田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

今日はボランティアサーズディ

2023-04-20 16:49:25 | ボランティア

 今日は奇しくも二つのボランティアが重なってしまった。そのどちらもが身体を駆使するガテン系ボランティアである。明日からの筋肉痛が心配である。

 ボランティアその1は、これまでも時々拙ブログで触れている私が主宰している道立近代美術館前の歩道の清掃を行っている「近美を愛するブリリアの会」の活動である。今シーズンに入って3回目の活動である。朝6時、穏やかな天候の中、いつものように路上を掃き清めて会員の方々と語り合いながら清々しい気持ちで散会した。

  14年目を迎えた私たちのボランティア活動だが、会員の高齢化が課題である。引き際を考えねばならない時期に来ていると感じつつ、今年も頑張ってみたいと思っている。

 ボランティアその2は、ある団体が主催する大通公園の花壇のお世話をするボランティアに無謀(?)にも応募してみたのだ。こちらは札幌市の都心に位置する大通公園は多くの市民、観光客が憩う場であるが、そこには毎年色とりどりの花々が植栽され、人々の眼を楽しませてきた。私もその一人だったのだが…。

 楽しませてもらう側から、楽しんでもらう側に回るのも悪くないな、と年甲斐もなく思い立って応募したというわけなのだが…。

 その花壇の植栽作業が本日午前に実施され、参加してきたのだ。私たちは大通公園の中でも最も人々が行き交う大通公園3丁目広場の左右に位置するボーダー花壇という長方形の花壇二つに色とりどりのパンジーを植栽する役割だった。

   

   ※ 担当者から植栽の際の注意事項を伺っています。(写真の苗はまだ植栽前です)

 植栽する場所にすでに花も用意され、デザインも決まっていたので、私たちは花苗をポットから出して指定されたところに植え付けるだけだった。作業そのものは簡単なのだが、中腰での作業で立ったり座ったりの連続なのですっかり息が上がってしまった。それでもリーダーからは「急いですることはありません。雑談でも交えながら楽しく作業してください」という声に応えて、あれこれと他愛ない話をしながらおよそ1時間、苦しくも楽しい作業に終始した。

   

   ※ 腰をかがめてシニアには辛い姿勢での作業が続きました。

 今後は班分けされた方々と月に一度、花壇の花のお世話をしながら、秋のチューリップの球根植えまで活動が続く。初めてお会いしたシニアの方々と楽しく活動を継続できたらと思っている。

        

        ※ 植栽を終えた花壇の前で参加者全員で記念写真です。

 それにしても、明日起床した時の筋肉痛が心配だぁー。

 


白石歴(れき)しるべウォーキング №2

2023-04-19 18:04:49 | 札幌ウォーク & Other Walk

 白石歴しるべウォーキング№2は、Bコース(本郷通・本通・平和通り)4.5Kmを巡り歩いた。チェックポイントはたった5ヵ所だったが、それぞれ趣のあるチェックポイントが多いコースでもあった。

       

 今回のチェックポイントは、(Aコースからの続きの番号で)⑪ヒグマ騒動の地 ⑫白石神社 ⑬白石本通墓地 ⑭水源池通 ⑮長浜万蔵翁の銅像 の5ヵ所である。

 見知らぬ地域をウォークする場合、例えマップがあったとしてもスタート&ゴールの地点を見出すのに苦労する場合が多い。いわゆる土地勘がないためだ。今回のスタート&ゴール地点である「白石あかつき公園」を見つけるのにもちょっと苦労してしまった。

   

   ※ Bコースのスタート&ゴールとなった「白石あかつき公園」です。

 それではチェックポイントを順次レポすることにする。

⑪ヒグマ騒動の地

 案内所によると、明治5(1872)年にはこの地でヒグマが討ち取られ、明治29(1896)年には住民がヒグマに大けがを負わされた場所だという。辺りは豊平川を挟んで札幌都心から近いところあるが、明治時代はヒグマが出没するようなところだったようだ。案内書によると現在地には「東白石まちづくりセンター」がありセンター内に捕獲されたヒグマが展示されているかのような写真が載っていたので、まちづくりセンターに伺ったのだが、そうしたものはなくセンター長さんによると「どこか別のところに展示されているのでは?」ということだった。(調べてみたい)

    

   ※ ヒグマ騒動の地跡の表示と、後は「東白石まちづくりセンター」の建物です。

⑫白石神社

 最初のチェックポイントが特定されると、あとは割合スムーズに巡ることができるものである。次のポイント「白石神社」は苦労することなく辿り着くことができた。

 白石神社は2000年代の正月三が日の初詣客の参拝客数が北海道神宮に次ぐ北海道で2陣目の集客数を誇ったという大きな神社である。境内には2000年代に入っても市内で唯一湧水が存在しておりその水が造る池とその周りの森が荘厳さを演出していた。

