2日続けて訃報が飛びこんできました。
一人は日本クラウン(クラウンレコード)のディレクターさん、
そしてこのような記事を書かずにいられない作曲家・片山隼さん。
えらく長~い文ですが時系列で紹介し、哀悼を捧げます。
一報を知らせてくれたのは片山さんの作品をいくつか唄っている
歌手・八汐亜矢子さん、「織田信長」「冬航路」「柳ヶ瀬恋灯り」など
ヒット曲があります。
5/4 八汐亜矢子→ 西村先生❗
いつもありがとうございます。先月末に片山隼先生がお亡くなりに
なりました。一ヶ月ほど入院しておられましたが、最後にお見舞いは
1週間まえでしたがお元気に話されもうすぐ退院するお話しでした。
突然の訃報に驚きました。ステージで「柳ヶ瀬恋灯り」「冬航路」
「奥美濃ブルース」など先生を偲び歌っております。
ママさんも亡くなり先生も、と寂しい岐阜になりました。
(作詞の吉岡治さんの自筆歌詞)
★八汐亜矢子さんとは奇しくも2017年の今日、5/4にFACEBOOKでの
つながりから始まった。数十年前に「冬航路」を書いて以来のSNSでの
再会だった。以下そのときのやりとり。
八汐亜矢子→ 西村先生、有難う御座います。
フェイスブックからまた先生にご縁を頂き、懐かしさと先生の作品の
すばらしさに改めて感動しました。
私をイメージしてすばらしい歌詩を作ってくださり、
身に余る光栄なことです。
私は母が岐阜出身ですので、故郷そのものです。
前は東京から今は大阪からと、中部地区のお仕事が多く皆さまに
大変かわいがって頂いております。ぜひ先生の歌詩を片山先生と
ご相談してみたいと思っております(-_-)
お心にかけて頂き有難う御座います(^^)
★八汐亜矢子さんの投稿への返信。
え~~~~悲しい!激涙!
入院された時に連絡欲しかったです!
飛んでいってお見舞いに行きたかったです!
私が今日(こんにち)あるのはひとえに
片山隼さんのおかげです!それはかた時も忘れたことはありません!
岐阜で詞を書くという20代の若僧の噂を聞いて
私を発掘して何十篇もの作品でコンビを組ませてもらいました!
育ての親父が片山さんのママさんと親交があり、
ママともども二人には良くしてもらいました!
「奥美濃ブルース」をメジャー盤で発売するため
当時の岐阜の国会議員だった野田卯一さんの
チカラ添えで東芝EMIの社長との面会にも
3人で行きました。ママのお姉さんがやっていた
小料理屋さんではいつも好きなだけ、おいしい
料理を食べさせていただきました。
同じレコード会社つながりで、まだ売れなくて
くすぶっていた天童よしみサンを良く知っていたので
ママ経営のクラブのX'masショーに呼んだのも懐かしい思い出です!
ハッピー&ブルー、森本英世、美谷明、ジョージ松下、
箱崎晋一朗、葵ひろ子、曽根幸明先生、山口組の親分・・・
などなど走馬燈のように片山さんとの関りが思い出され、
胸を涙が這い上がり、これを書いています!
(作詞:西村道夫/作曲:片山隼 作品)
八汐さんにもつらいお別れが続きましたね。
それでもともに命のある限り生きねばなりません!
いつか必ずお会いして片山さんの尽きないお話をしましょう!
元気で麗しい歌と姿を見せてください!
八汐亜矢子 本当に大恩人を亡くしました。
私が大阪にご招待して片山隼先生とママさんの昔話を
必ずしますので、と約束をした翌日から元気になり、
楽しみにされていたそうです。
八汐が頑張らないと皆が良くならないから頑張っているのが嬉しいと
最後の私との会話でした。心に刻み頑張っていきます!
作曲家・片山隼さんはその道では知らない人はいないほどの
スチールギターの名手として活躍後、作曲家に転進。
岐阜に居を構え、多くの歌い手を発掘し作品を提供しレコード発売も
数え切れない。そのうちの20数枚は私を作詞に指名してもらい
20代半ばで歌書きの入口まで導いていただいた。
詳しくは「日本作詩大賞・優秀新人賞」を受賞したときに作成した
私のこれまでのバイオグラフィーを参照していただきたい。
(希望領布可)
追:永年、作品では3人が良き相棒だった作曲家・編曲家の
曾根幸明さんも鬼籍の人となってしまい、さびしい限りです。
一人は日本クラウン(クラウンレコード)のディレクターさん、
そしてこのような記事を書かずにいられない作曲家・片山隼さん。
えらく長~い文ですが時系列で紹介し、哀悼を捧げます。
一報を知らせてくれたのは片山さんの作品をいくつか唄っている
歌手・八汐亜矢子さん、「織田信長」「冬航路」「柳ヶ瀬恋灯り」など
ヒット曲があります。
5/4 八汐亜矢子→ 西村先生❗
いつもありがとうございます。先月末に片山隼先生がお亡くなりに
なりました。一ヶ月ほど入院しておられましたが、最後にお見舞いは
1週間まえでしたがお元気に話されもうすぐ退院するお話しでした。
突然の訃報に驚きました。ステージで「柳ヶ瀬恋灯り」「冬航路」
「奥美濃ブルース」など先生を偲び歌っております。
ママさんも亡くなり先生も、と寂しい岐阜になりました。
(作詞の吉岡治さんの自筆歌詞)
★八汐亜矢子さんとは奇しくも2017年の今日、5/4にFACEBOOKでの
つながりから始まった。数十年前に「冬航路」を書いて以来のSNSでの
再会だった。以下そのときのやりとり。
八汐亜矢子→ 西村先生、有難う御座います。
フェイスブックからまた先生にご縁を頂き、懐かしさと先生の作品の
すばらしさに改めて感動しました。
私をイメージしてすばらしい歌詩を作ってくださり、
身に余る光栄なことです。
私は母が岐阜出身ですので、故郷そのものです。
前は東京から今は大阪からと、中部地区のお仕事が多く皆さまに
大変かわいがって頂いております。ぜひ先生の歌詩を片山先生と
ご相談してみたいと思っております(-_-)
お心にかけて頂き有難う御座います(^^)
★八汐亜矢子さんの投稿への返信。
え~~~~悲しい!激涙!
入院された時に連絡欲しかったです!
飛んでいってお見舞いに行きたかったです!
私が今日(こんにち)あるのはひとえに
片山隼さんのおかげです!それはかた時も忘れたことはありません!
岐阜で詞を書くという20代の若僧の噂を聞いて
私を発掘して何十篇もの作品でコンビを組ませてもらいました!
育ての親父が片山さんのママさんと親交があり、
ママともども二人には良くしてもらいました!
「奥美濃ブルース」をメジャー盤で発売するため
当時の岐阜の国会議員だった野田卯一さんの
チカラ添えで東芝EMIの社長との面会にも
3人で行きました。ママのお姉さんがやっていた
小料理屋さんではいつも好きなだけ、おいしい
料理を食べさせていただきました。
同じレコード会社つながりで、まだ売れなくて
くすぶっていた天童よしみサンを良く知っていたので
ママ経営のクラブのX'masショーに呼んだのも懐かしい思い出です!
ハッピー&ブルー、森本英世、美谷明、ジョージ松下、
箱崎晋一朗、葵ひろ子、曽根幸明先生、山口組の親分・・・
などなど走馬燈のように片山さんとの関りが思い出され、
胸を涙が這い上がり、これを書いています!
(作詞:西村道夫/作曲:片山隼 作品)
八汐さんにもつらいお別れが続きましたね。
それでもともに命のある限り生きねばなりません!
いつか必ずお会いして片山さんの尽きないお話をしましょう!
元気で麗しい歌と姿を見せてください!
八汐亜矢子 本当に大恩人を亡くしました。
私が大阪にご招待して片山隼先生とママさんの昔話を
必ずしますので、と約束をした翌日から元気になり、
楽しみにされていたそうです。
八汐が頑張らないと皆が良くならないから頑張っているのが嬉しいと
最後の私との会話でした。心に刻み頑張っていきます!
作曲家・片山隼さんはその道では知らない人はいないほどの
スチールギターの名手として活躍後、作曲家に転進。
岐阜に居を構え、多くの歌い手を発掘し作品を提供しレコード発売も
数え切れない。そのうちの20数枚は私を作詞に指名してもらい
20代半ばで歌書きの入口まで導いていただいた。
詳しくは「日本作詩大賞・優秀新人賞」を受賞したときに作成した
私のこれまでのバイオグラフィーを参照していただきたい。
(希望領布可)
追:永年、作品では3人が良き相棒だった作曲家・編曲家の
曾根幸明さんも鬼籍の人となってしまい、さびしい限りです。