☆映画の始まる前は、一緒に行った娘と、こんな会話をしていた。
「『櫻の園』じゃなくて、『シャクレの園』だったらどうする? (顔をシャクレさせながら^^;) お前らは『クッキングパパ』かって~の!?」
「あははは^^」
そしたら、物語の最初に出てきた主人公が、やや受け口だったので、笑えなかった^^;
その主人公を、福田沙紀が演じたのだが、よく「線の細い女」とか表現される言葉があるが、福田嬢は、恐ろしく「線の太い女」だった。
彼女のファンには悪いが、お嬢様学校・桜華学園(だっけか?)の生徒に、こんなにも不似合いな娘っ子はいないだろう^^;
女子プロレスのかわいこちゃんてな風情だ。
それが気になって気になって、物語の前半は全く距離を置いた鑑賞になった。
ヴァイオリンの天才児であり、反逆児でもある主人公・・・。
その冒頭の役作りは、『4分間のピアニスト』のパクリだわな。
◇ ◇
物語は、至ってベタであった。
・・・過去に事件があり、学内での上演を禁止されていた戯曲「櫻の園」を、それを行なうことで友情結ばれた生徒たちが、何とかして学校に認めてもらうまでの物語だ。
そして、映画の撮り方も、至って「散文」的だった。
それは無駄のない完璧さとは違った「ベタ」な展開だった。
私は、この監督、こんな作品を作りたくて、自分の作品をリメイクしたのかよ! と、いささかシラケかけていた。
・・・しかし、編入の難しいお様様学校に転向してきた主人公・桃に反感を抱いていた学級委員長・赤星さん(寺島咲)が、女子校ゆえの中性的な魅力の学園のアイドル・葵さん(杏)への淡い恋心を見せはじめた頃から、物語は俄然面白くなる。
ああ、今、思い出しても、胸がキュンとなる!
◇ ◇
『魍魎の匣』では、演技派の谷村美月と対で出演していた寺島嬢で、可愛い顔だと記憶していた。
しかし、この作品では、スッピンに近い顔で、上品な役だが、地味であった。
・・・赤星さんは、学級委員長として、転校生の桃の学校案内をする。
最後に案内したのが、陸上部で棒高跳びをする葵のいる校庭だった。
後に、葵が、桃が演じようとする「櫻の園」の演劇に参加し、二人が接近していくと、気になって気になってしょうがない。
そして、つい、後を追っていった時、葵に劇への参加を促される。
参加はしてみたけれど、葵の前だからだろうか? 不慣れで恥ずかしいからだろうか、声が出ない。
そこで、こちらには、演劇部の中での孤立が感じられるのだが、映画の作り手は、そんな余計なトコではストレス展開をしない。
ただ、赤星さんが、懸命に、劇団の中で大きな位置を占めていくのを丹念に描く。
赤星さん演じる寺島咲は、「無力な瞳」と、「わずかに感情の起伏を表わす頬」と、葵への恋を抱く「心の強さ」を存分に発揮する。
私は見ながら、赤星さん、頑張れ! と思った。
◇ ◇
桃は、わりと強い性格だが、もちろん若いので、欠点もある。
リーダーとして、みんなの意見を受け入れられない時も多々あるし、不満をすぐに顔に出す。
そこに、作り手の「予定調和」を是としない意気込みも感じられるし、何よりも、若者を描く上でのリアルを感じた。
◇ ◇
葵は葵で、ボーイッシュさで人気である自分に、女らしさを求めていた。
そこで、赤星さんとの対話が生まれる。
葵に憧れる赤星さん。
女らしい赤星さんを羨む葵。
しかし、その対話の中で、葵は、赤星さんの自分への「特別な想い」を感じ戸惑う。
だが、それも、クライマックスに向け、サラリと流される。
◇ ◇
物語は、色々あって、学園での上演が許され、舞台直前のメンバーの姿で終わる。
舞台「櫻の園」の主人公の女に扮した葵(美しい)。
現在の<櫻の園>の領主となった男を演じる赤星さん(恐ろしく美しい)。
赤星さんが、二人の晴れ姿を、写メに収めようとするシーンに泣けた。
葵が屈託なく、赤星さんに顔を近づける。
赤星さんはメークをして派手な顔になっていたのに、この瞬間、喜びの絶頂の無表情になってしまっているのだ。
私は、こんなにも可愛らしいシーンを他に知らない。
そして、葵は、赤星さんに、緊張を解くおまじないとして、抱擁する。
この瞬間、私の心は赤星さんにシンクロしてしまい、もうドキドキのの絶頂だ。
私は、凄まじく感動してしまった。
赤星さんにとって、今、この瞬間が、青春のクライマックスなのだ!
