大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!!

安芸の宮島

2018-01-26 | 

広島駅前から厳島神社に行く。運賃は安いが時間の掛かる広島電鉄にするか、運賃が高いが時間が短いJR山陽本線か迷ったが乗車時間が短いJRで行くことにした。島に渡る桟橋に、厳島神社の大鳥居に最接近のJR宮島フェリーか宮島ゆき直行便の宮島松大汽船フェリー、2社がまた競っていた。大鳥居に最接近の言葉に釣られて宮島フェリーに乗ったが、松大汽船より僅かに内側を運航するだけで、期待した分だけガックリする。
 
 
ところで厳島神社のある島が、宮島なのか厳島と呼ぶのか分からなかった。古くは、市杵島姫神(いちきしまひめ)を祀り、別説に神に斎く(いつく:仕える)島として厳島と呼び、江戸時代以降は、お宮(厳島神社)のある島で宮島と呼んでいたと言う。行政区分では島全体が廿日市市宮島町となっているが、国土地理院による名称は厳島(かっこ書きで宮島)と表記されている。結局、よく判らないで終わった。
島に渡ったらガラガラを引いた外国人らしき人が多いのに驚く。厳島神社の途中にある豊国神社による。石段を上ると、千畳閣と呼ばれ、周りに板壁もない大きな木造の講堂みたいな建物がある。秀吉の死により工事が途中で中断され、板壁も天井の板もない未完成の状態のままとなっている。畳八百五十七枚分の広さがあるという。
 
 
内部にたくさんの絵馬が奉納されていた。
 
その中に本因坊丈和と赤星因徹が対戦し、白番の丈和が打った八の八、246手目を見て、赤星因徹は吐血して倒れたという「吐血之局(三妙手之局)」棋譜の絵馬と厳島神社御鎮座式年千四百年祭奉納囲碁大会を記念して藤沢秀行先生書の絵馬が奉納されていた。「磊磊」を読めなかったが、字書で調べたら「らいらい(磊磊)」は「石が多く積み重なっているさま、心が広いさま」とあった。秀行先生だったら、小事にこだわるなと言いそうだ。
外国人観光客でごった返している厳島神社はさらりとお参りして、神社出口正面に仁王門のある何かご利益を沢山聞いてくれそうな感じがする大願寺に行く。
 
 
山号は亀居山。院号は放光院という。
 
 
このお寺が第二次長州戦争の時、勝海舟と長州の広沢真臣、井上馨、長松幹等八人との会談が行われた場所で、その座敷というのが残っていた。
 
勝海舟の晩年の語録「氷川清話」では長州との会談場所が大慈院となっているが、「氷川清話」は海舟七十歳を過ぎてからの回顧談を纏めたもので、三十年前の寺院名などは記憶違いがあったのだろう。
大願寺から南に300mも行くと大聖院の急な石段が見えてくる。多喜山大聖院水精寺は宮島で最古の寺院で、厳島神社の別当寺として祭祀を司っていた。山門の周りには色とりどりの幟やポスターが張られており、商売っ気の強いお寺さんに見えた。
 
 
 
境内のトイレの入口に「へび注意」のマークが! 傍を小川が流れていて、蛇が居るのではないかとビビる。
大聖院から桟橋に戻る古い町並みの道の途中に厳島神社の神職を務めた林家(上卿屋敷)や棚守屋敷跡があった。
 
島内の食事処は観光客で混雑しているので、宮島口駅に戻る。9時のフェリーに乗って、帰り駅に着いたのが12時、少し我慢して広島駅で昼めしを取ることにした。広島駅周辺ではあまり人がいるとも感じなかったが、駅ナカは異常なくらい人で混雑している。初日、広島新幹線名店街でえらい目にあったので、広島にいる間に一度は行こうと思っていた駅に近い朝9時半から開いている食堂に行った。

広島新幹線名店街にて

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