天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『イタリア旅行』ロベルトロッセリーニ監督は妻イングリッドバーグマンにうぬぼれ過ぎて傲慢と語らせる

2010-12-26 18:02:13 | 日記
今日の続編日記は、今お茶の間鑑賞している映画『イタリア旅行』(1953年製作 ロベルト・ロッセリーニ監督 イングリッド・バーグマン ジョージ・サンダース主演)のことです。添付した写真は、映画の一シーンのまだ魅力的なイングリッド・バーグマン(当時38歳)です。
この映画にもナポリやカプリ島が出てきますので、私は南イタリア旅行観光にあたって、予備知識習得の意味で、超久しぶりのDVD鑑賞しています。
この映画は、イギリスに住む裕福な夫婦が、夫の伯父の遺産であるイタリア・ナポリにある別荘を売却処分する為、イタリアを訪れた時、お互いの不満が爆発した夫婦の危機を描いた恋愛劇です。主演のイングリッド・バーグマンは、この映画のロベルト・ロッセリーニ監督と結婚して3年目でした。でも、お互いの関係が悪くなってしまい、ロッセリーニが映画撮影を通じてイングリッド・バーグマンとの夫婦関係を良くする為、この映画を製作したと噂されています。
ロッセリーニも関与したこの映画の脚本には、ロッセリーニ自身が妻のバーグマンから日頃から言われたことを、そのまま台詞にしたと思われる言葉があります。バーグマンが映画で語っているとても興味深い言葉を、以下に引用・掲載します。
『あの人はうぬぼれ過ぎて、傲慢だわ!』
『何でも知ってるふりをして、憎らしい!』
でも、車の中で離婚話をしている二人は、ナポリでの祭礼の群集に巻き込まれた時、お互いの愛情を改めて感じ合い、バーグマンが夫の名を叫び、『あなたなしの生活なんてできないわ!」と叫び、夫婦の離婚危機は解消されました。ロッセリーニは、自己の私生活も改善したかったので、イタリアリアリズムの巨匠監督の作品とは思えない突然の夫婦の和解に、映画の結末を設定したのでしょう。
でも、実際は夫婦の情況は非常に厳しく、ロベルト・ロッセリーニとイングリッド・バーグマン夫妻は、この映画完成後4年後、映画のように関係修復できず、お互い離婚してしまいました。
だから、この映画は私にとって、イタリア観光旅行というより中年夫婦関係の修復に、とても参考になる恋愛劇でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴君コモドゥスは史実の暗殺ではなく、映画『ローマ帝国の滅亡』での剣闘試合死の方が剣闘士皇帝に相応しい

2010-12-26 14:42:46 | 日記
今日の日記は、映画『ローマ帝国の滅亡』(1964年製作 アンソニー・マン監督 ソフィア・ローレン スティーブン・ボイド主演)に登場したローマ皇帝マルクス・アウレリウスの子供コモドゥスのことです。
添付した写真は、アウレリウス死後次の皇帝となったコモドゥスに反抗した将軍リヴィウス(スティーブン・ボイド)と、弟を殺そうとして失敗した姉ルチッラ(ソフィア・ローレン)が、ローマ元老院前の広場で火炙り刑を受ける直前のシーンです。
でも、この刑を執行する前に、剣闘試合や競技会に夢中になっていた暴君「剣闘士皇帝」コモドゥスは、「私の息子だ」と自身の出生秘密を告白した剣闘士だった部下のヴェルルス(アンソニー・クェイル)を殺害した後ろめたさからか、執行前の囚人リヴィウス将軍に、自分との剣闘試合での決闘のチャンスをあたえます。
そして、リヴィウス(スティーブン・ボイド)は、コモドゥス皇帝(クリストファー・プラマー)との生死を賭けた試合に、見事に勝利して、ルチッラ(ソフィア・ローレン)を助け出して、元老院議員らの次期皇帝の推挙を拒絶して、愛するルチッラと共にその処刑広場を去って行きます。
このように映画では、お互いに愛する二人が結ばれてハッピーエンドでなります。ただ、題名を暗示する「これから以後、ローマ帝国の崩壊が始まった」とのナレーターが入ります。
でも、実際のコモドゥス皇帝の死は、近親者による暗殺でした。西暦192年12月31日夜、愛妾マルチアと召使エクレクトゥスと彼のレスリング教師ナルキッソスが、浴室で入浴中のコモドゥスの首を締めて殺したのです。ただ、この実行犯三人の以後の消息は、まったく分かっていません。
そして、元老院は満場一致で、この皇帝コモドゥスを「記録抹殺刑」に処しています。死後にこの不名誉な刑に処されると、肖像は破壊され業績を刻んだ碑文からは名が消去されていまいます。だから、正式皇帝名は史実に残っておらず、「コモドゥス」しか残っていないのです。
この映画『ローマ帝国の滅亡』での暴君コモドゥスの剣闘試合死の方が「剣闘士皇帝」コモドゥスには、私は相応しいと思います。そして、私は、映画の劇的効果をアピールする為、史実にはない架空の出来事へ見直すのは、ある程度はいかしたくないことだと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする