常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

タチアオイ

2018年06月25日 | 日記


タチアオイの花は懐かしい。入梅のころに咲き始め、梅雨が終わるころ花期が終わる。一名、ツユアオイとも呼ばれる。昔子どものころ、種が落ちて、庭のあちこちで花を咲かせるので、子どもたちの格好の遊びに使われた。それほど丹精しなくとも、毎年自然に生えて、花を咲かせるので、この花を毟って花びらを鼻につけて鶏の鶏冠に見立てて、追っかけっこをして遊んでも叱られることはなかった。そもそもは、薬用の植物として普及したらしいが、花も美しいので、庭で育てたのであろう。

梨棗 黍に粟つぎ 延ふ葛の 後も逢はむと 葵花咲く 万葉集巻16.3824

万葉集に見える歌である。秋に生る実に合わせた掛詞の言葉遊びの歌である。「黍に粟」は君に逢わず、が掛けてあり葵に逢う日が掛けてある。歌の意味は、梨、棗、黍に粟とそれぞれ実っても、君とは今逢えないが、伸び続ける葛のように後に逢うことができようと葵の花が咲いている。宴会の酒の席で、戯れた歌であるが、この歌のなかには中国の詩が隠されている。その詩を共有できたのは、教養のある貴族で、宮中にいた役人と女御たち、つまり非常に気心の知れた人達の、高度な言葉遊びである。



季節は、タチアオイの花を咲かせ、昆虫の世界でも夏の種が飛び始める。ある知人から、「ハッチョウトンボを見ましたよ」とメールで写真を送ってくれた。体長1.5㎝ほどの小さなトンボで、世界最小とも言われている。オスの成虫は赤、メスは黄色である。本来、7月に見られるものだが、今年は出現が早い。前後して谷の小川では、蛍が飛び始めている。
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前神室山

2018年06月24日 | 登山


神室山地は、奥羽山脈の一部で、秋田・宮城・山形の3県にまたがる非火山性の山地である。秋田県に属する前神室山(1342m)から、神室山(1365m)に続いて主稜線は南西に延び、最高峰の小又山(1367m)から火打岳(1238m)、八森山(1098m)、杢蔵山(1027m)と続いている。もとより、この稜線を歩く縦走コースは、山岳愛好家に人気のコースである。私もほぼ20年近く前にこのコースを歩いたことを記憶しているが、水の出ないコースで、喉の渇きだけが忘れられない思い出になっている。

金山町から行く有屋峠には、戦火の歴史が残っている。天正14年、この峠を挟んで仙北の小野寺氏の大軍と山形の最上義光の軍が対峙し、戦火を交えて戦いは最上軍の勝利に帰した。最上の軍勢が、その後勢いに乘って、戦国時代の大大名として名を馳せることになる。



この峠道は、ひたすらブナの大木から伸びる緑の繁みに覆われている。我々の日常とはあまりにも隔たった、厳しい山地である。しかし新庄藩と役内の連絡道とし使われていた歴史がある。現在では、登山客のみが通る下草に覆われた山道だが、過去には山人の生活の場として、また他国との交易、争いの場として現代では考えられない重要な役割を担っていた。深い緑になかに身を入れ、沢の流れを聞きながら歩くことは、体内の五感を歴史のなかに置くことでもある。稜線へと登っていく山道はひたすら長い。急勾配のところでは道をジグザクに切って、なるべく疲れない工夫が凝らされている。本日の参加者7名、内女性が5名。汗にまみれ、筋肉の疲れに耐えながら歩くこと4時間20分。やっとの思いで稜線に出る。



突然、眼に飛び込んで来たのは、秀麗な出羽富士・鳥海山の雄姿である。連山をその裾に従えさせ、突出した姿は百山の王の貫録を示している。この山に来て、鳥海山の雄姿を見ることは、山登りの大きな喜びである。週末とあって、山中で行きかう人が多いが、必ず口にしたのは「鳥海山がきれいにみえましたよ」という言葉だ。稜線までの道が厳しいほど、視界が広がる稜線に来て、登山者は大きな達成感に浸ることができる。