そこまでを、丹念に描いてきた作り手に、私は「コングラッチレーション!」と叫ぶしかない。
物語の中で、11年前の上演禁止の当事者であった担任教師(菊川玲)も、桃の姉(京野ことみ)も、その「青春のクライマックス」を演じられなかったばかりに、悔やんで生きている。
しかし、赤星さんは、それを得られた。
桃は、この時点では、物語の「狂言回し」の役割となっている。
でも、その二人を見つめる桃の視線は優しい・・・。
◇ ◇
ちなみに、『シャクレの園』についてだが、物語の途中で、桃は、とあるライブハウスで上演しようと考える。
クラスメイト二人と、そのライブハウスを訪れた時、その二人は、ライブハウスの舞台に上がり、「猪木の真似」をするのだった。
二人は、あごをシャクレさせるのだった^^;
◇ ◇
(おまけ)・・・私は、『櫻の園』を観て、過去に書いたこのエントリーを思い出したので、どうか、読んでみて欲しい。
[儚き美しさ 生涯一首の歌人・樋口リカ (2004/05/16の再掲)]
・・・限界のある美しさ
5/2の産経新聞にこんな短歌が載せられ、評されていた。
『 黒板に書かれたことが全てなら白いチョークを一つ下さい 』
私は、普段は、この歌壇・俳壇のコーナーに目を通すことなどはほとんどないのだが、偶然、目についた・・・。
作者の名は樋口リカさんだそうだ。
途端に、私は、とてつもないドラマが、「バーン!」と頭に広がり、感動した。
女学生が、何らかの苦難にぶつかったのだろう。
それは、彼女の、初めての、<人生における障害>であったのかも・・・。
それまで、何不自由なく生活してきて、おそらく、大それたことなどではなく、生活の中でのささやかな願望は、常に達成してしかるべきだと、信じて疑ってこなかった<夢見る乙女>の終焉のときだったのかも知れない。
評者の福島泰樹氏が、その評で語ってくれている。
『・・・(この歌を)唇にのせた途端、鮮烈な感動が体を走った。作者に会うべく車を飛ばした。校長室に入って来たのは、セーラー服の清楚な少女だった。
大学に入り、演劇をやりたい。しかし家の事情で、許してもらえない。思い余って先生に相談した。すると、それが君の運命だよ、という返事が返ってきた。生まれて初めて短歌を書いた・・・』
この女の子は、その後、この歌が福島泰樹氏の目にとまり、多くのメディアで紹介され、娘の演劇への進路を許さなかった父親の心を動かしたと言う。
この歌における、この高校生の主張は、あまりにも穏やかで、無力でもある。
私は、そのせめてもの<抵抗>に涙さえ出そうになる。
「黒板に自分の想いを書く」、そんな、はたから見たらささやかな事が、この高校生の精一杯の<過激な反抗>なのである。
・・・おそらく、育ちがいいのであろう。暴力的な発想が微塵も感じられない。
しかし、そう言わせている心情には芯の強さが窺われ、毅然としていて、揺るぎない。
彼女の暮してきた環境から生成させられる<決断>としては、最も激烈なる思いであるだろう。
そう・・・、彼女の生活においては<限界>があり、この短歌には、この女子高生・樋口リカさんの限界バリバリの過激な思いが込められているのだ。
人の心を打たないわけがない。
清く、正しく、美しい、究極の歌である。
私は、この樋口リカさんに、今読んでいる『竜馬がゆく』のお田鶴さまに似た崇高さを感じました^^
坂本竜馬への想いがある。深い思いがある。
しかし、彼女には、身分が下の竜馬とは婚姻など想像だに出来ない<限界>を持っている。
その美しさは、川端康成が『雪国』で描いた、<見返りを求めぬ愛の美しさ>に通づるものを感じる。
福島泰樹氏は、こう書いている。
『・・・(彼女と)六年ぶりに電話で話をした。以後、歌は書いていないと言う。ならば、生涯一首、一度だけの短歌であるのか。・・・』
福島氏は、寂しそうである。
でも、しょうがなく、そう言うものでもあるのだ<歌>は・・・、と悟っているようにも思える。
(2004/05/16の再掲)
◇ ◇
(2008/11/09)
「『櫻の園』じゃなくて、『シャクレの園』だったらどうする? (顔をシャクレさせながら^^;) お前らは『クッキングパパ』かって~の!?」
