長谷川よしきのブログ

格差社会を無くし、誰もが幸せを実感できる社会を目指して!
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障害者福祉・介護保険等についてのパブリックコメント募集開始

2011年12月23日 | ブログ

 「三田市障害者福祉基本計画・障害福祉計画」(素案)および「三田市高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画」(素案)へのご意見を募集します (三田市HPより)

 http://www.city.sanda.lg.jp/fukushi_soumu/kenpukusin.html

 募集期間  2011年231222(木曜日)~2012年110(火曜日)到着分まで<o:p></o:p>

 このたび、平成24年度から28年度までの障害者福祉施策(障害福祉計画は平成24年度~26年度まで)および、平成24年度から26年度までの高齢者保健福祉施策・介護保険事業施策を総合的・計画的に推進するための計画素案がまとまりましたので、市民の皆さんのご意見を募集します。(三田市HPより)

 上記は、今月12月22日より始まった、次期障害者と高齢者に係る基本計画・事業計画などの「素案」に対する市民意見募集である。一人でも多くの方からのご意見を挙げていただきたいと思う。

 残念ながら、この「パブリックコメント」を三田市のホームページから見つけることは、大変困難。障害者福祉や高齢者福祉についての大事な基本計画や事業計画が決められようとしておりながら、市民の目につきにくい。三田市はわざわざ市民の目につきにくくしているはずはないと思うが、広報担当のHP作成責任ではないだろう。

 重要な案件については、市民の立場に立って(日頃より市長がよく口にしていること)分かりやすく市民が意見を述べやすくすることが必要ではないだろうか?実践が大切と思うがどうだろうか?

 先日の健康福祉審議会で、「障害者」の「障害」の表記を「障がい」にしてはどうだろうか?との市当局の提案があった。「障害」がわるくて「障がい」が良いということではなく、表現として統一していくためとの説明があったが、単にそれだけだろうか?審議会に委員として出席されていた複数の障害者からは、「平仮名にすることで、むしろ新たな差別が始まることを感じる」や、幹事のままで全く問題ないとの発言が相次ぐなど、小手先の変更でお茶を濁すようなことはすべきでない。

 私としては、介護保険に係る「認知症」がかつては、「痴呆症」と言われていたが、漢字をひらがなにしたのではなく、全く別の言葉に置き換えたように、新たな別の表現を考え出す時に来ているのではないかの旨発言した。平野委員からも別の言葉で表現することも一部でいわれ始めている旨の紹介があった。

 審議会としては、従来通り幹事表現とすることになった。

 高齢者部会と障害者部会とがそれぞれこれまで審議してきた内容の報告がそれぞれあったが、各部会で委員から指摘のあった問題点などの報告がなく、分かりにくいものとなっていた。そのためか、全大会での質問は低調であった。

 きれいな言葉が並べられているが、一つ一つの言葉の真意がどこにあるのかをしっかり見極め、また市に質問をしながらパブリックコメントに応じていただきたい。

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 12月23日は、午前8時から後援会の餅つき大会。注文をいただいた餅付きで180kgをつきあげた。2臼は、石臼と杵で本来の「もちつき」。約70名が楽しくつきたての餅や豚汁をお腹いっぱいいただいた。


「原発なくそう」集会・デモ

2011年12月18日 | ブログ

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2 いずれもメリケンパーク会場にて

 原発をなくし自然エネルギーを推進する 12・18兵庫県集会が、12月18日(日)午後2時から、神戸メリケンパークにて開催され参加した。

 午前10時30分にスタートした第23回三田国際マスターズマラソンのランナーを見送った後、申し訳ないと思いながらランナーのゴールを待たずに、集会会場をめざした。

 さまざまな労組や団体の参加者に混ざって私も顔見知りの人たちの集団へ合流した。主催者の挨拶や経過報告があった後、福島県からの2名の参加者のうち、浪江町で農業をなさっておられた方の話は、怒りと同時に涙なしに聞けなかった。

 16万人近い人が避難、子どもを含む7万人が県外へ、内567名が兵庫県へ避難している。自分も被災地を転々としたが、国や東電の原発に関連した人は、一晩でもいいから仮設住宅にとまってその実情を肌身で感じてほしい!浪江町は人一人いない。牛600頭、豚数10頭が残され、家畜や犬・猫の死骸が散乱している。一時帰宅が許され、自宅へ戻ったら畑も草ぼうぼうで、見るも無残な姿に変わり果てていた。首相は「原発事故収束宣言」をしたが、メルトダウンした原発は安全確認もできず、とても「収束宣言」とは程遠い。原発事故を風化させようとしているとしか思えない。原発事故でどれだけ多くの人が家族バラバラにさせられ、放射能に怯えて暮らしているかを首相は考えているのか。許せない!」  

  こんな話は怒りや涙なしでは聞けない。

 また、もう一人の方(兵庫県に避難)は、「飯館村に一時避難していたが、中々情報が入らず、避難指示も出されなかった。自分たちはこれまで『安全だ』と言われ続け、普通に暮らして原発には関心を持ってこなかった。しかし、原発事故で自分たちは被害者であると同時に、(関心を持ってこなかったことによる)原発加害者でもある。」 

 原発被害者にこんな言葉を言わせてはならない!確かに、原発のある生活を当たり前に受け入れ、生活をしてきたが、それは国と東電による「安全神話」を信じ込まされてきたことによるものであるから。

 若いお母さんの発言では、「この子が生まれてきて良かったといえる世の中にしていきたい」と、飾らない、素直な気持ちが伝わってきた。

 この集会で、「原発をなくす兵庫の会」結成が確認された。集会後、元町の大丸前まで長いデモ隊によるデモ行進となり、私も最後まで一緒に行動し思いを共にした。

以下は、午前に行われた三田でのマスターズ国際マラソン。参加申し込みをされたその人数は、4823名とのこと。

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スタートを待つ参加者とゲストランナーのエリック・ワイナイナさん(オリンピック2大会連続メダリスト)

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請願に対する態度

2011年12月16日 | ブログ

 今三田市議会に「東日本震災の復興支援策に関する請願書」が提出されている。

「三田の未来を守る会」の方々によるもので、14日の常任委員会で真剣に議論された。また、これに係る担当部局としての考えも表明された。

 阪神・淡路大震災では、周辺の自治体など多くの自治体や人々から多大な支援と励ましをいただき、被災された人々を励まし続けてきた。震災による発生したがれきは到底当該地域内だけでは処理できず、周辺自治体などによる受け入れをしていただいた。こういった、感謝の思いをしっかり持っているからこそ、東日本震災への支援について、「自分として何ができるのか」「自治体として可能な限り支援をしていただきたい」との思いで、行動されている。

 そういった思いの下、今回の請願が市議会に提出されてきた。請願者ご本人達からも、その思いや趣旨を伺った。

 請願項目は、

① 三田市で放射能を帯びた廃棄物を処理しないでください。

② 被災地の市民(特に子ども)への疎開・自主避難への支援を実施・継続することをご検討ください。

③ 三田のクリーンな農産物を汚染地域の子どもたちの給食に供給することなど、多面的な支援の実施についてご検討ください。

である。

 委員会では、請願に対しての紹介議員2名(田中一良議員、中田初美議員)が発言・質問に対しての答弁をした。また、委員会の議員が様々な角度から請願に対して質問をした。

 この請願に対して、いくつかの問題点が指摘され、採決の結果、2対5の賛成少数で、委員会否決された。今日の本会議で採択・不採択が決められる。

 いくつかの問題点は、

ア、 請願者の意図するところと、文書表現が正確でないのではないか。

イ、 被災地は汚染地域なのか。また風評被害で苦しんでいる被災地での農産物は全て汚染しているとも読めるのではないか。

が代表的なもの。

 そして、「三田市として、何ができるのか。市としての判断が必要」、「同じ日本人として瓦礫を受け入れるべき」との意見と併せて、趣旨は理解できるので「人道的なこと」であれば、その様な内容にして(請願を)出しなおすべきではないか、などの委員会議員から意見が出された。

 「ア」について、紹介議員からは、「放射能を帯びた」は、原発事故が起きる前の基準100ベクレル/kg(国が安全基準として示していた。その後、8000ベクレル、10万ベクレルへと大幅に安全基準を緩和してきた)を超える放射能を帯びた瓦礫を三田市へ持ってきて焼却することは、国がどんどんと安全基準を緩和し、その安全基準自体で本当に国民の放射能からの安全が保たれるのかといった率直な不安に答えられない。当初の基準以下であれば積極的に受け入れることが大切だが、それを超える場合は、安全上問題があるので、三田市として受け入れないでほしいというものだと説明。

 三田市をはじめ、関西の約170自治体の一般廃棄物の焼却(三田市ではクリーンセンターで焼却)した灰は、大阪湾フェニックスに埋め立てられている。後10年ほどで、満杯となるが、現時点でフェニックスは、一般廃棄物の焼却灰以外は受け入れを決めていない。また今回のように放射能を含む廃棄物の焼却灰は1市だけの判断で決められるものではなく、フェニックスへ焼却灰を持ちこんでいる自治体全体の中で判断すべきものなので、国や各自治体の状況の下に判断<三田市説明>していくとしているが、大切なことである。

 「放射能を帯びた」を文字通り読めば、確かに、100ベクレルがだめなら、安全基準以下の50ベクレルでも受け入れはダメなのか?ゼロでなければだめなのかとも読み取れる。しかし、私たちも請願者から説明を受けたが、安全基準以下であれば積極的に受け入れていくことが大切ととの認識である。

 「イ」につては、市当局の説明にもあったように、「風評被害に苦しんでいる地域の安全基準以下の農産物を『食べて応援しよう』と支援することが大切である」との考えは、もっともなことである。そのことを全く否定しているのではなく、つい先日も一旦安全だとして、出荷が認められたお米から、基準値を超えるセシウムが検出され、出荷停止となったように、まだ大きな不安がる。特に子どもは放射能の感受性が大人より高いといわれており、出来るだけ安全なものを食べていただきたいという純粋な気持ちを表していると理解できる。けっして、被災地が放射能から安全でないということを言っているのではない。

 12月15日朝日新聞(朝刊)の「進学特集~東日本大震災を受けて大学は」のコーナーで、龍谷大学の取り組み欄紹介に次のようなことが書いてあった。

 「1歳の男児を連れた滋賀県栗東市の女性《31》は、『買って支援をとは思うけど、子どもが小さいから少し心配』と詳しい説明を求めた」との記事があった。

 理屈では理解できていても、いざ自分の子どものことを考えたときの率直なその人の意見を載せていた。こういった意見のあることも事実であり、その人を決してとがめることや避難することはできない。このような様々な受け止めは、ごく自然であり、国民同士がそのことで、非難し合うことほどみじめなことはない。何といってもこれまで「安全神話」を信じ込ませ、正に国策のように原発を推進してきた国の責任こそが問題なのである。

 請願についてのさまざまな受け止めがあって当然である。「請願権」が全ての国民の権利としてある中、必ずしも文書表現が得意でない人も含めての権利である(今回の請願がそういった人であることを言っているのではない)。要は、どういった趣旨でその請願がなされているかを議会が受け止めることではないだろうか?請願に書かれたその表現に疑問があれば、請願者に訪ねることもこれまでにできた。私たちは、その趣旨を伺ったうえでその請願に賛成の立場に立っている。 


「人権条例を考える」集いで学習

2011年12月11日 | ブログ

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 昨日12月10日(土)、午後1時30分から篠山市民センターにて開催された、「人権条例」を考える市民の集いに参加してきた。

 講師は弁護士の伊賀 興一氏。徳島県河南市、大阪府泉佐野市の条例(差別撤廃・人権擁護条例)、大阪府など(人権尊重の社会づくり条例)、鳥取県(人権侵害救済条例)などについて、その目指すものや問題点などについて、また篠山市では、市長の提案による「人権条例」が制定されようとしているが、その制定委員会による「篠山市人権尊重のまちづくり条例」(案)について、学習した。

 「人権」とはなんだろう?自分にとっての人権は、はたして他人にとって、また全ての人にとっての「人権」なんだろうか?

 まして、行政が「人権とはこういうものだ」「このことが人権条例に抵触する」と決め、判断することができるのだろうか?憲法は決してそれを許してはいないし、その根拠もない。

 行政が市民より優越的に「人権」を認識し、「人権救済」を正しく行えるという現実的土台は無い。

 「篠山市人権尊重のまちづくり条例」(案)の第3条(市民の責務)1項では、「市は、市民一人ひとりの人権が尊重される社会の実現を目指し・・・」としているが、「人権が尊重される社会の実現」とは、どういう段階のことを言っているのだろうか?

 その5条(人権施策の推進)2項(1)では、「同和問題、女性、子ども、高齢者、障がい者、在住外国人、その他全ての人権に関する課題の解決に向けた・・・」としているが、代表的に挙げたこれらが人権の範囲なのだろうか?「子ども」といっても子どものどんな人権を問題にしているのか?

 いま、社会の中で一生懸命働いているのに、制度として正社員になれず、差別された賃金や待遇、そのために、将来への展望も結婚すらできない若い人たちの人権は、守るべき人権の範囲には含まれていないのだろうか?これほど多数の人権が守られない問題を問題ともしない。

 三田市でも公(市役所)の仕事を、行革の名の下に民営化(指定管理者制度や、民間委託など)により、それまで市職員がしていた仕事を「民間だから、最低賃金を下回らなければ、問題は無い」として市職員の給料を大幅に下回る賃金で働かすことに、痛みも感じず、その人たちの人権すら問題にしない。 

 「最低賃金」で本当に生活できるの?家族を養えるの?

 「人権に関する課題の解決」といっているが、どういう状態になったら解決したといえるのだろうか?なにも示していない!

 Aさんにとっては、まだ「未解決」であっても、Bさんにとっては、「解決」であることもある。私にとっては、「そんな些細なこと」であっても、「その人にとっては、大変重要なこと」の場合は、いくらでもある。

 人権は、統一的に決められるものではなく、一人ひとりにとって大切なものであり、誰かがそれを「人権」と決めることはできない。まして行政がそれを判断することは、大変危険なことである。行政によって人権が侵害されたときは、行政はその侵害をどのように償うのだろうか?

 今後、三田でも人権条例制定に向けた動きが進んでくるだろうが、その言葉の意味するところを充分に注意していくことが必要。


こころをつなぐ みんなのつどい(障害者週間)

2011年12月04日 | ブログ

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 12月3日(土)から9日までは、「共に生き共に考える週間(障害者週間)」として、様々な取り組みが市内で行われている。

 今日は、午後1時30分から市総合福祉保健センターにて「こころをつなぐ みんなのつどい」が開催された。

 会場では各障害者団体による手作りお菓子、小物入れなどの作品や新鮮野菜の販売が行われていた。また、記念イベントとして言語聴覚士・今岡康人氏による講演が行われたが、遅れての参加だったために、聞くことができなかった。

 会場へ着き、各団体販売コーナーを回って、大好きなお菓子をそれぞれ購入したりしている間に、イベント最終の上野台中学校のブラスバンド演奏が始まった。

 人気の曲がたくさん演奏され、参加者から温かい拍手がいっぱい寄せられていた。いつもながら良く練習されたすばらしい演奏が続いた。障害者の皆さんも一緒に体を動かしたり、手拍子をしたりの楽しいひと時となり、私自身も一緒に楽しむことができた。

 障害者・児が社会の中で、障害のない人と変わらない人権が保障され、生きていけるために、もっともっと社会の理解が広がるとともに、必要な支援が当たり前に受けられることができる社会にしていかねばならないと、改めて考えさせられた。

 「障害者総合福祉法」が来年の通常国会で審議・可決されようとしているが、決して骨抜きの法律ではなく、また、障害者が外されたところでの審議ではない正に、障害者自身の意見が充分に生かされた法になるよう、おりしも、三田市12月定例市議会で、意見書が採択されようとしている。是非とも全会一致で意見書採択となれるよう、全議員の理解をいただきたいものである。