で、特に私が感動した内容である。24歳の若さで、人間として生きることの「真理」「哲学」を自ら悟られた、すばらしいお話であった。

 増金望美さん、ありがとうございます。

3 増金さんの詩(総合福祉センターに掲示)