保育園の庭にひまわりが咲きだした
ひまわりと言う映画がウクライナの問題で少しネットで話題になった、
この映画は音楽をふくめて昔から好きな映画だった、
封切で見たような気がするが少し後かも知れない、
傭兵としてウクライナに行ったまま帰らない夫の噂を聞いた主人公の女性が現地に行きそこで見た夫は若い女性と一緒に暮らしていた、
小さな子供を抱き上げる姿を見てすべてを諦めてそのまま帰る、
列車は一面のひまわり畑の中を走り続け、彼女は只々ひまわりを見ながら涙を流し続ける、
涙も拭かずに泣き続ける彼女のシーンとひまわりが印象的なラストシーンだった、(記憶に違いがなければ、違ったとしても私の中ではそうなっている)
女優はソフィアローレン、夫を演じたのはマルチョロ・マストロヤンニだった、
このころはイタリアとフランスの映画も多く公開されていて自分はアメリカ映画よりこちらが好きだった、
しかしヨーロッパ映画の女優の顔はどうも私には区別がつかない、やたらに口が大きいと言う印象が強くみんな同じに見える、
ソフィアローレンの主演だと思っていた映画に「刑事」と言うのが有る、
こちらも主題歌の「死ぬほど愛して」がヒットした映画で「アモーレ、アモーレ、アモレミーオ」と言う印象的な音楽だったが調べてみたらこちらはクラウディアカルディナーレだった、
C・Cと言われて映画雑誌ではよく特集されていたが同じ頃のフランス女優のブリジット・バルドーがB・B(ベベ)と言われて同じくらい持てやはやされていた、
彼女の主演映画「軽蔑」はスカラ座だったと思う、ジャンリュック・ゴダール監督の心理映画でジャックバランスが出ていた、
どうやら最近は同じ名前の映画かドラマがあるらしく検索するとこちらが出てくる
またか、と言う印象は否めない、「家なき子」「君の名は。」そして今度は「軽蔑」
作品にインスパイアされて、と言うならそれもあるが、名前にあやかるとしたらあまりに情けない
クリエイターとしてのプライドは無いのか、はたまた。「知らなかった」としたらそれはそれで浅識すぎる、
取り立ててフリークとまではいかない映画好きですら知っている、それを知っての命名なら映画作家としての矜持は無いのか。
ひまわりと言う映画がウクライナの問題で少しネットで話題になった、
この映画は音楽をふくめて昔から好きな映画だった、
封切で見たような気がするが少し後かも知れない、
傭兵としてウクライナに行ったまま帰らない夫の噂を聞いた主人公の女性が現地に行きそこで見た夫は若い女性と一緒に暮らしていた、
小さな子供を抱き上げる姿を見てすべてを諦めてそのまま帰る、
列車は一面のひまわり畑の中を走り続け、彼女は只々ひまわりを見ながら涙を流し続ける、
涙も拭かずに泣き続ける彼女のシーンとひまわりが印象的なラストシーンだった、(記憶に違いがなければ、違ったとしても私の中ではそうなっている)
女優はソフィアローレン、夫を演じたのはマルチョロ・マストロヤンニだった、
このころはイタリアとフランスの映画も多く公開されていて自分はアメリカ映画よりこちらが好きだった、
しかしヨーロッパ映画の女優の顔はどうも私には区別がつかない、やたらに口が大きいと言う印象が強くみんな同じに見える、
ソフィアローレンの主演だと思っていた映画に「刑事」と言うのが有る、
こちらも主題歌の「死ぬほど愛して」がヒットした映画で「アモーレ、アモーレ、アモレミーオ」と言う印象的な音楽だったが調べてみたらこちらはクラウディアカルディナーレだった、
C・Cと言われて映画雑誌ではよく特集されていたが同じ頃のフランス女優のブリジット・バルドーがB・B(ベベ)と言われて同じくらい持てやはやされていた、
彼女の主演映画「軽蔑」はスカラ座だったと思う、ジャンリュック・ゴダール監督の心理映画でジャックバランスが出ていた、
どうやら最近は同じ名前の映画かドラマがあるらしく検索するとこちらが出てくる
またか、と言う印象は否めない、「家なき子」「君の名は。」そして今度は「軽蔑」
作品にインスパイアされて、と言うならそれもあるが、名前にあやかるとしたらあまりに情けない
クリエイターとしてのプライドは無いのか、はたまた。「知らなかった」としたらそれはそれで浅識すぎる、
取り立ててフリークとまではいかない映画好きですら知っている、それを知っての命名なら映画作家としての矜持は無いのか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます