『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[左翼の講演会に行ったyo!(前編)]

2011-12-04 23:44:27 | 保守の一考
☆職場の同僚に誘われたので、日野の公民館で行われる、左翼団体によって主催された講演会<沖縄密約 西山太吉の報告>を、休日だったこともあり、比較的近所だし、拝聴しに行った。

 何らかの一つの論理立てた主張は、得られるものがあると思うのだ。

 正直、なかなか面白かった。

 色々と考えさせられ、ためにもなった。

 この、西山太吉氏は、元毎日新聞の記者だそうで、沖縄返還に絡む「密約」取材などによって逮捕されたり、

 その後、相次ぐアメリカでの密約開示などの状況を受け、国を逆に訴えたりと、けれど一審二審ともに法律上は敗訴になるなど(裁判所は告発した状況の認定はしている)、波乱万丈の生活を送っている80歳の方だ。

 「小朝日」とも呼ばれる毎日新聞社だ。

 おそらく、彼の左翼的記者活動は、60年安保の時代をリードする要素の一つだったんだろうな、と思った。

 序盤は、やや同じ内容を繰り返した。

 それは、日米同盟が、アメリカの一方的な要求によるもので、沖縄施政権の返還に伴い為された密約の数々は、アメリカの国益に適う密約でしかなかったということ。

 日本人だと「密約」は「密約」として半永久的に隠匿されるが、アメリカは、それを、ある一定の期間が過ぎると発表するのだった(私は、そのアメリカの公文書開示の、左翼的な律儀さに、「あなた達寄りじゃないか」と思うのだが、それについての言及はない^^ 彼らにとっての敵国アメリカ…、長所は当然と思い、短所は糾弾し続けるわけだ)。

 それによると、安保は、これまで、その条文に一字一句の変更もないとされるが、締結十年後の1970年に、その内容に変質があり、それは沖縄返還と対によって為されたがゆえに、日本の自治が脅かされるような劣化であったと言うのだ。

 この方は、「情報公開訴訟」の原告の一人で、一審も二審も、裁判所は、密約の存在・政府の欺瞞をも認めているので一概に敗訴とは言えないとしている。

 二審においては、裁判官は被告に「(現在は無いとされる密約を)もっと探せ」「密約ゆえに、特別な人物が、特別な場所に、特別な仕組みで秘匿している」「あるいは廃棄をしている」とまで、その存在を推定までしている。

 これが、我々の勝利でなくて何なんだ、と言っている。

   ◇

 さて、私は、「情報公開」と言うものをこう考えている。

   「知識を真っ当に受容(判断)できないバカには、情報を与えるな!!」

 これについては、震災の「原発報道」と、それに「ヒステリック」に反応したバカどもによって、痛いほど裏打ちされた。

 「知る権利」を掲げるバカほど、その情報を知らない者以上に、派手に逸脱する。

   ◇

 また、「国家の嘘」についてだが、私はこう考えている。

 それは、物事のプロセスにおいて顕著となるものだろう。

 だが、私は、国家の政策とは、その結果(リザルト)こそを公式と見るべきだと考えている。

 何故なら、それ以外は「公式」ではない故に、「サブカルもどき」でしかないからだ。

 故に、「密約」云々の話は面白いが、それを大きな前提として話すと、公式に出た結論を踏みにじることになり、議論の土台がそもそも消え去ってしまうだろう。

 悪い例えだが、「氷山の一角」のイメージで、水面から出た部分の表層こそが「公式」であると考えれば分かりやすい。

 例えば、これは政治の問題とは少し違うが、「昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したとされる内容」の<富田(元宮内庁長官)メモ>が話題になったことがあるが、

 あれなど、公式化された情報ではないので、議論の土台に載せるべき内容ではない。

 故に、私などは聞いてて楽しいけれど、「密約」云々などは、歴史の大きな事件を構成する因子の中の小さなドットにしか思えない。

 最近、私はこんな文章を書いた。

 <・・・一部の人は、自分が100%正しい判断を下しているという、おこがましい考え方を捨て去るべきだ。
 世の中に、100%正しいことなんて存在しないし、そう吹聴しているヤツの多くが、八割がた間違っている。
 「全員」から好意を得ようと下心を押し隠して邁進する…、その帰結が、民主党政権である^^;
 何かの判断を下そうとする時、個人の経験則で答えを出すのも危険だ。
 世の中の「問題」とは、往々にして「例外」から生じるからだ。
 何か答えを求める時は、そこに、経済的損得感情ではない「天秤」を持つべきだ。
 なるべく多くの情報(構成因子)を集め、それを、最低でも二元論の秤に掛けて、冷徹な答えを出そう。
 100%の正しさなどは存在しなくて、人は大なり小なりの「悪」を内包しなくちゃならないのが、世の常、だ・・・。>

