goo blog サービス終了のお知らせ 

常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

エドガー・アラン・ポー

2013年10月07日 | 


アメリカの推理小説作家A.E.ポーは、1849年10月7日ボルチモアの場末の酒場で泥酔して意識不明となり、病院に運ばれたがそのまま死亡した。享年40歳であった。ポーは生まれつき陰気な性格で、その笑顔を見た人は一人もいなかったと伝えられている。ボストンで生まれたが、直後に両親が死亡して商人のアラン家に引き取られた。アラン家の都合で、一時期イギリスのロンドンで暮した。子供の頃の不幸なできごとが、ポーの性格を決めたのかも知れない。

ヴァージニア大学に入学するが、アラン家からの送金が遅れるようになると、トランプ賭博に手を出した。賭博にのめりこんだポーは莫大な借金を抱えて、退学を余儀なくされた。その後軍隊を経て、定職に就くことなく作家生活に入った。ポーと言えば私の高校時代の英語のテキストに「渦潮」が入っていたのでその名を知り、図書室で「ポー全集」を借りて、『黒猫』、『モルグ街の殺人』などに親しみ、その後欧米の探偵小説を読むきっかけになった。兄が探偵小説を好み、次々に本を買ったので、それを読むのが楽しみであった。『モルグ街の殺人』でその謎解きにあたるデュパンは、名探偵の原型である。

ポーは次第にその小説や詩によって名声を博するが、酒を飲み、今で言う「アルコール中毒」によって次第に身体と精神が蝕まれていった。そこには、女性との恋愛事件が複雑にからんでいる。1943年の10月に、酒場で異様な泥酔状態でいるのを見つけたのは旧知の文学者であったが、このときポーはまともに会話ができず、服は他人のものを着ており、どういう経過でこんな姿になったのかはついに分からずじまいである。意味不明な言葉を発するのみで、10月4日に病院に運ばれそのまま正気に戻ることなく6日に他界した。その名声は世界に及び、特にヨーロッパで高い評価を受けた。日本でも人気があり、ポーを慕う作家が、江戸川乱歩という名で日本の怪奇小説のさきがけとなった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする