☆いよいよ、「機動戦士ガンダム」30周年リバイバル公開も、本日の鑑賞で終了です^^v
特に、大画面で見る『逆襲のシャア』は初めてなので楽しみです^^
◇
先ずは、『星の鼓動は愛』・・・。
これは、初公開の時にも思ったのだが、もう、内容がカオス状態である。
敵味方が、5グループほどで入り乱れていて、何が何やらコンフュージョンである^^;
しかも、それぞれの首脳陣が、戦いの合間に、広大な地球圏の距離感なしに協力関係を結ぼうと、会ったり別れたりするので、なんと言おうか、小休憩を挟んで、物語全体が最終決戦を全篇に渡り延々と続けている印象だ。
ただ、多くの制約(それは主に上映時間)の中で、作り手は全力を尽くしており、私は、その瞬間瞬間の作画や演出に感心し見てられるのだ。
そもそも、この映画版「Zガンダム」は、地球に降り立った時も、大自然との関係が希薄なので、閉塞感があり、ただ、人間がセリフだけで繋がっている印象がある。
だから、多くの登場人物が死んでゆくが、見ているこっちには、何の感慨も起きてこない。
故に、テレビ版のラストシーンで、主人公カミーユが精神を崩壊させてしまうのも理解が出来る。
だが、この「新訳・映画版」のラストには、底抜けにポジティブなラストシーンが待っている。
Zガンダムは、悪意の根源・シロッコを葬り、カミーユは深く深呼吸し、我に返り、宇宙空間で、ガールフレンドのファと抱き合うのだ。
ファなどは無邪気に、木にしがみつくコアラのようにカミーユに抱きつく。
最高である^^
実は、私、前日に、テレビ版のDVDを借りてきて、姪っ子と、20年前のラストシーンを再見している。
だから、新しく作り直されたラストシーンに感慨もひとしおだった。
このラストシーンを見るだけでも、金を払う価値はあると思う。
おまけとして、ハマーン様の美しさも堪能できるぞ^^
ハマーン様は、新しく書き直された部分はおろか、旧作画の部分においても美しい。
モビルスーツに乗っているときは、その表情だけでもいいし、
戦艦内の時は、その立ち姿の美しさもある。
脚線の細さが、生まれて初めて立ったバンビを連想することも出来て、いいッ!
◇
・・・『逆襲のシャア』だ。
ビデオレンタルで何度か見たが、元々が映画オリジナルなので、こうしてリバイバルでも遜色なく見れる。
でも、20年前の作画のベーシックなのだろうが、どうしても、十代前半と思われるヒロインであるクェス・パラヤが少女に見えないのだ。
顔の輪郭線に、幼い柔らかさがないからだろう。
それは、同時期放送の「ZZ(ダブルゼータ)」のエルピー・プルにおいてもだ。
あまり可愛く見れないので、映画的に堪能できる作画の中で違和感が募った。
ただ、アムロやシャア、懐かしいカムランの作画には唸った。
特に私は、子供の時から変わらないが、着実に大人として成長しているアムロに魅力を感じた。
やはり、アムロこそが「主人公」なのだなと再認識した。
サイコミュ・システムの仕組みがいまいち分からないことや、クライマックスの、幾つかの解釈を残すあやふやさに、毎度毎度不完全燃焼を感じるのだが、
隕石を押し返そうとするνガンダムの力技や、それを操るアムロの根性に、私は魅かれるのだ。
◇
「Z」と「逆襲のシャア」を続けて見て分かったのが、クェスやナナイと複数の女に愛を感じさせるシャアの生き方は、シロッコがレコアやサラに向けていたものと同根であろう。
「愛」が、いつしか、作用反作用の収支計算へと変貌していたのだ。
人間関係においても純粋であったシャアであったが、いつしかシロッコの亡霊に取り込まれていたのか・・・。
(2009/10/04)
特に、大画面で見る『逆襲のシャア』は初めてなので楽しみです^^
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先ずは、『星の鼓動は愛』・・・。
これは、初公開の時にも思ったのだが、もう、内容がカオス状態である。
敵味方が、5グループほどで入り乱れていて、何が何やらコンフュージョンである^^;
しかも、それぞれの首脳陣が、戦いの合間に、広大な地球圏の距離感なしに協力関係を結ぼうと、会ったり別れたりするので、なんと言おうか、小休憩を挟んで、物語全体が最終決戦を全篇に渡り延々と続けている印象だ。
ただ、多くの制約(それは主に上映時間)の中で、作り手は全力を尽くしており、私は、その瞬間瞬間の作画や演出に感心し見てられるのだ。
そもそも、この映画版「Zガンダム」は、地球に降り立った時も、大自然との関係が希薄なので、閉塞感があり、ただ、人間がセリフだけで繋がっている印象がある。
だから、多くの登場人物が死んでゆくが、見ているこっちには、何の感慨も起きてこない。
故に、テレビ版のラストシーンで、主人公カミーユが精神を崩壊させてしまうのも理解が出来る。
だが、この「新訳・映画版」のラストには、底抜けにポジティブなラストシーンが待っている。
Zガンダムは、悪意の根源・シロッコを葬り、カミーユは深く深呼吸し、我に返り、宇宙空間で、ガールフレンドのファと抱き合うのだ。
ファなどは無邪気に、木にしがみつくコアラのようにカミーユに抱きつく。
最高である^^
実は、私、前日に、テレビ版のDVDを借りてきて、姪っ子と、20年前のラストシーンを再見している。
だから、新しく作り直されたラストシーンに感慨もひとしおだった。
このラストシーンを見るだけでも、金を払う価値はあると思う。
おまけとして、ハマーン様の美しさも堪能できるぞ^^
ハマーン様は、新しく書き直された部分はおろか、旧作画の部分においても美しい。
モビルスーツに乗っているときは、その表情だけでもいいし、
戦艦内の時は、その立ち姿の美しさもある。
脚線の細さが、生まれて初めて立ったバンビを連想することも出来て、いいッ!
◇
・・・『逆襲のシャア』だ。
ビデオレンタルで何度か見たが、元々が映画オリジナルなので、こうしてリバイバルでも遜色なく見れる。
でも、20年前の作画のベーシックなのだろうが、どうしても、十代前半と思われるヒロインであるクェス・パラヤが少女に見えないのだ。
顔の輪郭線に、幼い柔らかさがないからだろう。
それは、同時期放送の「ZZ(ダブルゼータ)」のエルピー・プルにおいてもだ。
あまり可愛く見れないので、映画的に堪能できる作画の中で違和感が募った。
ただ、アムロやシャア、懐かしいカムランの作画には唸った。
特に私は、子供の時から変わらないが、着実に大人として成長しているアムロに魅力を感じた。
やはり、アムロこそが「主人公」なのだなと再認識した。
サイコミュ・システムの仕組みがいまいち分からないことや、クライマックスの、幾つかの解釈を残すあやふやさに、毎度毎度不完全燃焼を感じるのだが、
隕石を押し返そうとするνガンダムの力技や、それを操るアムロの根性に、私は魅かれるのだ。
◇
「Z」と「逆襲のシャア」を続けて見て分かったのが、クェスやナナイと複数の女に愛を感じさせるシャアの生き方は、シロッコがレコアやサラに向けていたものと同根であろう。
「愛」が、いつしか、作用反作用の収支計算へと変貌していたのだ。
人間関係においても純粋であったシャアであったが、いつしかシロッコの亡霊に取り込まれていたのか・・・。
(2009/10/04)