☆なーんか、上層部のほうで、会員の思惑とは正反対の事が行なわれ、でも、それが会員にはなんら伝えられず、しばらくしてから、さりげなく「閲覧」できる可能性は排除しないというのが、現在の「つくる会」の<情報公開>のようだ。
≪★「つくる会」が育鵬社への合流を哀願…2カ月隠蔽 (2013/03/02)≫
このリンク記事の内容のように「哀願」ならば、「つくる会」の一部を排除しつつ吸収するも、教育再生機構・育鵬社・教科書改善の会ともども、やぶさかではないのだが、
実際は、「合流してやる、但し、教育再生機構の理事長は排除せよ」と言うトンチンカンなことを言い出しているのが「つくる会」である。
そもそも、日本教育再生機構は「つくる会」を、全く 相手にしていないのである。
「百害あって一利なし」の存在としか思えなくなってしまっている。
こっちが、しょうがなく相手をしてやる時は、相手が石を投げてきた時だけなのである。
精神的なものならば無視し、こちら陣営の保守活動を粛々と行なうだけなのだが、
物理的に何らかの危害を加えてきたときは、それに対し、何らかのリアクションせざるを得ない。
すると、「つくる会」は、そのリアクションに対し、涎を垂らし狂喜乱舞するのだ。
「ああ、俺らはまだまだまだ保守的な活動の中心にいられる!(≒まだ、捨てられてない!!)」=ストーカー心理
いや、悪いけど、相手にしてませんよ、みんな、あんたらを・・・。
「つくる会」と絡むのは、時間の無駄だからやだもん。
なんつーか、四方八方に斬りつける殺人鬼が、こちらに交際を申し出てきて、「交際するから、あんたの腕を切らせてくれ!」と言っているみたいなものだ。
殺人鬼であること自体が問題で、
こちらに交際を申し出てくるのも、自分らが同程度と見られているという、屈辱&迷惑の極みで、
なんで、大事な腕を切り落とさせられなくちゃならんのだ。
こっちゃ、踏んだり蹴ったりじゃん。
「つくる会」なんて、いないことにしておきゃ、こちらは問題ないのだが・・・。
◇
「つくる会」には二重三重の錯誤がある。
なんちゅうか、日本教育再生機構は、そもそもは、八木秀次理事長のもとに集った人材の組織だぜ?
「つくる会」と、八木秀次&若手学者・論客を、正義の秤にかけた結果、針が八木側に振り切れた結果の日本教育再生機構の旗揚げである。
なんで、八木理事長を排除してまで、忌むべき「つくる会」と「合流」しなくちゃならないんだよ。
また、再生機構側に、「合流」とやらを、「つくる会」会員に内緒で申し込みつつ、それが失敗すると、なんか知らないが、それさえも「収穫」であるかのように発表している。
もう、何がなにやら分からない・・・。
昨日、もう、今となっては懐かしい思い出でもある<「つくる会」内紛>・・・、その元凶が一人である西尾幹ニの講演会があったそうで、
その講演会の最後に、現在の<「つくる会」漂流>の一連の流れについて、西尾がなんか語ったのだそうだ。
いや、あんたの、自分の言動に責任を持たない態度が、<「つくる会」完全沈没>の一番の原因だと、いまだに分かっていないことを如実に表わしているなぁ。
かつて、自分が外務大臣(当時)なのに、外務省役人の汚職などに際し、田中真紀子が「困りましたねぇ~」などと人ごとのようにニュースで語っていたが、
西尾幹二も、シラーッとして、現在の「つくる会」首脳を批判しているんだろう。
あなたこそが、過去も現在も「ミスター・つくる会」で、
その社会運動体・「つくる会」自身が、もはや、社会に何ら影響がないにもかかわらず!
でも、この期に及んで、教育再生機構批判を繰り広げていたとしたら、それはそれで立派だが、
溺れてなお、石を投げられるだろう!!!
(2013/03/10)
≪★「つくる会」が育鵬社への合流を哀願…2カ月隠蔽 (2013/03/02)≫
このリンク記事の内容のように「哀願」ならば、「つくる会」の一部を排除しつつ吸収するも、教育再生機構・育鵬社・教科書改善の会ともども、やぶさかではないのだが、
実際は、「合流してやる、但し、教育再生機構の理事長は排除せよ」と言うトンチンカンなことを言い出しているのが「つくる会」である。
そもそも、日本教育再生機構は「つくる会」を、全く 相手にしていないのである。
「百害あって一利なし」の存在としか思えなくなってしまっている。
こっちが、しょうがなく相手をしてやる時は、相手が石を投げてきた時だけなのである。
精神的なものならば無視し、こちら陣営の保守活動を粛々と行なうだけなのだが、
物理的に何らかの危害を加えてきたときは、それに対し、何らかのリアクションせざるを得ない。
すると、「つくる会」は、そのリアクションに対し、涎を垂らし狂喜乱舞するのだ。
「ああ、俺らはまだまだまだ保守的な活動の中心にいられる!(≒まだ、捨てられてない!!)」=ストーカー心理
いや、悪いけど、相手にしてませんよ、みんな、あんたらを・・・。
「つくる会」と絡むのは、時間の無駄だからやだもん。
なんつーか、四方八方に斬りつける殺人鬼が、こちらに交際を申し出てきて、「交際するから、あんたの腕を切らせてくれ!」と言っているみたいなものだ。
殺人鬼であること自体が問題で、
こちらに交際を申し出てくるのも、自分らが同程度と見られているという、屈辱&迷惑の極みで、
なんで、大事な腕を切り落とさせられなくちゃならんのだ。
こっちゃ、踏んだり蹴ったりじゃん。
「つくる会」なんて、いないことにしておきゃ、こちらは問題ないのだが・・・。
◇
「つくる会」には二重三重の錯誤がある。
なんちゅうか、日本教育再生機構は、そもそもは、八木秀次理事長のもとに集った人材の組織だぜ?
「つくる会」と、八木秀次&若手学者・論客を、正義の秤にかけた結果、針が八木側に振り切れた結果の日本教育再生機構の旗揚げである。
なんで、八木理事長を排除してまで、忌むべき「つくる会」と「合流」しなくちゃならないんだよ。
また、再生機構側に、「合流」とやらを、「つくる会」会員に内緒で申し込みつつ、それが失敗すると、なんか知らないが、それさえも「収穫」であるかのように発表している。
もう、何がなにやら分からない・・・。
昨日、もう、今となっては懐かしい思い出でもある<「つくる会」内紛>・・・、その元凶が一人である西尾幹ニの講演会があったそうで、
その講演会の最後に、現在の<「つくる会」漂流>の一連の流れについて、西尾がなんか語ったのだそうだ。
いや、あんたの、自分の言動に責任を持たない態度が、<「つくる会」完全沈没>の一番の原因だと、いまだに分かっていないことを如実に表わしているなぁ。
かつて、自分が外務大臣(当時)なのに、外務省役人の汚職などに際し、田中真紀子が「困りましたねぇ~」などと人ごとのようにニュースで語っていたが、
西尾幹二も、シラーッとして、現在の「つくる会」首脳を批判しているんだろう。
あなたこそが、過去も現在も「ミスター・つくる会」で、
その社会運動体・「つくる会」自身が、もはや、社会に何ら影響がないにもかかわらず!
でも、この期に及んで、教育再生機構批判を繰り広げていたとしたら、それはそれで立派だが、
溺れてなお、石を投げられるだろう!!!
(2013/03/10)
蘭さん、開店おめでとうございます!!機会があれば行きたいと思います。
つくる会は終焉が差し迫っています。今まで、つくる会にいろんな意味で尽くしてきた自分としては涙が出る思いですが、致し方ないです。敗北は敗北で認め、教育再生会機構に教科書運動のこれからを託すのが男らしい態度だと思います。
何度でもいいますが、勝手に「講和交渉」をした杉原たち、そして保守面をしながら中国共産党に媚を売りまくっている加瀬たちは、絶対に許しません。そのためにもこれからもしばしば蘭さんに情報提供いたしたいと思います。
是非、来て、楽しいお話をお聞かせください。
狭い店なので、他にお客様がいるとカオス状態になりますが、それも楽しいものです^^
掲示板の方の天バカ板では、ここ一年ばかり拙稿が長文化し過ぎたんで、そろそろ比較的短いのを出す路線にしようかと考えてる最中です。(でも、どっちみち長くなるんだろうけど。)
ところで、そろそろ無関係な宣伝投稿が目に余り始めたんで、ちょいとばかり掃除の手を入れて貰えないかしらと。これまで単発の宣伝闖入は放置してきたけど、どんどんレスを積み重ねる形式で長文化した流れの中に余計な宣伝が入ると困ってしまう。
掃除して貰えれば苹の最新稿が出てくる筈です。此度の盗作訴訟に関する見解を少し書いて置きました。併せて御覧いただけるなら幸甚と存居候。頓首。
なんで、短冊かというと、色紙よりも、縦長方形の紙の方が格好いいからです。
もし、余裕ある時ならば、是非、お願いします^^
宣伝投稿は削除しました。
中には、投稿の意味のわからないものもありますな^^;
では、最新投稿を読ませて頂きます^^
漢字オンリーなら日下部鳴鶴系の楷書や隷書が書きやすいけど、素人が漢訳しても恥曝しになるのが関の山。おちょくり塾でキルドンム様に頼んでみようかしら(セレブ奥様ブログでは最近御無沙汰)。ネット上では、見た目そっち系で面白かったのが國學院の北川博邦ご老公でした(↓)。
http://www.shodo.co.jp/blog/hidai2010/2010/04/post-37.html
http://kyozu6.exblog.jp/12974060/
書く文言がどうであれ、ともかく短冊を買ってきますネ。印はありません(抑も小さいのを刻ってない)。…送り先はどうすればいいかなあ。送り主の署名は住所無記入のHNで郵送するつもり。それでよければ。
件の削除に感謝。でも実は目当てのがコピー時計の宣伝稿で、今は最上階にある「批評と臨床」再掲シリーズに紛れ込んだのが逆鱗に触れたのね。これを是非、削除していただきたく。他のは素朴な単発だから、或いは拙の留守中を埋めてくれたのかナと思ってたんだけど、今回ばかりはイケマセン。「2013/04/03 (Wed) 18:30:07」稿の事です。
もう、短冊買っちゃいましたか?
本格的な話になってきたので、文面を含めて、もうちょい検討しましょう。
先ず、苹さんは、短冊がいいと思いますか?色紙がいいと思いますか?
カタカナや感嘆符はやめにしましょう。
でも、平仮名は入れてもいいでしょうか?
文面が柔らかくなりそうなので^^
文面は、ちょいと弟と検討させてください。
送り先は、そのうち、こそっと「掲示板」に載せて、すぐに消そうと思います。
では、これから、「時計のコピー」スパムを消してきます。
PS・それから、以前話した知り合いのお父さんの書家ですが、「柘植」という苗字でした。
その人は、国立に住んでいましたが、お父さんはどこかは知りません。
学校の掲示物や卒業証書などは定型があって無難なのに対し、そうでないものは難しい様です。昔読んだ1986年刊の中西章『広告における書道ディレクション』(誠文堂新光社)に書いてあったと記憶しますが、筆文字ロゴに非伝統的で下品な字が多いのは、注文主が出鱈目で無教養な判断をくだす~つまり単なる好き嫌いの感覚で選択するケースが多いためらしい。その結果が前掲書の二十年後、双雲や紫舟の様な鋭角的誇張に繋がっていく。注文主の希望に合わせて書くと誰でもそうなりがちだけど、問題は伝統のリミッターを外せるか否か。そこを突き抜けて成功した典型が「龍馬伝」かと。変わった趣味の「美の壺」も石川九楊あたりがネタ元では。あれを選択した人の好みが透けて見える。
注文主の好みと関係なく書く人は、その人の書風自体が注文主から予め選択されている。この方がよほど清々しいとも云える訳ですが、他方では今、伝統的な書家が選択されにくい傾向もまた透けて見えてくる。その点、旧世代に属する黒澤明はよく目の利いた伝統派らしく、好みが今井凌雪に偏っていた。~これらの事を念頭に置けば、よく分からぬ人への注文がどれだけ危険か分かる筈。好みに合わない伝統も、好みに合った無教養も、無自覚なまま人前に出す危険を天秤に掛ける上で、どちらにも「自覚の危険」が潜んでいるのと裏腹に自らを裏切る。
以下余談。
荒間様が定年退職してたそうで、おちょくり塾に先日ちょっくら記念カキコして置きました。そちらも御覧いただければ幸甚。
今、弟と色々とお願い文を考えています。
店の名前を考えるときも、すごく悩んだのですが、今回は、もっと悩んでいます。
一週間以内に、この場で返答します^^
取り敢えず、こちら天バカ板の本家にも書いて置きます。あちらの天バカ板(↑)に連ねた通り、幾つかの確認を要します。先ずは紙のサイズが確定してから、リハビリを兼ねた練習(?)へと入る事になるでしょう。その段階で紙質の選定が始まります。紙に初めから練習用や清書用の区別があるのではなく(歴史的にも本来そんな区別はない)、書いた出来次第で「それが清書か練習か」が決まるので順序は逆です。
滲みや沈みの影響は大きく、墨の濃さとの兼ね合いもあります。和画仙では書きやすくとも本画仙では書きにくかったり、同じ紅星牌の本画仙でも綿連棉料と浄皮、単宣と重単宣と夾宣では書き味が違ったり(他にも羅紋とか)。その他、単一書風の人は大方の勘所が決まっていますが、紙に合わせて書風を変える仕方もあります。~書風が決まると筆(小筆?)が決まる。例えば日下部鳴鶴系なら温恭堂「一掃千軍」十号、国定手本乙種系なら使い慣れていたのは玉川堂「春の海」、鈴木翠軒系なら玉川堂「あさつゆ」てな具合に。そこに唐筆が加わり、「写巻」系だの狼毫だの色々と。
そんな感じですから、単一書風の人と違って試行錯誤に時間がかかるのは必定。どうせタダですし、気長にお待ちいただけるなら幸甚。~繰り返しますが、先ずは紙サイズ確定が「よーいドン!」の合図になります。苹頓首再拝。
気長に待ちまするよ^^
楽しみは、凄く楽しみです。
「葡萄」の文字も入れたいなぁ。
本当は、漢字だけで収めたいのですが、漢文の素養がなく残念^^;