天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

中国人生訓『莫生氣:怒ることなかれ』揮毫した扇子は私に悔い改めよ忠告するが最後まで独善的悪行客と闘う

2010-09-06 23:35:38 | 日記
今日の続編日記は、8月8日から出かけてた私の香港・深圳・マカオ旅行の紀行記(13):深圳の中国民俗文化村の土産物屋で購入した中国扇子・その2のことです。
を買いました。添付した写真は、その購入した中国扇子裏面に書かれた中国の人生訓『莫生氣』です。この人生訓『莫生氣』(日本語訳:怒ることなかれ)には、以下の文章が、揮毫されていました。
人生就像一場戲(人生とは一幕の劇のようなもの)
因為有縁才相聚(縁があればこそ一緒になったのだ)
相扶到老不容易(互いに支え合って年老いていくのは容易でない)
是否更該去珍惜(だからこそ大切にしなくては)
為了小事發脾氣(些細なことで腹を立て)
回頭想想又何必(後で思い返せばそんな必要も無かったのに)
別人生氣我不氣(ひとが怒っても自分は腹を立てない)
氣出病來無人替(腹を立てて病気になっても誰も代わってはくれない)
我若氣死誰如意(もし私が怒り狂っても誰も気にかけない)
況且傷神又費力(その上傷つき無駄骨折るだけ)
鄰居親朋不要比(近所や知り合いと比べっこなし)
兒孫瑣事由他去(子供や孫のあれこれに口を挟むな)
吃苦享樂在一起(苦しみも喜びも分かち合い)
神仙羨慕好伴侶(神をも羨む良き伴侶)
この中国人生訓『莫生氣』と『百鶴図:石林作』は完全に表裏一体となって、購入した扇子は出来上がっていると、私は得心しました。この扇子を製作した中国人工匠は、「鶴は千年、亀は萬年」といわれるように長寿の鶴(百年の寿命)にあやかって『百鶴図:石林作』を表面に描きました。そして、その長寿を達成するためには、この『莫生氣(怒ることなかれ)』の人生訓を必ず守る必要があると説いているのです。だから、とてもこの扇子は土産物屋で扱う品物ではないと、私は思っています。
私は、独善的な劇場悪行客の理不尽な迫害にとても立腹し、日記でその怒りをいつもぶつけているばかりです。この私の行為に、扇子製作者は『莫生氣(怒ることなかれ)』の人生訓を見せて、今までの所業を悔い改めよと、私に忠告しているみたいです。
しかし、たとえ私の立腹した怒りの所業で、長寿にならず私の寿命が途中で縮んだとしても、私は本望です。だから、私は最後の最後まで、独善的な劇場悪行客と闘います。
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深せん中国民俗文化村の土産物屋で購入した図柄『百鶴図:石林作』中国扇子に描かれた鶴は題名通り百羽在り

2010-09-06 21:54:03 | 日記
今日の日記は、8月8日から出かけてた私の香港・深圳・マカオ旅行の紀行記(12):深圳の中国民俗文化村の土産物屋で購入した中国扇子のことです。
もう旅行が終わってから1か月近くも経つのに、私はまだこの紀行記を終了させていません。ですので、本日は、だいぶ間が空いた私の旅行報告の再開です。私は、9日の中国民俗文化村の土産物屋で、ある中国扇子を買いました。添付した写真は、その購入した中国扇子です。
たまたま入った土産物屋でこの扇子を見つけて、店番をしていた若い中国人女性に「これはいくら?」と私は尋ねてみました。そうしたら、彼女は「二本で千円!」と答えてくれました。しかし、私は扇子を二本も要らないから、「一本ではいくら?」と再度、彼女に尋ねてみました。そして、その再度の問いに対して、彼女の答えは、私が予期せぬものでした。驚いたことに、彼女は「一本では五百円」と私に答えてくれました。私は、まとめて多くの品物を購買すれば、その価格は一品のものより安くなるとの商売の慣習を知っていたから、彼女の回答に、とても意外な思いをしました。だから、当然「一本なら六~七百円」との回答が返ってくるものと、私は思っていました。その価格差額の一~二百円は、店のサービスなのかもしれません。
私は、この扇子の値段が一本五百円ならとても安く、この描かれた図柄『百鶴図:石林作』(落款印も有り)が、とても気に入っていた(注:「鶴」は私の苗字に関係する長寿でめでたい動物)ので、即買い求めました。買ってから扇子の中に描かれている鶴の数を数えてみたら、やはり百羽ちゃんといました。そして、とても縁起の良い買い物をしたと、私はとても嬉しい思いを抱きました。
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