 密約などは、私は、天秤に掛けて、相対的に「正しい」ほうの、『内包せし「悪」』の許容範囲にしか思えない。

 私などは、密約が密約として機能を果たし得た日本政府こそを凄いと思う。

 こんなことも私は書いた。

 <・・・(カンボジアのアンコール遺跡近在の土中から)274体の廃仏の<大発見>があった。
 これが示す、アンコール末期の状況とは!?
 そう・・・、国王のヒンドゥー教・シヴァ派への回帰に伴い、国をあげた「反仏教キャンペーン」が、国民の隅々まで行き届いた結果を示しているのだ!
 確かに、仏教徒にとっては迷惑な話であるが、ヒンドゥー回帰の王・ジャヤヴァルマンⅧ(8)世やインドラヴァルマンⅡ世の統治は、うまく行っていたことを如実に表わしているのだ。
フランス極東学院の見解によると、ジャヤヴァルマンⅦ(7)以降の王は、疲弊のままに衰退していた筈なのである。・・・>

 国が「機能」していると言うことは、「継続されるべきものが継続されている」と言うことなのである。

   ◇

 西山太吉氏は、安保について更に語る。

 そこではじめて、「アメリカに安全保障(防衛)上の軍事力を肩代わりさせる日本」について、柔らかく言及する。

 ここで、普通の聴衆ならば、その論旨がおかしいことに気付くだろう。

 だが、この講演会に参加している人は分からない。

 アメリカとの同盟・・・、それがけしてアメリカの要求一辺倒でなく、巨大な「軍事力」を提供してもらっていることに。

 それは、大きな、凄まじく大きな「交換条件」である。

 本人も、それまでは「一方的」だとか「何も得るものがない」とか言っていたのだが、ここでは、話しのトーンを落とし、その言葉は使わない。

 使ったら、そこで論理が崩れてしまうからだ。

 自分で気付いているのだ。

 で、その微妙な流れを通り過ぎたら、「よしOK! やり過ごせた」とばかりに、また元気良く、アメリカ批判を始める。

 岸とアイゼンハワーによる新安保条約は、当時、保守派も反対していた、と言う。

 私などは、「当たり前じゃん」とも思う。

 他国に自国の防衛を任せる国なんて、あり得ない。

 が、それを締結しなくちゃならない程に、敗戦は日本をがんじがらめにしていたのだ。

 ここでまた、西山太吉氏に疑問が湧いた。

 ならば、この人は、日本が自前の軍隊を持つことに賛成なのか?^^

 だが、この人は、それについても絶対に言及しない。

 ただ、延々と、アメリカ批判と日本政府の欺瞞を言い募るのみなのである・・・。

 では、あなたの望むとおり、「情報公開の貫徹」また、「アメリカ軍の完全撤退」を成し遂げた後に、日本政府がどうすべきかのビジョンが皆無なのである。

 ただ、同盟国アメリカ、そして、日本政府の欺瞞をあげつらうのみなのである・・・。

 ああ、この既存の存在の破壊のみ目指す、代替案の皆無さは、まさに「左翼の闘士」なのだなぁと実感した。

 ・・・毎日、東京電力供給の電気に世話になっておいて、原発事故に対しては、偏見の憎悪を募らせるおばさんたちに似ている・・・。

   ◇

 昨日、母親と車に乗っていたら、国道16号線の拝島橋南周辺で道路の大幅拡張工事を行っていた。

 母親が言った。

「うわ、こんなに広くして、家を立ち退かせるのも金がかかって大変でしょうね。税金の無駄使いよ^^;」

 私は答えた。

「いや、無駄にも思えることをやり遂げられるのが国とか地域行政だよ・・・」

「まあ、そうね」

 ・・・そういった「無駄」を糾弾する、左翼の常套手段こそ、「無駄」であり「野暮」である・・・。

   ◇

 眠いので、今夜は寝ます。

 続きは明日^^

                                                       (2011/12/04)
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[映画『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』を観た]

