狸喰うモノ牛愛でるモノ

虐待放置、インチキ優先のやり方を信用出来るわけねーだろ

キチガイサヨクという被造物

2016-05-06 15:50:39 | Weblog
霊には屍肉喰いを好む性質がある。 これ転じて人間たちの、他者の事故や事件を期待し喜ぶ傾向となっていてこれ、神様にはないものだったりする。
人間社会に置き換える。 古代なら、とある勢力が崩壊するとそこの構成員が他の勢力に奴隷ないし娼婦として供給される。 現代社会ならマクロには南北問題、後進国人同士でいがみ合い足の引っ張り合いが続く間は先進国の優位は揺るがず、資源と労働力を買い叩ける地位が継続する。 ミクロには、借金に縛られた人たちが働きなお上がれずに居る間は縛られていない人たちはその分楽が出来る。
霊の話に戻る、周囲に事故に遭った霊が居たとしよう自分はその霊に有った勢力、雰囲気を吸収、支配下に置き強くなる。 自勢力が成長する、自己実現する喜びがあるこれが霊たちの経験則。 ではだ。 結果が逆になったらどうなるだろうか。 事故に遭った霊たちの方が強くなる状況になったとしたら。 ここにキチガイサヨクの存在意義を見る。

2000年前の話。 当時のユダヤ人社会で支配層に多かったのがサドカイ派、庶民、貧民に多かったのがパリサイ派、世捨て人みたいな事をしてたのがエッセネ派、らしい。 ここから用語を取る。 旧来の権力層をサドカイ派、被支配層をパリサイ派、新しい状況下偽善に走る旧支配層周辺を「イヌとブタ」、と置く。
サドカイ派の権力をパリサイ派支持の下「イヌとブタ」に移す、これが実践された状況が現代社会。 エッセネ派の正しさが証明される社会、と言えなくもない。
だが、である。 これで誰が天国(比喩)行きになるの?というに恐らくサドカイ派の半数に「われわれが正しくなかったのだ」という改まりが、パリサイ派の一部に「これまでを許そう」という良心みたいなものが期待できる。 他は全部地獄(比喩)行きである。 サドカイ派のもう半分、パリサイ派の多く、「イヌとブタ」のほぼすべてが、つまり「なんだかんだであの偽善宣伝者どもの制御に成功している、我々は相変わらず高貴だ」「我々が正しかったから権力を与えられたさあ復讐だ」「彼らが悪だったそして彼らを追いやった我々こそが善、我々の支配は永続する」となっていると。
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