☆全くノーマークの映画だった。
私は原作の西原理恵子の作品を読んだことはあるが、こんな作品があるのは知らず、映画化されるのも知らず、その公開がMOVIX昭島でやることも、つい最近まで知らなかった。
しかし、物語が、自分にしか見えない存在「いけちゃん」との少年の日々を描く、と聞くと、わりと良くある内容なのだなと合点がいき、その普遍的なテーマに魅かれ観に行った。
また、原作が西原理恵子っちゅうのも気になった。
この方、マンガエッセイなどで、よくカンボジアの話を描いている。
カンボジアには私も良く行くが、西原理恵子の描くところの、あの国の子供たちの純粋かつ無茶苦茶さが、きっと子供の世界を描いたこの作品にも表われているような気がしたのだ。
◇
四国の漁港を舞台にした作品だが、おそらく30年ほど前を描いているんだろうけど、あまり時代を感じさせず、淡々と主人公ヨシオの生活を描いていく。
ヨシオのそばに寄り添う不可思議な存在「いけちゃん」は、あまりヨシオの人生に介入せず、安心させてくれる相槌役としての存在でしかない。
両親との絡みも至って淡白で、父親は死んでしまうのだが、それもサラリと流される。
私には、その描き方が、計算なのか下手なのか分からなかった。
ただ、ところどころに、西原理恵子の描くところの「(子供の)残酷性」が表われる。
ヨシオと友人は、牛乳屋の空瓶を割るのを日課にしている。
町内のいじめっ子二人は、かなり強烈な暴力を日々繰り返す。
ヨシオは、いじめられた腹いせを、虫の虐待で晴らす。
でも、そこを殊更にあげつらう者はいない。
その「残酷性」は、少年時代のイニシエーション(通過儀礼)扱いだ。
ヨシオの憧れのお姉さん(蓮佛美沙子←七瀬だ!^^)がグレてしまうのも、
お父さんが浮気をするのも、それぞれの世代の通過儀礼とされている。
この、「しょうがないこと」の視点が、この作品を他の類似作品と比べての作品的な優位点なのだと思う。
その後の、お父さんの愛人だった女の「日常」の描き方など、子供が見たらスルーだし、大人が見たら、それもまた「しょうがないこと」とスルーしか出来ない。
◇
思えば、「いけちゃん」も、大人の視点を崩さない。
声の出演の蒼井優は上手だった。
と言うか、「いけちゃん」役が適任だったのだと思う。
妙に客観的なヨシオへの接し方が、クライマックスでも維持され、その、時間に対しての「諦観」に私は泣かされる。
「いけちゃん」のビジュアルはシンプルだが、その微妙な動き・・・、例えば、口の開き具合で心理が窺え、・・・泣ける^^;
この物語のテーマ、色んな作品表現で繰り返されてきた話ではある。
私も、かつて「ポロンちゃん」と言う人形を用いて同種の話を書き、好評を得た事がある(その内、再掲します)。
子供の世界の、子供にしか分からない世界は確かにあって、その終焉は悲しいものだ。
『ナルニア国物語』(クリック!)もそうだったよね。
◇
ヨシオは、暴力の連鎖を断ち切るべく、スポーツで決着をつけようとする。
そのヨシオチームの、不揃いのメンバーが良かった。
私は、子供の頃の、少しの歳の差や、男も女も混ぜこぜの感覚が実に好きなのである。
でも、メンバーが一人足りなかったら、犬を仲間とするのがデフォでしょーよ^^;
ちょうど、ヨシオのガールフレンドのミキが大きな犬を飼っているわけだしさ。
◇
また、主人公ヨシオ(深澤嵐)の顔が、昔懐かしい「あばれはっちゃく」シリーズ顔なのが良かったです。
◇
エンディングで私はちょい泣いた。
横には、ツインテール丸顔の幼女が座っていたのだが、その母親も向こうでハンカチを目に当てていた。
幼女は、両側に座る大人二人が何で泣くのか分からずにキョトンとしている。
「いけちゃん、とても面白かったのに、何で泣いてるの?」
って感じだ。
(2009/06/21)
私は原作の西原理恵子の作品を読んだことはあるが、こんな作品があるのは知らず、映画化されるのも知らず、その公開がMOVIX昭島でやることも、つい最近まで知らなかった。
しかし、物語が、自分にしか見えない存在「いけちゃん」との少年の日々を描く、と聞くと、わりと良くある内容なのだなと合点がいき、その普遍的なテーマに魅かれ観に行った。
また、原作が西原理恵子っちゅうのも気になった。
この方、マンガエッセイなどで、よくカンボジアの話を描いている。
カンボジアには私も良く行くが、西原理恵子の描くところの、あの国の子供たちの純粋かつ無茶苦茶さが、きっと子供の世界を描いたこの作品にも表われているような気がしたのだ。
◇
四国の漁港を舞台にした作品だが、おそらく30年ほど前を描いているんだろうけど、あまり時代を感じさせず、淡々と主人公ヨシオの生活を描いていく。
ヨシオのそばに寄り添う不可思議な存在「いけちゃん」は、あまりヨシオの人生に介入せず、安心させてくれる相槌役としての存在でしかない。
両親との絡みも至って淡白で、父親は死んでしまうのだが、それもサラリと流される。
私には、その描き方が、計算なのか下手なのか分からなかった。
ただ、ところどころに、西原理恵子の描くところの「(子供の)残酷性」が表われる。
ヨシオと友人は、牛乳屋の空瓶を割るのを日課にしている。
町内のいじめっ子二人は、かなり強烈な暴力を日々繰り返す。
ヨシオは、いじめられた腹いせを、虫の虐待で晴らす。
でも、そこを殊更にあげつらう者はいない。
その「残酷性」は、少年時代のイニシエーション(通過儀礼)扱いだ。
ヨシオの憧れのお姉さん(蓮佛美沙子←七瀬だ!^^)がグレてしまうのも、
お父さんが浮気をするのも、それぞれの世代の通過儀礼とされている。
この、「しょうがないこと」の視点が、この作品を他の類似作品と比べての作品的な優位点なのだと思う。
その後の、お父さんの愛人だった女の「日常」の描き方など、子供が見たらスルーだし、大人が見たら、それもまた「しょうがないこと」とスルーしか出来ない。
◇
思えば、「いけちゃん」も、大人の視点を崩さない。
声の出演の蒼井優は上手だった。
と言うか、「いけちゃん」役が適任だったのだと思う。
妙に客観的なヨシオへの接し方が、クライマックスでも維持され、その、時間に対しての「諦観」に私は泣かされる。
「いけちゃん」のビジュアルはシンプルだが、その微妙な動き・・・、例えば、口の開き具合で心理が窺え、・・・泣ける^^;
この物語のテーマ、色んな作品表現で繰り返されてきた話ではある。
私も、かつて「ポロンちゃん」と言う人形を用いて同種の話を書き、好評を得た事がある(その内、再掲します)。
子供の世界の、子供にしか分からない世界は確かにあって、その終焉は悲しいものだ。
『ナルニア国物語』(クリック!)もそうだったよね。
◇
ヨシオは、暴力の連鎖を断ち切るべく、スポーツで決着をつけようとする。
そのヨシオチームの、不揃いのメンバーが良かった。
私は、子供の頃の、少しの歳の差や、男も女も混ぜこぜの感覚が実に好きなのである。
でも、メンバーが一人足りなかったら、犬を仲間とするのがデフォでしょーよ^^;
ちょうど、ヨシオのガールフレンドのミキが大きな犬を飼っているわけだしさ。
◇
また、主人公ヨシオ(深澤嵐)の顔が、昔懐かしい「あばれはっちゃく」シリーズ顔なのが良かったです。
◇
エンディングで私はちょい泣いた。
横には、ツインテール丸顔の幼女が座っていたのだが、その母親も向こうでハンカチを目に当てていた。
幼女は、両側に座る大人二人が何で泣くのか分からずにキョトンとしている。
「いけちゃん、とても面白かったのに、何で泣いてるの?」
って感じだ。
(2009/06/21)
いけちゃんとぼく、かなり原作に忠実ですのでもしまだ未読でいらっしゃるなら、原作もおすすめですよ。
私は、『SPA!』に連載していた西原東南アジア作品を切り抜いて取っていたのを思い出します。
これからもよろしく!
何だろう、気が付くと涙が溜まっていて、ほろりとこぼれて来た。
蒼井優の才能には驚かされます。実にいけちゃんでした。てを「はむ!」って“甘噛み”?(笑)するところで、凄く優しさを感じてしまいました。
劇場には小さいお子さん連れが結構多かったけども、お子様にはまだちょっと理解できないかも。単純にいけちゃんの愛らしさとに感じ入ってくれたら良いのですが…。
わりとサッパリしていて、サッパリしていて、ジュワッときます^^;
蒼井優の声も、中世的で優しくて良かった。
微妙に突き放す口調でしたよね。
場内の子供は、なかなか楽しんでみているように見受けられました。
作品の不思議な手触りは、大人子供双方対応の故だったのかもしれませんね^^