WBCにおけるMVPの受賞を機に、日本はもちろんのこと、MLB(メジャーリーグべ―ボール)においても、さらには世界のスポーツ界においても、大谷翔平の名は今や世界でも最も有名な野球選手となった観がある。そんな大谷翔平選手について考察してみたい。
私の身体の方は順調に(?)老化の一途を辿っているようだ。過日、木曜日朝に近美前の歩道の清掃ボランティアに取り組んだのだが、私は他の方と違い低木の間に絡まっている枯葉を取り除く作業を担った。この作業は膝を折ってしゃがんだり、立ち上がったりの連続動作を伴う作業だ。つまり、作業をした1時間余り私はスクワットをし続けたことになる。すると、翌日から激しい筋肉痛に見舞われた。金曜は「西岡公園おさんぽガイド」には何とか参加できたが、土曜、日曜とまったく何をする気にもならなかった。
まったくもって歓迎せざる “老化” は順調に進行しているようだ。そのためブログのネタに尽きてしまった。家の中でブラブラしていた私だが、暇に任せてスマホをあちこちと検索していたところ、韓国の新聞「朝鮮日報」に韓国の哲学者で経済社会研究院専門委員という方が「大谷翔平に見る仕事を通じて幸せになる道」と題する寄稿文を目にした。日本を、あるいは日本人をバッシングすることが国是のような国の新聞が大谷翔平選手を礼賛する記事を掲載したことに驚きを感じながら読んでみると、一考に値する文章が載っていた。少し長いが興味のある方は一読していただきたい。
大谷翔平は記念碑的な選手だ。投手と打者を兼ねる野球選手が両方とも卓越した成績を残すのはベーブ・ルース以来、初めてのことだ。スポーツが高度に発達した今日ではさらに難しいことだ。時速160キロ台の剛速球を投げる先発投手であると同時に、本塁打を量産するクリーンアップでもある超スーパースターが登場し、日本をWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)優勝に導いた事件を前に、全世界の人々が熱狂している。
「大谷シンドローム」は何も彼の実力だけを言うのではない。全ての人に親切で優しく、真剣に自らを磨く求道者のような姿が、野球ファンを超え一般大衆にも新鮮な感動を与えている。同僚たちが下品な話をすると眉をひそめ、酒は一滴も飲まない。野球選手として活動し、より良い成績を残すためにトレーニングすることが最大の幸せだからだ。「日々足りないものが見える。もっとうまくなれると感じさせてくれる。今もやらなければならないことが多いというのは本当に幸せなことではないかと思う」
大谷の頭の中には野球しかない。一日中野球をしたり、練習をしたり、野球が上手になるためのトレーニングに励む。他人から見るにはあまりにも面白くなく単純な人生だが、本人は常に充実した幸せの中で生きている。しかし、よく考えてみると、このようなことは何も大谷に限ったことではない。国手として知られるイ・チャンホ九段は「職業が囲碁、趣味も囲碁」だった。一生絵を描いていたアンリ・マティスは晩年、がんによる闘病で筆が使えなくなると、今度ははさみを持って折り紙を切りながら美術作業に専念した。彼らの共通点は明らかだ。自分が愛するある分野にすっかりはまったまま、「没頭」(flow)状態で一生を生きたのだ。(中略)
※ 文中の「国手」とは、韓国における囲碁の名人を指す言葉。また「イ・チャンホ九段」とは、韓国棋界の伝説的な棋士で世界棋戦優勝21回という記録を誇り、1990~2000年において世界最強の棋士と言われた人だそうです。
世界中の人々が最も愛するスポーツマン、大谷翔平に戻ってみよう。彼はなぜ投手と打者を兼ねる、いわゆる「二刀流」の道を歩んでいるのだろうか。もしかしたら、野球にもっと没頭するために自らに大きな負担を掛けているのかもしれない。幼い頃から同年代に比べてずば抜けた体格、体力、技術を持ち合わせていただけに、片方だけに専念していたら野球がつまらなくなって没頭できなくなる恐れもあったかもしれない。
幸せへの道は単純だ。私に与えられた仕事を、私が今できるものよりも少し難しく、もう少し一生懸命にすることだ。誰もが大谷のように成功するわけではないが、大谷のような幸せを味わうことは不可能ではない。働く人、仕事を通じて幸せになりたい人のための、真の労働改革が切実に願われる理由だ。
読んでいただいてお分かりと思うが、筆者は大谷選手の成績、野球に取り組む姿勢、人間性を直視し、そこから「仕事とは」、「幸せとは」ということを考え、省みることを読者に訴える文章となっている。
日本のマスコミ界においても大谷礼賛の嵐は収まるところを知らない。それはWBCに続いて、MLBが開幕しても大谷選手の活躍が止まらないところにあるからだろうが、もはや彼の一挙手一投足が日々の話題となっている。それに接する私も含めた多くの日本人は彼の話題に頬を緩め、彼の虜になっている。
大谷選手は今、野球選手としては最高の時を迎えていると思われるが(いや、彼のことだから、その最高の時を長く続ける努力を欠かさないと思うが)、彼はきっと私たちの想像を超える活躍をしてくれるのではないかと夢見させてくれる。
私は大谷選手の活躍に一喜一憂している一人のファンであるが、朝鮮日報の記事は彼の活躍から自らの生き方を考えようと問うている。「少し難しく」、「もう少し一生懸命に」…心に刻みたい言葉である。
私の今の願いは、大谷選手が身体の故障だけはしてほしくないということだ。スポーツ選手にとって身体の故障は付きものとも言われるが、それだけはけっして遭遇しないよう万全を期してシーズンをまっとうしてほしいと願うばかりである。