2011-12-04 10:27:32 | 物語の感想
☆遅ればせながら、見て来ましたよ^^

 きっちりとではあるけど、「チャッチャッと現代風に作りましたよ」てな作品だと思いきや、

 極上の出来だったので驚いています。

 3点で優れている。

 一つに、「三銃士」の活躍する時代の絢爛豪華たる舞台美術の秀逸さ…、CGに頼っているばかりではないだろう。

 「どんだけ金がかかっているんだよ」「うまく撮影許可を得たなぁ」と思わせられる王宮やパリ市街の俯瞰映像や、宮庭や市場のモブシーンは映画的なリアルを貫徹させていた。

 状況を説明する舞台ミニチュアの多用もまた、物語の要所要所を味わい深くしていた。

 メイン登場人物は、そのビジュアルが、顔見世1アクションの終わりに画面上で肖像化され、名前の字幕が入るという、「安易な分かりやすさ」と揶揄されるものにスタイリッシュさを加味するテクニックが使用されている。

   ◇

 二つ目に、個々の役者の、それぞれの格好良さと個性の自然な峻別があろう。

 三銃士の三人(アトス・ポルトス・アラミス)も、やや典型的だが、それぞれ、男が見ても惚れ惚れするような格好良さがあるし、ダルタニアンは無鉄砲で可愛い。

 はぁ…、去年の<ナカデミー賞>受賞のミラは、もう、彼女しか出来ない、女の良さも悪さも包括した「峰不二子」的なキャラクターを嬉々として演じている。

 楽しそうだし、見ている私も呆れつつ楽しい^^

 悪役のバッキンガム公爵や宰相リシュリュー、ロシュフォール隊長なども、それぞれの役者がノリノリで演じているので見ていて心地良い。

 ルイ13世だが、王族らしい能天気さを持つ少年だが、ダルタニアンとの交流の中で、人間として成長をしていく様がコミカルに描かれ、「うは、サイドストーリーでこんな風に描くなんて、深い!」と感動した。

 侍女役の娘は、これはもう天使か妖精みたいに可愛かった^^

 無垢であり、「ツン」である。

 私、とろけそう^^;

   

 でも、それとは全く違うベクトルで、若い王妃も高貴で美しかった。

 あごのラインと、毅然とした立ち居振る舞いが素晴らしかった。

 三銃士の侍従・プランシェットは、最後の最後まで苛められていて楽しかったなぁ^^

   ◇

 第三に、そのスピーディーな展開が良かった。

 ダルタニアンと三銃士の集結のシーンなど、ダルがそれぞれの銃士とイザコザを起こし、ほぼ同時刻に決闘することになり、

 しかし、そこで、三銃士とダルが別個に因縁を持っているロシュフォールの衛士隊がやってきて、共闘し大立ち回りを演じると言う無駄のなさ。

 アンヌ王妃も、罠にはまって苦悩するよりも、すぐにリシュリューの策略と見抜き、糾弾に行き、すっとぼける宰相に、「目を見れば分かるから、見に来た」と言い放ち、すぐに解決を、侍女を通し三銃士に依頼するのだ。

 バッキンガム邸の襲撃も、ド下手な「シャーロック・ホームズ」の作り手に見せたいほどの「シンプルに捻ったモンタージュ」で、非常に痛快だった。

 ・・・普通に王道の物語だが、展開のコマ落としや、アクションのキレ、役者のキッチリとまとめた演技で、こんなにも、極上のエンターテイメントに仕上がるのだなぁ、と感動した。

 ポール・W・S・アンダーソン監督の手腕に脱帽!

 しかし、この人、エンディングの大風呂敷が好きだよね^^;

 続編が出来そうだけど、あの「大軍勢」をどうやって収拾つけんのよっ!!!

   PS.この感想は、出掛ける直前に書いているので、後で文章を少し直しますね^^

      では、『1911』を観て来ます^^

                                                      (2011/12/04)
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