
日が長いのは確かだが、この時間になるのが、滅法早く感じるのは何故だろうが。日が落ちて、ようやく熱気が去っていく時分、もう少し外の空気を吸っていたい気持ちよくわかる。黄昏と書いて「たそがれ」と読むが、もともと「誰ぞ彼は」のことで、うす暗くなって人の顔が見分けにくいころを、「たそがれ」と言うようになった。源氏物語にも「夕風のどかに、あはれなるたそがれなるに」という表記もある。もうその頃からこの言葉使われていたのだろう。
上田敏の訳詩集にロオデンバッハの「黄昏」がある。
夕暮れがたのしめやかさ。
かはたれ刻はしめやかに、物静かなる死の如く。
朧おばろの物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明かり、光は消えて日も暮れぬ
暑さに馴れない体が、どこかけだるく、一日の終りをやるせなく感じさせる。