天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

『男はつらいよ葛飾立志篇』名言:学問があれば男の不実を見抜けたのを、学問ないばかりに一生の悔いを残す

2010-09-26 18:57:20 | 日記
今日の続編日記は、松竹映画『男はつらいよ 葛飾立志篇・第16作』(1975年製作 山田洋次監督 渥美清 倍賞千恵子主演 樫山文枝 小林桂樹共演)に、住職役で主演された大滝秀治が語った言葉です。
この映画では、寅次郎(渥美清)は、毎年正月になると少額の支援金と手紙を送っていた昔自分がとても世話になった馴染みの女性お雪がつい最近死んだと、とらやを訪れたその一人娘(桜田淳子)から聞きます。
そして数日後、寅次郎は山形県の寒河江にあるその女性お雪の菩提寺に墓詣りに訪れます。そのお寺で、寅次郎は住職(大滝秀治)と出会います。以下に、二人が語り合った会話を引用掲載します。
・(大滝秀治)『失礼だが、お雪さんのお身内の方かな?』
・(渥美清)『いいえ、ちょっとした知り合いの者です』
・(大滝秀治)『久しぶりにお経をあげようかね。あなたもご一緒に(二人揃って墓前で合掌する)』
そして、二人並んで参道を歩きながら、住職は寅次郎にお雪の不幸な身の上話を語ります。
・(大滝秀治)『まあ、はっきり言えば、お雪さんは騙されたんでしょうなぁ。いや、土地の者じゃない。東京から来てなにか商売のようなものをやってる男でした。少しばかり容姿がいいのを鼻にかけて、いろいろと女出入りの噂の絶えない男だった。お雪さんも随分尽くしたようだったが、男にしてみりゃ所詮遊びごと。お雪さんに子供ができたのを知って、慌てて行方をくらました。ま、そんなことでした。』
・(渥美清)『お雪さんは、その後もその男をずーっと想って暮らしたんでしょうかね?』
・(大滝秀治)『いやいや、あの人は利口な人だから、年をとるにつれて分かってきました。よく寺に来て話してました。「私に少しでも学問があれば、男の不実を見抜けたものを、学問がないばかりに、一生の悔いを残してしまった。」と・・可哀想な人でした。』
そして、住職と寅次郎はお寺の石段の下でお互い別れます。その時の映画シーンを、ここに添付しました。寅次郎は住職に語りかけます。
・(渥美清)『和尚さん!私には、お雪さんの気持ちがよーく分かります!』
・(大滝秀治)『さようかな?』
・(渥美清)『はい。私も学問ないから・・今まで悲しいことや、辛い思いをどれだけしたか分かりません。ほんとうに、私のようにバカな男はどうしようもないですよ!』
・(大滝秀治)『いや、それは違う。己の愚かしさに気がついた人間は、愚かとは言いません。あなたは、もう利口な人だ。己を知る。これが何よりも大事なことです。己を知ってこそ、他人も知り、世界も知ることができるというわけです。あなたも学問なさるといい。四十の手習いと言ってな。学問を始めるのに早い遅いはない。ね。「子曰く、朝に道を聞けば夕に死すとも可なり」』
名優大滝秀治の素晴らしい演技でした。この住職の言葉に、とても感動した寅次郎は「四十の手習い」の晩学を決意します。
そして、私は不幸な女性お雪が大滝秀治に慟哭した言葉『私に少しでも学問があれば、男の不実を見抜けたものを、学問がないばかりに、一生の悔いを残してしまった。』を、今週7周年を迎えた劇場演技者女性に捧げます。
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映画『男はつらいよ寅次郎と殿様』手打ちを行う殿様・嵐寛寿郎に執事・三木のり平は「宮仕えは辛いね」歎く

2010-09-26 13:01:22 | 日記
今日の日記は、松竹映画『男はつらいよ 寅次郎と殿様・第19作』(1977年製作 山田洋次監督 渥美清 倍賞千恵子主演 真野響子 嵐寛寿郎 三木のり平共演)に出演した三木のり平のことです。添付した写真は、その映画終盤での渥美清と三木のり平です。
松竹専属監督であった山田洋次監督でも、16日に逝去された小林桂樹さんと同じように、東宝専属俳優だった三木のり平の力量を高く評価していたのでしょう。だから、小林桂樹さんの出演2年後に、再び自分の製作映画寅さんシリーズに彼をキャスティングしたのです。
今回、この映画を再び鑑賞して、私の子供の頃からテレビCMでよく知っていた俳優・三木のり平の名演に、私はとても懐かしい思いをしました。
この映画では、寅次郎(渥美清)は四国の愛媛県大洲市のお城で、旧大洲藩十八代目当主である藤堂宗清(嵐寛寿郎)と知り合い、その屋敷に招かれます。そして、この家の執事・吉田役の三木のり平が、老獪でありながら上の者には機敏な動きを見せる、とてもいい味を出していました。さらに、その笑いの中でも、執事である宮仕えの辛さや哀しみを、とても巧みに表現していました。
この映画では、殿様と寅次郎が意気投合し夜まで屋敷に泊まることになったのを、執事がとても心配し、寅次郎をこの屋敷から追い出そうとします。それに怒った殿様が、執事を手打ちにしようとします。
以下に、その三人のやりとりを引用掲載します。
・(嵐寛寿郎)『たわけ!もはや勘弁あいならん!』
・(三木のり平)『お許しくださいませ、みんなお殿様の身を案じてのこと!』
・(嵐寛寿郎)『黙れ!黙れ!黙りおろう!!』
嵐寛寿郎は、なんと床の間にあった刀を抜いてを三木のり平を手打ちにしようとします。それに驚いた渥美清は、嵐寛寿郎を後ろから羽交い絞めにして
・(渥美清)『殿!殿中でござるぞ!』
・(嵐寛寿郎)『武士の情け、御放しくだされ!』
・(渥美清)『殿中でござるぞ、殿中でござるぞ~』
・(三木のり平)『(腰を抜かし、体を震わせながら)お出会いめされ、お出会いめされ~!殿ご乱心でござるぞ~!』
・(嵐寛寿郎)『おのれ上野介ぇ~!』
・(三木のり平)『(部屋の外に逃げ込み、その廊下で突如起き上がり、真顔に戻って)宮仕えは辛いね・・』
この三人の軽妙なやりとりに、私は大爆笑しました。そして、私は『宮仕えは辛いね』と歎いた三木のり平にとても強く共感しました。でも、後3年弱で私はその宮仕えから解放され、寅次郎みたいな自由人になれます。
その後の人生では、私を屈辱に満ちた境遇に追い込んだ者たちに、完全なる報復を果たせます。その時には、もう渥美清が語った『殿中でござるぞ!』との制約は、私にはまったく存在しません。その運命の時が、私は今待ち遠しいです。
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