 訪れる前に「直筆の御朱印がいただけるか」伺ったが「書き置きしかしていない」との残念な回答だった。いたしかたないが書き置きの御朱印をいただいてきた。(そのレポは後日投稿します)

   

   ※ 堂々とした風格の白石神社の本殿(拝殿)です。

⑬白石本通墓地

 住宅街の中に忽然と現われたのがこの「白石本通墓地」だった。案内所によると、明治初期に白石地区にはAコースで巡った「白石中央墓地」が存在していたのだが、白石村の東側に居住する人々が「近い場所に墓地がほしい」との願いから、開拓使の許可を得ずに自主的に造成したようだ。正式に許可が出たのは明治35(1902)年のことだったという。

 私が訪れた時には墓地全体に墓石がやや疎らな印象を受けた。近年になり墓じまいをする人や、あるいは民間の墓地に墓を移動する人が増えたせいなのだろうか?

 ここの墓地の特徴は、周りにレンガ工場などがあったからだろうか?戒名・死亡年月日などを彫り込んだ粘土の素焼きに上薬をかけて焼き上げた茶色い土管型や角柱型の墓が多数あったという。現在もそれが残っているということで捜し歩いたところ、墓地の中央付近に数個の土管型の墓を見つけることができた。

   

   ※ 「白石本通墓地」を示す看板と、「白石歴しるべ」の看板(右側)です。

   

   ※ 写真のように空き地が目立った「白石本通墓地」でした。

   

   ※ 苦労して(?)して見つけた土管型の墓石です。

⑭水源池通

 明治29(1896)年、月寒に新設された独立兵大隊のために、西岡水源地から水道管を引き、明治42年にその上に維持管理のために造られた道路が現在の通りだそうだ。今は道幅の広い幹線道路となっていて、当時の面影を偲ぶことはできないが、「白石歴しるべ」の看板が立っていたところには由緒ありそうな松の木が立っていた。どうやら個人の持ち物のようで説明書きはなかったが、おそらく当時の名残を伝えるもののように思えた。

   

   ※ 西岡水源地に繋がる「水源池通り」です。

   

   ※ 「水源池通」を表示する看板と、いわくありげな松の木です。

⑮長浜万蔵翁の銅像

 この「白石歴しるべウォーキング」で初めて故人を顕彰する銅像に出会った。銅像が建てられていたところは「本郷通商店街」の一角だった。長浜万蔵は昭和31(1965)年、住宅街などがなかった地に商店街を誕生させた功労者だそうだ。商店街の通りはサクラ並木も造られ賑わいを創出させたようである。

   

   ※ 本郷通商店街のサクラ並木です。

        

        ※ 長浜万蔵翁の銅像が商店街の一角に建っていました。

 以上、一周約4.5キロのコースだったが、マップを手に知らなかった街並みを巡り歩くことはいつも楽しく感じている。残り2コースも楽しみながら巡り歩きたいと思っている。


寒地土木研究所のチシマザクラが満開!

2023-04-18 16:31:22 | 環境 & 自然 & 観察会

 寒地土木研究所の構内に植えられているチシマザクラが開花し、一般公開が始まったと聞いて、本日研究所のある中の島まで足を伸ばしてみた。ちょうどジャストタイミングだったようだ。チシマザクラは満開の時を迎えていた!

   

   ※ 寒地土木研究所の前面玄関です。左手のところにチシマザクラが咲いていますが、鮮明ではありませんね。次の写真でその様子を写しました。

 現在取り組んでいる「白石歴しるべウォーキング」で本日Bコース(本郷通・本通・平和通り巡り)を歩いていた時に本郷通の桜並木を歩いた。(明日レポしたい)その通りのサクラはエゾヤマザクラのようだったが、まだ3~4分咲きだった。それを目にして、当初はCコースも、と考えていたのを急きょ予定を変更して、地下鉄で「中の島」へ移動し、寒地土木研究所のチシマザクラを見ることにしたのだ。

 寒地土木研究所のチシマザクラは、昭和49(1984)年に当時の職員が「構内美化のためにも皆が末永く楽しめる植物を植えたい」との思いから、道東の厚岸郡浜中町霧多布の苗木を植樹したのが始まりだという。以来、幾多の変遷を経て、地域の協力なども得ながら寒地土木研究所の名物の一つとなって、毎年開花時期に一般公開されている。

 本年度の公開は4月15日(土)~21日(金)の予定だという。それにしても4年前の2019年の公開は4月25日からだったという。ずいぶん桜の開花が早くなっている。もっとも本家の千島で開花するのはずっと後なのだろうが…。

 チシマザクラの鮮やかさはソメイヨシノほどではないが、それなりに愛らしい花をいっぱいに付けていた。それでは満開の時を迎えた国立研究開発法人土木研究所寒地土木研究所のチシマザクラを稚拙な写真でお楽しみあれ❣

   

   ※ このように玄関前のチシマザクラも満開と言って良い状態でした。

   

   ※ 構内の精進川沿いに植えられているチシマザクラです。   

   

   ※ 近撮するとほぼ満開状態でした。

   

   

   ※ 花びらの色がやや薄い淡紅色がチシマザクラの魅力のようです。

   

   ※ 最後に大接近して一枚。


やっぱり道響の音は素晴らしい!

