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アラフは扇動者、教育を知らない

宗教って何だ

2015-03-17 12:41:30 | Weblog
今月で地下鉄サリン事件20周年なのだそうな。 一部の人たちにとっては
20回忌、でもある。
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教、現状はアレフ、Alephに改名し
たらしいが、そういうものが宗教なのだと主張する人は少なくない。
多くの人が一般に言う狂信者の行動こそが宗教なのだと言う。 私は宗教の
意義はもっぱら幼児教育にあるのだと主張し、そして狂信の範囲をより広く
取る。 狂信範囲その一例としてビートルズ・ファンを挙げる。 ファンの
英語の語源はファナティック、狂信だわな。

ビートルズ・ファンを例として挙げる際の悪行それを他の音楽の否定だと
する。 もちろんビートルズ・ファンが特別にそうだというわけではなく
また他の音楽グループファンにそうした傾向が無いという主張をするわけで
もない。 当面歴史的に一番デカい集団だったのだと見ておりまたその
ファンたちの奇行も風刺対象となっていた都合そうしているだけである。
他の音楽の否定。 ある音楽を自己集団、自身の広がりだとしそれ以外の
否定に走る、私はここに狂信の本質を見る。 自己の拡大意識と他の否定。
音楽に限った話ではなく。

さて現状の宗教団体に他の否定を見るか。 是である。 残念ながら。
話を音楽に戻すならば現在のビートルズ・ファン、まだ居るのなら、よりも
ロック・ファンにより強いその傾向を見る。 狂信の定義を他の否定だと
するならばロック・ファンの方がより狂信的だ、となる私の見立てでは。
テーマが狂信になってきた、まあいいや、ではもう一方、自己の拡大意識、
周囲の自己同一化とでもするか、はどうか。 ロック・ファンは他のロック・
ファンを自己と同一化した何かだと見ているのか。 おそらくは否だろう
偏見で書こう彼らは彼らの教祖相当人物との自己同一化を見ている一方で他
のファンをそうだとはしていない、むしろ敵視しているのではないかと推測
する。 常にそうなのか。 否と見る。 例えばクラッシック・ファンと
対峙した時彼らは自分たちの側に自己同一化を見る。

なるほど。 まとまってきた。
1. 教祖相当に対する自己同一化がある
2. 日常他集団に対する緩やかな否定がある
3. 他集団から否定を受けると自集団に対する自我拡大が起こる

こんな感じか。 そして自我拡大を根拠とした、あらわな他集団否定行動が
狂信者の行動だとされ、それこそが宗教なのだとされているのか。 そして
私は音楽ファン各集団にそれ、世間一般に言われている宗教性、を見ている
のだと。

焦点を一方に移す。 否定、他者の、場合によっては自己のも含まれるか、
行いの否定は宗教なのか。 世間一般では是とされるかもしれないが私は否
とする。 それは秩序である、否定の内容が妥当か否かはともかく。 特定
の行いに対する否定は社会秩序である。 では宗教は秩序か。 おそらくは、
是だろう。 宗教は、社会性のほぼ無いとされる幼児に対し、行ってはいけ
ない事を教える、教えようとするこれは秩序であり同時に、そうする人の
否定でもある。 宗教は泥棒を否定するこれは狂信か。 私は否とする。
泥棒の側にとっては狂信なのだろう。
では宗教は宗教団体の自己同一化を推進しているのか。 現状私は是である、
と見る。 なるほど私の今回出てきた定義によると、宗教が、自集団が狂信
ではないとする条件はそれが自集団に対し
1. 他宗教否定を戒める
2. 自集団に対する自己同一化を否とする

の双方が必要なのか。 双方を満たすならばそれは幼児教育であり秩序の要
である、と言えるようになる、少なくとも私にとっては。
では現状はどうなっているか。
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