リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

真のサッカーファン

2014-06-22 09:11:00 | オヤジの日記
先週の終わりに、仕事が押し寄せてきたので、ワールドカップは、リアルタイムでは観ていない。

日本の試合は、録画して、仕事が一段落したときに、1•3倍速で観ている。

ただ、お断りしておくが、私は、サッカーファンではない。
サッカーには興味がない。

ワールドカップだから観ている。

だから、真のサッカーファンから観たら、私など、どシロウトだ。


私の友人に、真のサッカーファンを自任する男がいる。
川崎フロンターレのサポーターである。

その彼が、毎回渋谷のスクランブル交差点で繰り広げられるお祭り騒ぎに関して、「あいつら、騒ぎたいだけだろ。あんなの本当のファンじゃないよ!」というメールを送ってきた。

「負けてハイタッチはない。あれは理解できない。祭りじゃないんだから」

仕事が忙しかったので、返信はしていない。

「真のサッカーファン」に、私の考えを述べたら、ロケット・ランチャーで攻撃されるかもしれないからだ。


「祭りじゃないんだから」とは言うが、私の感覚では、ワールドカップは祭りだ。

純粋な国際的なスポーツ大会かもしれないが、各国の方たちの盛り上がり方を見ていると、祭りにしか見えない。

顔にペイントを施したり、Tシャツに自国の国旗を描いて応援をする様は、祭りそのものだ。

祭りには「勝敗」が、かかっていないが、ワールドカップには勝敗がある。
違うのは、その点だけだ。

だから、私は、ワールドカップは、勝敗のかかった祭り、だと思っている。


負けて悔しがるのが、真のサポーターである、という考え方には、根拠がない。
人の感情は、複雑だ。

悔しがり方は、それぞれ違っていいと思う。
負けて悔しいのは、当たり前だが、誰もが同じ表現方法をとる必要はない。

渋谷にいた人たちが、私と同じようにワールドカップを祭りだと思っているかは知らない。

騒ぎ方が画一的で、まるで何かに操られているように感じるが、きっと、あの場所では、あの表現方法しかなかったのだろう。

そんな彼らにとって、「真のサッカー」などは、関係ないのではないか。


たとえば、私は青森の「ねぶた祭」の起源や歴史、意義を知らない。
だが、知らなくても参加した。

徳島の「阿波踊り」の詳細も知らなかったが、参加した。

どちらも楽しかった。

何も知らなくても、祭りは、楽しめるものだ。
「ねぶた」では、かなり羽目を外した人を見かけた。

しかし、よほどのマナー違反でなければ、それも「祭りの風景」だ。

目くじらを立てるほどのことではない。

真の「ねぶたファン」の中には、不快に思う方もいるかもしれないが、それを規制し過ぎたら、祭りの温度が下がる。


毎度の渋谷スクランブル交差点での「お祭り騒ぎ」は、少し温度が上がっただけだと私は思っている。


あんなの「真のサッカーファン」ではない、というのなら、行かなければいいだけのことだ。

真のサッカーファンは、違うところで応援して、お祭り騒ぎから距離を取ればいい。
そうやって、棲み分けをしていけば、軋轢は生まれない。

いちいち「祭り」を批判していたら、温度が下がり続けるだけだ。



そして、私は「真のサッカーファン」ではない上に、渋谷のお祭り騒ぎには参加しないという、中途半端な男である。


なぜなら、サッカーには、興味がないからだ。