2023-04-17 18:45:04 | ステージ & エンターテイメント

 連日のKitara通いである。前日が札幌交響楽団だったというハンディはあったものの、総勢72名による北海道交響楽団は、分厚いサウンドと共にその実力をいかんなく発揮し、聴衆を満足させてくれる内容だった。

        

 昨日夜(4月16日)札幌コンサートホールKitaraにおいて「川越守記念 北海道交響楽団」の第94回演奏会が開催され、92回、93回の演奏会に続いて参加した。

 私は密かに4月3日に聴いて感動した「札幌室内管弦楽団」との比較を楽しもうと思っていた。また、前回の93回の演奏会を聴いて私は拙ブログに「イメージが変わった!?北海道交響楽団」という一文を投稿したが、その印象が違ってはいないかも確かめたかった。

 演奏会は前述したように総勢72名というオーケストラとしては相当に多人数での演奏となった。今回94回演奏会で取り上げられた曲目はプログラムの表紙を飾っているとおり、「アントン・ブルックナー」「ヨハネス・ブラームス」が作曲した曲だった。正式な曲名は次のとおりである。

 ◆ヨハネス・ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a

 ◆アントン・ブルックナー/交響曲第6番 イ長調 WAR.106

     

     ※ この日の指揮を務めた長岡聡季さんです。

 道響の演奏会の場合、必ず詳細に曲目についての紹介が載っている。それによると、一曲目のブラームスの変奏曲は主題と8つの変奏、終曲で構成されているという。私は8つ変奏” という点に興味を持った。おそらく私にとって変奏で構成されている曲目を聴くのは最初の体験ではないかと思うのだ。そうすると、確かに変奏と変奏の間で一応を演奏は止まるのだが、間髪をおかず次の演奏が始まるのだ。交響曲のような場合、楽章と楽章の間に小休止があり、指揮者など時にはハンカチで額を拭ったりした後に次の楽章の演奏が開始される。しかし、変奏の場合にはそうした間はないのだが、曲想には明らかに違いがあり興味深く聴くことができた。

 20分の休憩を挟んでブルックナーの交響曲が演奏されたが、この第1楽章が演奏されている中で激しく全ての楽器が奏でる部分があった。その時に私は何の脈絡もなく突然のように故郷のオホーツクの海が激しく荒れ狂うシーンを連想してしまったのだ。そうなると連想は止まらない。曲想に沿うがごとく、演奏が静かに奏でられるときは波の静かなオホーツク海が、ゆったりと奏でられると夕日に染まったオホーツク海の情景が思い浮かんで来るのだった。考えてみると、特に交響曲のような場合、曲の流れと海の情景というのはどの曲においても喩えられるのかもしれない。私はブルックナーの交響曲を聴きながらそんな思いに浸りながら演奏を楽しんでいた。

 

 ところで最初の命題だが、私が前回の演奏会で感じた感想に間違いはなかったと思った。道響の演奏はアマチュアレベルとしては確かな技量の持ち主が集まった集団であることを再確認した思いだった。前回の時にも記したが、オーケストラの演奏では管楽器がソロ、あるいは少数で奏でる場面が出てくる。そうするとどうしても技量の優劣が際立ってくる。ここにおいては残念ながらプロとの差が歴然としているのが私たち素人にも歴然としてしまうところがあるのは仕方のないところか?また、前日の札響のヴァイオリン奏者たちの動きが見事にシンクロしていると記したが、その部分も注目していたがやはり札響の方に一日の長があるように思えた。プロとその差を比較するなどということは邪道と指摘されるかもしれない。しかし見方を変えれば、道響の奏者の方々のレベルがその域に近づいているということの証とも言えるのではないだろうか?道響のメンバーの方々のますますの精進を期待したいと思う。

 なお、アンコールではブラームスの「ハンガリー舞曲」第3番が演奏された。

※ プログラム以外はウェブ上から写真を拝借しました。


札幌交響楽団+寺久保エレナコンサート

2023-04-16 10:40:47 | ステージ & エンターテイメント

 ジャズとクラシックの融合…、あまり聴き慣れていないだけに多少の戸惑いはあった。しかし、場数を踏んでいるだけに寺久保エレナの演奏は堂々としたものだった。そして札響の単独の演奏も楽しむことができた。

        

 昨日(4月15日)午後、映画を鑑賞したその足で、札幌コンサートホールKitaraで開催された「ロジネットジャパンチャリティコンサート」に足を運んだ。チャリティーとはいえ、それは観客に対してのものではなく、チケット売上金の一部を各種団体に寄付するということであって、チケットそのものは多少割安の設定ではあったがそれなりの金額で販売されたものだった。

 コンサートは第一部がアルトサックスの寺久保エレナと札幌交響楽団の共演、第二部が札幌交響楽団単独の演奏という構成となっていた。

 寺久保エレナについて私は何の予備知識も持ち合わせてはいなかった。プログラムを拝見すると、札幌で生まれ育ち、早くからその才能を開花させ、バークリー音楽大学へ日本人初のフルスカラシップ(全額奨学金)で留学するという快挙を成し遂げた才能だという。現在はニューヨークを拠点に活動しながら、マンハッタン音楽大学院で研鑽を重ねているというジャズ界の才媛だそうだ。(これは大物!! 現在30歳だそうだ)

          

 寺久保エレナが札響と共演したのは次の5曲である。

 ◆ディジー・ガレスビー/チュニジアの夜

 ◆カーギー・カーマイケル/ジョージア・オン・マイ・マインド

 ◆山下洋輔/ノース・バード

 ◆寺久保エレナ/ロッキー

 ◆ガーシュイン/「すべてを知っている場所」からの便り

お気づきと思うが、寺久保は作曲も手掛けているようである。また日本ジャズ界の巨匠山下洋輔が作曲した「ノース・バード」は寺久保エレナのために作曲した曲だそうだ。寺久保の演奏はさすがに音量も豊かで堂々としたものだった。(もっとも私の席からは繊細な音を聴きとることはできなかったのだが…)演奏の合間に指揮者の角田鋼亮氏とのやり取りの中で、フルオーケストラとの共演は特別感があると語っていた。確かにジャズの演奏の場合、普通はトリオやクワルテット、クインテットなど少人数での演奏が主流であろうから、その思いは理解できるような気がする。ただ、私の中では通常クラシックを演奏するフルオーケストラとジャズ奏法に親和性のようなものがあるのだろうか?という思いは 氷解しないままだった…。

 第二部は前述したとおり札幌交響楽団の単独演奏だった。そこで演奏された曲目は…、

 ◆シベリウス/交響詩「フィンランディア」op.26

 ◆ボロディン/交響詩「中央アジアの平原にて」

 ◆リムスキー=コルサコフ/スペイン奇想曲 op.34

以上の3曲だった。いずれの曲も手練れた札響の楽団員による演奏はいつ聴いても心地良いものだった。特に私は最初の「フィンランディア」の演奏に心魅かれた。時には壮大に、そして時には繊細に紡ぎ出す音は文字どおり交響詩の醍醐味を与えてくれる。この「フィンランディア」はフィンランド国民から熱狂的に受け入れられ、歌詞がつけられ今や第二の国歌となっているという。ぜひ歌詞が付いた歌唱曲を一度聴いてみたいと思う。

 余談的なことを二つ記したい。

 一つは指揮者・角田鋼亮の若々しい指揮ぶりである。指揮台の上で跳ねるかのような指揮ぶりに好感がもてた。現在43歳ということだが脂の乗り切ったところか?いつかまた彼の指揮を楽しみたいと思う。

            

 二つ目はつまらぬことである。私の席がちょうど指揮者の背中を正面から見る席だった。そこには第二ヴァイオリンの方々が着席し演奏していた。その第二ヴァイオリンの方々の中に3人の女性がいた。いずれもが半そで姿だったため、白い腕が正面に見えた。するとその3本の腕が、その角度、動きが見事にシンクロしている様が面白く感じた。プロフェッショナルな音楽家たちが演奏するのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、見事にシンクロしている様は面白い発見だなぁ、と思いながら演奏を楽しんだ私だった。

   

 なお、アンコール曲は◆エルガー/行進曲「威風堂々」第1番だった。この曲もよく聞き慣れた曲だったこともあり、良かったぁ…。

※ 掲載写真は全てプログラムから借用しました。


映画 №359 Coda あいのうた

2023-04-15 20:07:27 | 映画観賞・感想

 自らの夢を捨て家族のために生きるのか? それとも自分の夢のために家族に犠牲になってもらうのか?少女ルビーはその葛藤の中で思い悩む…。考えさせられる主題であるが、久々に「良い映画を観たなぁ」という思いに浸った2時間だった…。

   

 本日午前、札幌市民交流プラザのクリエイティブスタジオで札幌映画サークルが主催する映画「Coda あいのうた」上映会に参加した。

 題名のCodaとはChildren of Deaf Adultsの頭文字からとったもので「耳の聴こえない両親に育てられた子ども」という意味だという。そう映画の主人公の少女ルビー(エミリア・ジョーンズ)は一人の兄と両親との4人家族であるが、ルビー以外は3人ともに聾唖者という家族である。家族は漁業で生計を立てているが、ルビーがいわば他者との通訳の役目を果たし、家業の漁の仕事も毎日欠かさず手伝っていた。

   

 そのルビーが長じて高校に入学すると、高校の音楽教師がルビーの音楽的な才能に気付き、音楽の名門バークリー音楽大学への進学を強く勧めるのだった。

 家族の通訳を担うルビーが大学へ進学し家を離れることに両親は強く反対したため、ルビーは板挟みに遭ってしまう…。

 映画は奇想天外な着地点など用意はしていない。むしろ極めて穏当といえる終末を用意してくれていた。それが私には何とも心地良く、涙腺が緩むような終末だったのだ。

 この映画が2021年度アカデミー賞の作品賞・助演男優賞・脚色賞を受賞したということに私はすごく納得したが、その背景の一つとして聾唖者を演じた父親、母親、兄を演じた人たちが本当の聾唖者であったことを知って、その演技の迫真さを知る思いだったが、監督がそのキャスティングには特にこだわったそうだ。特に父親役を演じたトロイ・コッツァーが助演男優賞を受賞したことにもとても納得した。

 また演出においてルビーが歌う場面で画面が無音になるところがあった。それは観客自身に聾唖者の立場に立ってもらうという巧みな演出が素晴らしいと思った。

 映画の中では、ルビーが有名な何曲も歌うのだが、私的には彼女がバークリー音楽大学の歌唱試験のために歌った「青春の光と影」がとても懐かしく感じた歌だった。

   

 と私世代にとっては、久しぶりに「良い映画に出会えたなぁ」という思いで会場を後にすることができた映画だった。 

 


春を探してマイ・フィールドを彷徨ってみた

2023-04-14 16:20:26 | 環境 & 自然 & 観察会

 私が勝手にマイ・フィールドと称している「盤渓市民の森」に春を探しに行ってみた。フィールドを90分にわたって彷徨ってみたが、そこここに春を感じることはできたが、春爛漫と称するにはもう少し時間が必要と思われた。

 札幌では今日にも「サクラ開花宣言か!?」と伝えられていたので標本木のある札幌管区気象台の庭に植えられているソメイヨシノを見に行った。すると確かに数輪が開花していて、素人目には「開花と宣言してもいいのでは?」と思われたが、開花のニュースは伝わってはこなかった。

  

  

  ※ 札幌管区気象台の庭の標本木のサクラはご覧のとおりだったが…。

 そこで「野山の方はどうなっているだろう?」と思い、我が家からは車で15分ほど走ると山野草が繁茂するフィールド「盤渓市民の森」に出かけてみた。するとそこここに春を感ずることはできたが、総じて時期尚早という感じは否めなかった。今日現在、私が「盤渓市民の森」で目にした春の息吹をお伝えすることにする。

   

   ※ 「盤渓市民の森」の入口付近からは雪は完全に姿を消していました。

 まず目立ったのは「フッキソウ」である。「盤渓市民の森」はフッキソウの大群落があると言っても過言ではない。おそらくフッキソウは葉を付けたまま冬越しすると思われるが、それらがいち早く目を覚ましたものと考えられる。一輪だけ花の蕾を付けたのを目撃することができた。

   

   

   ※ 唯一フッキソウの花の蕾を見ることができました。

 次に目立ったのは、早春の花「フクジュソウ」である。南面に向いた崖のところではずいぶんと黄色い花が目立った。

   

   

   ※ フクジュソウは今が盛りと咲き誇っていました。

 数はそれほど多くはなかったが、「フキノトウ」も目に付いた。

   

   ※ フキノトウもあちこちに目立ちました。

 さらには90分間歩き回ってたった一輪だったが、「エゾエンゴサク」の紫の花を目にすることができた。

   

   ※ 唯一、たった一輪だけ目にしたエゾエンゴサクの花です。

 また「クルマバソウ」の葉も確認することができた。

   

   ※ このままの姿で越冬したのではと思われるクルマバソウの葉です。

 しかし、エンレイソウやニリンソウなどは時期尚早らしく目にすることができなかった。これらは「野幌森林公園」ではすでにみられているようだが、「盤渓市民の森」は標高が高いために開花の時期は遅くなってしまうようだ。

 「盤渓市民の森」に行った場合、私は森の最奥部まで足を運ぶことにしている。今日もそこを目指したのだが、標高が高くなるにつれ、まだ雪が解けておらずルートがはっきりしなかったために、無理をせずに引き返してきた。

   

   ※ このような状態ではどこがルートかはっきりしません。前進を断念しました。

 折り返してからは、森の中ほどを進んだためにまだ陽光が十分に届かないこともあり、見るべきものはほとんどなくスタート地点に帰ってきた。

   

   ※ 森の中の遊歩道上にはこのように冬の間に倒れた木があちらこちらで見られました。

   

   ※ 森の中の雪が融ける状態ですが、木の周りが早く融けています。このような様子を「根開き」と称するそうです。

   

   ※ 遊歩道上でひと際目立ちました。菌類でしょうか?それとも派手な色で虫を誘う食虫植物かな?

 私の期待は「盤渓市民の森」の最奥部で見ることができる「サンカヨウ」の花である。昨年の例から5月中旬頃が見ごろと思われるので、その頃にまた再訪したいと思っている。


白石歴(れき)しるべウォーキング №1

2023-04-13 18:31:10 | 札幌ウォーク & Other Walk

 札幌市の白石地区は、札幌市の中では早くから開墾が進められ、歴史的な史跡や建物が多いのでは?と思っていたのだが、本日巡ったかぎりでは(Aコース)意外とそうしたものが遺されていなかったことが残念だった…。

         

 札幌市内を巡るために(知るために)さまざまな方法を見出し、それらを頼りに札幌市内のあちこちを巡ってきた私だが、他に何か方法はないだろうか?とあれこれと探っていたところ、「白石歴しるべウォーキングマップ」なるものを見つけ出した。「白石歴しるべ」とは、白石のまちの発展に大きな影響を与えたところに案内板を設置したという。その案内板が白石区内には35ヵ所あるという。その中から27ヵ所をチェックポイント代わりにして4つのコースを設定したという。

 その4つのコースのうち、本日はJR白石駅をスタート&ゴールとするAコース(平和通・本通・本郷通巡り)をウォーキングしたのだが…。

    

 Aコースのチェックポイントは計10ヵ所あった。その10ヵ所とは…、

 ①JR白石駅 ②札幌石炭坑爆発予防試験所跡地 ③連隊通 ④陸軍官舎 ⑤白石中央墓地跡 ⑥白石村役場跡 ⑦白石村医療発祥の地 ⑧善俗堂(ぜんぞくどう)跡地 ⑨陸軍平気補給廠跡 ⑩鈴木レンガ工場跡の10ヵ所であった。

 ところが先述したようにそれら歴史的に貴重なものが案内板という簡素なもので示されてはいるが、石碑などで後世に伝えようとしていたところは、わずかに「白石中央墓地跡」という小さな石碑だけだったことがやや残念に思えた。いろいろと事情はあるのだと思われるが、このような歴史的史跡を後世に伝えるべく手立てはないものなのだろうか?もっとも私は4つあるコースのうちわずか一つのコースを巡っただけであるから、残り3つのコースを巡ることによってその印象が変わってくれればいいのだが…。

 それでは巡った10ヵ所のチェックポイントを順次レポしてみたい。

①JR白石駅      

  白石駅の始まりは、明治15(1882)年に小樽から白石・江別経由で幌内まで開通した幌内鉄道の一つの駅となったのが始まりである。とはいっても当初はフラグステーションという仮乗降場だったという。駅舎ができたのは明治36(1903)年のことだという。一方で白石駅は大正7(1918)年、定山渓鉄道が開通した際には札幌側の始発駅だったそうだ。

   

   ※ 案内板は白石区の花であるバラが添えられ、歴史的意味についての説明書きがありました。   

 そうした歴史のある白石駅も現在では近代的な駅舎に様変わりしていた。

   

   ※ 近代的な建物になっていたJR白石駅の駅舎です。

②札幌石炭坑爆発予防試験所跡地   

 道内の炭坑でガス・炭じん爆発が多発したことで、昭和13(1038)年に国の予防研究機関として設立された。その後、燃料の主役が石炭から石油へ転換したのに伴い、北海道石炭鉱山技術センターとして平成14年まで鉱山保安のための研究に取り組んだという。設立当時は山林や畑に囲まれていて、爆発試験の影響が他に及ばないように設立されたというが、現在では街中となっていて、跡地はショッピングセンターとなっていた。

   

   ※ この看板を見つけるのに相当苦労しました。跡地はショッピングセンターになっていました。

③連隊通   

 明治38(1905)年、白石駅から月寒の独立歩兵大隊(後の歩兵第25連隊)への道として造られた道だという。兵隊たちが人力で造ったことから「連隊通」と呼ばれたそうだ。

   

   ※ 看板を写すと通りを撮ることができませんでした。

④陸軍官舎   

 昭和19(1944)年、陸軍兵器補給廠に務める将兵の住宅として45戸建てられたそうだ。当時としては珍しい コンクリート基礎などを取り入れた近代的な建物だったそうだ。現在は小さな公園となっていた。

   

   ※ 跡地は公園になっていました。

⑤白石中央墓地跡   

 先祖を大切にしていた村民が入植直後の明治5(1872)年に造成した墓地だそうだが、其の後都市化とともに、昭和47(1972)年までにほとんどの墓碑が平岸や里塚に移転改葬されたそうだ。跡地を示す石碑が残っていた。現在とは「白石温水プール」に変身していた。

   

   ※ 説明板の傍には石碑が置かれていました。後ろの建物は白石温水プールです。

⑥白石村役場跡   

 明治35(1902)年に白石村と上白石村が合併した際に、白石村役場が開設されたのが現在の跡地だそうだ。その時建てた役場の建物は札幌市と合併してからも白石支所、白石出張所として使用されていたそうだ。現在、跡地には白石まちづくりセンターが建っていた。

   

   ※ 説明板の後は、白石まちづくりセンターの建物です。

⑦白石村医療発祥の地   

 昭和20(1945)年、札幌で開業していた吉田廣医師は無医村だった白石村の要請に応えてこの地に移り住み、村医となった。吉田医師は昭和26(1951)年に亡くなるまで、村民のために尽力し、白石の医療の基礎を築いたそうだ。現在地には「吉田記念病院」が建っていた。

   

   ※ 跡地が「吉田記念病院」となっているのは吉田廣氏の子孫が受け継いでいるのでしょうか?

⑧善俗堂(ぜんぞくどう)跡地   

 白石の入植者たちは、入植の翌年(明治5年・1872年)に学問所「善俗堂」を設立。 先人たちの教育への並々ならぬ熱意は、全ての児童が学べるように文具を貸与し、村民の寄付金を運用して基金を創設していたそうだ。跡地には有名予備校の校舎が建っていた。

   

   ※ 跡地は奇しくも教育施設の予備校でした。

⑨陸軍兵器補給廠跡

 第2次世界大戦が激しくなってきた昭和19(1944)年、千島・アリューシャン列島など北方戦線に兵器や物資を補給するための補給廠が造られたが、その跡地である。その後跡地が何に利用されていたのか不明であるが、現在同所は広大な更地となっていた。掲示された看板には近い将来病院を中核とした街が誕生するようである。なお、ここだけは周辺が工事中のために「白石歴しるべ」の看板が取り外されていた。

   

   ※ 唯一説明板が撤去されていたところですが、広大な跡地は医療法人「北楡会」と「アインホールディングス」が共同で開発するようです。

⑩鈴木レンガ工場跡

 良質な粘土が産出された白石村はレンガ製造が盛んだった。その中でも鈴木佐兵衛が明治17(1942)年に始めた「鈴木レンガ工場」は、北海道での本格的なレンガ製造業の先駆けだったという。その後も月寒村などに分工場を建てたりしたが、大正11(1922)年に野幌に大煉瓦場が建設されたり、セメントの出現により工場を閉鎖したという。現在地には建設会社の社屋が建っていたが、道路向かいに大きな敷地を持つ製粉工場が建っていたが、あるいはそこも敷地の一部だったのではないかと思わされた。

   

  ※ ここの説明板も見つけるのに苦労し、行ったり来たりを繰り返した末に発見しました。   

 以上、コースそのものは約4.5キロということだが、マップの入手のために白石区総合庁舎に出向き、そこからAコースのスタート&ゴール地点のJR白石駅まで移動したり、ポイントが見つからずに行ったり来たりを繰り返したこともあり、本日の総歩数は17,000歩余りとなり、距離も12キロ近くとなった。けっこう疲れましたが、残りのコースも時間をおかずに完成させたいと思っている。             


映画 №358  エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

2023-04-12 20:02:41 | 映画観賞・感想

 正直言って、荒唐無稽な劇画を見せられているような気分を拭えなかった。昨年度のアカデミー賞の作品賞など主要7部門を独占した映画ということで期待して観賞した映画だったのだが…。

  

 本日午後、札幌フロンティアシネマにおいて映画「Everything Everywhere All at Once」を観た。実はこの映画が昨年度(2022年度)のアカデミー賞作品賞を受賞したというニュースを見て早速観てみようと思ったのだが、ネット上でのレビューの評判があまりにも酷いので一度観賞を諦めていた。ところが本日、特に予定もなかったことから「怖いもの(?)見たさ」で足を運んでみた。

 ネット上のレビュー版では次のような評価が目立った。

 「ストーリーの流れがつかめず、途中寝落ちしそうなるもテンポの良すぎるほどのバトルシーンを見入っていたが、お下劣ヒドすぎる、目を背けるどころかあまりにも不快で席を立とうと思ったくらい」

 「最初からうるさいだけで意味不明。入り込むことなく、知らない間に寝てた。雑な作りに、大雑把な構成と中途半端なお涙頂戴?下品なギャグと、時代遅れの衣装や世界観。全く意味わからん。久しぶりにこんな駄作観た!」

 「お笑いで例えて言うならば、自称お笑いマニア=松本人志の笑いが分かるんだよっていうマウントを取りたがる人向けの作品」

 「この作品を褒めている人は、分かっている自分は意識高いと思いたいだけ」

 「脈絡もへったくれもない。話の主題が飛びまくる。なんだかとんでもなく話下手な人間の一方的な喋りのようなつまらない映画だった」

 と散々の評価だったのだが(もちろん高評価のレビューもあったが、酷評のレビューだけを紹介した)、観終わった私の感想もレビューの評価と差はない思いである。何せ、映画の当初から何が何だか分からないままカンフーまがいの活劇が続くのだが、そこに一つのテーマがあるらしいことは分かるのだが、それがストーリーの中でなぜ必要なのか、私にはさっぱり分からなかった。そのテーマというのは、本来私たちは “ユニバース” という一つの宇宙観に立って物事を考えているのだが、映画は “マルチバース” という複数の宇宙が存在するという前提に立って作られているのだが、それが良く理解できないし、映画の作りとしても十分に説明しているとは言い難いものだった。

 映画は奇想天外なカンフーエンタメ映画との触れ込みであるが、制作者(監督)だけがその意図を面白がっていて、観客はついていけないという典型的な映画だったのではないか?また、そのような映画がアカデミー賞の主要部門を独占したということも私にとっては解せないことであった。

 今週末、私は2021年度(一昨年)のアカデミー賞作品賞を受賞した「CODA あいのうた」という映画を観る予定にしている。こちらは純粋に秀作だと期待している映画である。楽しみに待ちたいと思っている。

 なお「Everything Everywhere All at Once」とは、「あらゆるものが、あらゆる場所に、一斉に」という意味になるそうだ。


御朱印収集巡り №11 札幌伏見稲荷神社

2023-04-11 16:26:42 | 神社参拝・御朱印収集関連

 本家の京都の伏見稲荷大社の「千本鳥居」ほどではないが、ずらりと建ち並ぶ赤い鳥居は札幌伏見稲荷神社の見どころの一つである。私の御朱印収集巡りも今回で中央区の全ての神社を巡ることができた。

       

 中央区の神社の御朱印収集巡りも最後の神社となった。これまでは地下鉄や自転車を駆って巡ってきたが、天気も良かったので運動不足解消も兼ねて歩いて向かうことにした。距離は往復で7キロほどである。

 神社へ向かう前に、例によって予め「直筆の御朱印がいただけるだろうか?」と確認したところ、いわゆるベーシックなものなら可能であるとの回答を得たので安心して出かけた。今は月別とか、華やかな模様付きのものなど様々な御朱印があるようなのだが、それらは書置きになっているようだった。

 伏見稲荷神社は藻岩山の裾野の部分にあるため、急な坂道を喘ぎながら上がっていくと「藻岩山山麓通り」出て、その道路沿いに朱色の鳥居が目に入った。

   

   ※ 藻岩山山麓通りから神社の入口にあたる鳥居を見たところです。

 鳥居が立ち並ぶ参道もまた坂道となっている。鳥居の数を数えながら本殿(拝殿)を目ざしたが、27基の鳥居が並んでいた。その鳥居のところに「写真撮影禁止」との掲示があった。以前に何か不都合があったのだろうか?仕方がないので本稿ではウェブ上から拝借した写真を使用させていただくことにする。

   

   ※ 27基の鳥居が立ち並ぶ参道です。

 拝殿で参拝を終えた後、その横にある社務所で電話での件を申し出たところ、直ぐに伝たわり、直筆の御朱印をいただくことができた。

   

   ※ 最後の鳥居の向こうには本殿(拝殿)が鎮座していました。

   

   ※ 札幌伏見稲荷神社の本殿(拝殿)です。

 神社の歴史を少し紐解いたところ、明治17(1884)年に京都の伏見稲荷大社に分祀を願い出て、最初は創成川の近くに分神を祀ったそうだ。その後、明治40(1907)年に現在地に遷宮されたそうだが、そのことによって周辺の地域名が「伏見」と命名され、現在の地名となっているとのことである。

【札幌伏見稲荷神社 情報】

◇旧社格:郷社

◇所属:北海道神社庁

◇住所 札幌市中央区伏見2丁目2-17    

◇御朱印:あり(直筆 初穂料400円)

◇参拝可能時間:24時間(夜は危険)

◇社務所受付時間: 9:00~16:00(御朱印は10:00~16:00)

◇例祭日:9月9日

◇駐車場:有り

◇アクセス:札幌市電「西線14条駅」から徒歩20~25分(約1Km 坂道あり)

      ※ その他、地下鉄「円山公園駅」からバス便有り

◇創建: 1884年(明治17年)    

◇代表的ご利益:〇商売繁盛 〇金運上昇 〇安全祈願 〇技芸・武芸・芸能

◇御朱印記帳日 4月11日