「あははは^^」
そしたら、物語の最初に出てきた主人公が、やや受け口だったので、笑えなかった^^;
その主人公を、福田沙紀が演じたのだが、よく「線の細い女」とか表現される言葉があるが、福田嬢は、恐ろしく「線の太い女」だった。
彼女のファンには悪いが、お嬢様学校・桜華学園(だっけか?)の生徒に、こんなにも不似合いな娘っ子はいないだろう^^;
女子プロレスのかわいこちゃんてな風情だ。
それが気になって気になって、物語の前半は全く距離を置いた鑑賞になった。
ヴァイオリンの天才児であり、反逆児でもある主人公・・・。
その冒頭の役作りは、『4分間のピアニスト』のパクリだわな。
◇ ◇
物語は、至ってベタであった。
・・・過去に事件があり、学内での上演を禁止されていた戯曲「櫻の園」を、それを行なうことで友情結ばれた生徒たちが、何とかして学校に認めてもらうまでの物語だ。
そして、映画の撮り方も、至って「散文」的だった。
それは無駄のない完璧さとは違った「ベタ」な展開だった。
私は、この監督、こんな作品を作りたくて、自分の作品をリメイクしたのかよ! と、いささかシラケかけていた。
・・・しかし、編入の難しいお様様学校に転向してきた主人公・桃に反感を抱いていた学級委員長・赤星さん(寺島咲)が、女子校ゆえの中性的な魅力の学園のアイドル・葵さん(杏)への淡い恋心を見せはじめた頃から、物語は俄然面白くなる。
ああ、今、思い出しても、胸がキュンとなる!
◇ ◇
『魍魎の匣』では、演技派の谷村美月と対で出演していた寺島嬢で、可愛い顔だと記憶していた。
しかし、この作品では、スッピンに近い顔で、上品な役だが、地味であった。
・・・赤星さんは、学級委員長として、転校生の桃の学校案内をする。
最後に案内したのが、陸上部で棒高跳びをする葵のいる校庭だった。
後に、葵が、桃が演じようとする「櫻の園」の演劇に参加し、二人が接近していくと、気になって気になってしょうがない。
そして、つい、後を追っていった時、葵に劇への参加を促される。
参加はしてみたけれど、葵の前だからだろうか? 不慣れで恥ずかしいからだろうか、声が出ない。
そこで、こちらには、演劇部の中での孤立が感じられるのだが、映画の作り手は、そんな余計なトコではストレス展開をしない。
ただ、赤星さんが、懸命に、劇団の中で大きな位置を占めていくのを丹念に描く。
赤星さん演じる寺島咲は、「無力な瞳」と、「わずかに感情の起伏を表わす頬」と、葵への恋を抱く「心の強さ」を存分に発揮する。
私は見ながら、赤星さん、頑張れ! と思った。
◇ ◇
桃は、わりと強い性格だが、もちろん若いので、欠点もある。
リーダーとして、みんなの意見を受け入れられない時も多々あるし、不満をすぐに顔に出す。
そこに、作り手の「予定調和」を是としない意気込みも感じられるし、何よりも、若者を描く上でのリアルを感じた。
◇ ◇
葵は葵で、ボーイッシュさで人気である自分に、女らしさを求めていた。
そこで、赤星さんとの対話が生まれる。
葵に憧れる赤星さん。
女らしい赤星さんを羨む葵。
しかし、その対話の中で、葵は、赤星さんの自分への「特別な想い」を感じ戸惑う。
だが、それも、クライマックスに向け、サラリと流される。
◇ ◇
物語は、色々あって、学園での上演が許され、舞台直前のメンバーの姿で終わる。
舞台「櫻の園」の主人公の女に扮した葵(美しい)。
現在の<櫻の園>の領主となった男を演じる赤星さん(恐ろしく美しい)。
赤星さんが、二人の晴れ姿を、写メに収めようとするシーンに泣けた。
葵が屈託なく、赤星さんに顔を近づける。
赤星さんはメークをして派手な顔になっていたのに、この瞬間、喜びの絶頂の無表情になってしまっているのだ。
私は、こんなにも可愛らしいシーンを他に知らない。
そして、葵は、赤星さんに、緊張を解くおまじないとして、抱擁する。
この瞬間、私の心は赤星さんにシンクロしてしまい、もうドキドキのの絶頂だ。
私は、凄まじく感動してしまった。
赤星さんにとって、今、この瞬間が、青春のクライマックスなのだ!
そこまでを、丹念に描いてきた作り手に、私は「コングラッチレーション!」と叫ぶしかない。
物語の中で、11年前の上演禁止の当事者であった担任教師(菊川玲)も、桃の姉(京野ことみ)も、その「青春のクライマックス」を演じられなかったばかりに、悔やんで生きている。
しかし、赤星さんは、それを得られた。
桃は、この時点では、物語の「狂言回し」の役割となっている。
でも、その二人を見つめる桃の視線は優しい・・・。
◇ ◇
ちなみに、『シャクレの園』についてだが、物語の途中で、桃は、とあるライブハウスで上演しようと考える。
クラスメイト二人と、そのライブハウスを訪れた時、その二人は、ライブハウスの舞台に上がり、「猪木の真似」をするのだった。
二人は、あごをシャクレさせるのだった^^;
◇ ◇
(おまけ)・・・私は、『櫻の園』を観て、過去に書いたこのエントリーを思い出したので、どうか、読んでみて欲しい。
[儚き美しさ 生涯一首の歌人・樋口リカ (2004/05/16の再掲)]
・・・限界のある美しさ
5/2の産経新聞にこんな短歌が載せられ、評されていた。
『 黒板に書かれたことが全てなら白いチョークを一つ下さい 』
私は、普段は、この歌壇・俳壇のコーナーに目を通すことなどはほとんどないのだが、偶然、目についた・・・。
作者の名は樋口リカさんだそうだ。
途端に、私は、とてつもないドラマが、「バーン!」と頭に広がり、感動した。
女学生が、何らかの苦難にぶつかったのだろう。
それは、彼女の、初めての、<人生における障害>であったのかも・・・。
それまで、何不自由なく生活してきて、おそらく、大それたことなどではなく、生活の中でのささやかな願望は、常に達成してしかるべきだと、信じて疑ってこなかった<夢見る乙女>の終焉のときだったのかも知れない。
評者の福島泰樹氏が、その評で語ってくれている。
『・・・(この歌を)唇にのせた途端、鮮烈な感動が体を走った。作者に会うべく車を飛ばした。校長室に入って来たのは、セーラー服の清楚な少女だった。
大学に入り、演劇をやりたい。しかし家の事情で、許してもらえない。思い余って先生に相談した。すると、それが君の運命だよ、という返事が返ってきた。生まれて初めて短歌を書いた・・・』
この女の子は、その後、この歌が福島泰樹氏の目にとまり、多くのメディアで紹介され、娘の演劇への進路を許さなかった父親の心を動かしたと言う。
この歌における、この高校生の主張は、あまりにも穏やかで、無力でもある。
私は、そのせめてもの<抵抗>に涙さえ出そうになる。
「黒板に自分の想いを書く」、そんな、はたから見たらささやかな事が、この高校生の精一杯の<過激な反抗>なのである。
・・・おそらく、育ちがいいのであろう。暴力的な発想が微塵も感じられない。
しかし、そう言わせている心情には芯の強さが窺われ、毅然としていて、揺るぎない。
彼女の暮してきた環境から生成させられる<決断>としては、最も激烈なる思いであるだろう。
そう・・・、彼女の生活においては<限界>があり、この短歌には、この女子高生・樋口リカさんの限界バリバリの過激な思いが込められているのだ。
人の心を打たないわけがない。
清く、正しく、美しい、究極の歌である。
私は、この樋口リカさんに、今読んでいる『竜馬がゆく』のお田鶴さまに似た崇高さを感じました^^
坂本竜馬への想いがある。深い思いがある。
しかし、彼女には、身分が下の竜馬とは婚姻など想像だに出来ない<限界>を持っている。
その美しさは、川端康成が『雪国』で描いた、<見返りを求めぬ愛の美しさ>に通づるものを感じる。
福島泰樹氏は、こう書いている。
『・・・(彼女と)六年ぶりに電話で話をした。以後、歌は書いていないと言う。ならば、生涯一首、一度だけの短歌であるのか。・・・』
福島氏は、寂しそうである。
でも、しょうがなく、そう言うものでもあるのだ<歌>は・・・、と悟っているようにも思える。
(2004/05/16の再掲)
◇ ◇
(2008/11/09)