前神室からのもう一つの絶景は、神室連山の眺望である。以前買った絵葉書の構図は、両線にある残雪を除いて、まったく同じである。神室山の肩にポツンと見える山小屋は、神室山避難小屋である。大きな自然のなかでは、点のような存在だが、人間の営みが垣間見える。室というのは、山中にある岩窟ことを言う。神室は、「神の宿る岩窟ということである。山は人を寄せつけない厳しさがあるが、そこは神が宿る地として、里の人から崇拝の対象になってきた。水神、雷神を祀り、人力では叶わない自然現象を神の力で、人を利するものにしたい願望のあられである。

稜線でコバエを気にしながら、遅い昼食。使った体力を回復させるためにたくさん食べる。往路をそのまま下ることになるが、疲れた足には、登りでは感じなかった、危険なトラバースが続く。下りに使う筋肉は、登りとは別の部位であるらしい。次第にバランス感覚が無くなり、何度も転倒しそうになる。軽く登った往路とは、まるで違う感覚である。年齢とともに衰えてきた筋力を再び鍛え直すしかない。駐車場着5時。金山のホットスパで入浴、湯で筋肉の疲れを取る。
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茂吉生家

2018年06月22日 | 斉藤茂吉


妻の手術もようやく回復に向かい、退院の予定を話し合った。病院に通う道すがら、斎藤茂吉の生家のある金瓶を通るが、少し心にゆとりが生まれて立ち寄ってみた。蔵の白壁は近年塗りなおたものであろう。青空にその白さがひと際さえる。

ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり 茂吉

この歌で詠まれた「晩夏のひかり」が新鮮である。茂吉の歌が好きなのは、こうした新しい感覚の言葉が随所に見られるからだ。茂吉自身、この歌を『作歌四十年』のなかで回顧している。

『白壁に鳴きそめし』の写生はなかなか好かった。蝉がいなずまのように飛んで来て、白い壁に止まったかとおもうと、直ぐに鳴きはじめる。盛夏をやや過ぎて、日光も落ちつきを示すころで、その趣きが何ともいえないのである。

茂吉がこの歌を詠んだのは、大正5年のことである。すでにこの歌が生まれてから100年以上を経ているが、その感覚の新鮮さは少しも衰えることはない。
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夏至

2018年06月21日 | 日記


今日は24節季の夏至にあたる。梅雨のさなかに夏至を迎えることが多い。一年で一番昼の長い日、これから本格的な夏になる。つい先日まで、新緑を愛でていたような気がするが、山の緑は深い青を加え、新緑とは違った大人の美を見るような気がする。ビルの前には、幽かなカスミ草が咲くが、この季節に一番美しい色になる。

陶淵明の詩にこの季節を詠んだ名詩が残っている

藹藹たり堂前の林

中夏に清陰を貯う

凱風時に因りて来たり

回颷我が襟を開く

梅雨の大雨がなければ、この季節が一番爽やかな日々である。淵明も、庭をめぐって吹いてくる爽やかな風を懐に入れて、楽しんでいる。
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落とし文

2018年06月20日 | 日記


緑の小道を歩いていると、木の下に、葉をきれいに巻いて先端を閉じたものを見つけることがある。一緒に歩いている人が、「それ、落し文よ」と教えてくれた。洒落た名である。昔、少年たちが恋を覚え始めるころ、付け文というものした友人がいた。今では、気軽に声掛けをすればよいものを、七面倒なことをしたものである。「落し文」というのは、芝居で御殿女中に言い寄る侍の小道具として使われていた。平安の宮中でも、同様なことが行われていたに違いない。いわゆる艶書で、巻いて端の方を折り結ぶもので、この形状が森に落ちている落し文の形に似ている。

これは小形のカブト虫が栗やナラの葉を横に噛み切り、そこに卵を産みつけ、きれいに巻いて落し文のような形状にする。巻かれたまま道に落ちたものを、小鳥の仕業に見立てて、「時鳥の落し文」とか、「鶯の落し文」と呼んだ。だが、この仕業の主がかぶと虫と判明すると、この仕業をするカブト虫のことを「落し文」と呼ぶようになった。風の涼しい初夏の風物詩である。俳句の夏の季語にもなっている。
 ウォーキングの仲間がこれを見つけて中を見たがり、葉を巻き戻している。「中に虫がいるよ」といっても、怖がりながら、なかを見ずにいられないらしい。怖いもの見たさという心理か、こんな心理があるからこそ、御殿女中への付け文が功を奏したのであろう。

音立てゝ落ちてみどりや落し文 原 石鼎

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