白石歴しるべウォーキング№3のCコース(菊水・菊水町巡り)5.2Kmは、地下鉄「菊水駅」に近接する「やよい公園」をスタート&ゴールとする6ポイントを巡り歩くコースだった。
今回のチェックポイントは、(続き番号で)⑯旧国鉄東札幌駅周辺の工業地帯 ⑰宇都宮牧場跡 ⑱有島武郎邸跡地 ⑲北海道庁立札幌治療院 札幌市助産所跡 ⑳札幌遊郭(白石遊郭)跡 ㉑白石村1番 の6ヵ所である。
今回もスタート地点であり、「旧国鉄東札幌駅周辺の工業地帯」の標識が立っている地下鉄「菊水駅」に近接している「やよい公園」を見つけるのに苦労した。
⑯旧国鉄東札幌駅周辺の工業地帯
マップの案内によると、周辺は大正時代から昭和40年代にかけて、鉄工、ゴム、繊維、木材などの工場群が立ち並んでいたという。一帯は国鉄千歳線と定山渓鉄道が交差する東札幌駅があり原材料の運搬に都合がよく、そのうえ札幌の巨大市場が近くに控えているという立地の良さから工場が集まったそうだ。しかし、現在その辺りは工場の跡は見当たらず周囲はマンションなどの住宅街へと変身していた。(よく探索はしていないが…)
「やよい公園」に植わっていたサクラが満開の時を迎えていた。
⑰宇都宮牧場跡
「やよい公園」からそれほど離れていないところに明治35(1902)年から昭和2(1927)年まで面積20haを有する宇都宮牧場があったそうだ。牧場を拓いた宇都宮仙太郎はアメリカ留学を経て、当地でバターの製造や牛の品種改良を行うなど先進的な酪農を実践し、「日本酪農の父」と称された方だそうだ。
現在辺りは当時の面影は跡形もなく、都市化されていた。
⑱有島武郎邸跡地
豊平川に近い現在「豊平川河岸公園」となっているところに、東北帝国大学農科大学(現在の北海道大学)において英語講師を務めていた作家・有島武郎が明治43(1910)年5月から翌年7月まで住んでいたという。下世話な話だが、豊平川を挟んで当時の交通事情を考えると、通勤が不便ではなかったのでは?と思うのだがどうだったのだろうか?
なお、当時の邸宅は「北海道開拓の村」に復元・公開されているという。(旧有島武郎邸はもう一軒あって、そちらは札幌芸術の森内で復元・公開されている)
※ 「白石歴しるべ」の標識の横に、「有島武郎邸跡地」の標識が立っていました。
⑲北海道庁立札幌治療院 札幌市助産所跡
札幌遊郭の菊水地区への移転に伴い、性感染症の予防・治療をする札幌治療院もこの地に移転したそうである。場所は白石遊郭の道路向かいである。同治療院は戦後閉鎖されたが、全面改築後に札幌市助産所となって昭和44(1969)年に廃止された。現在その跡には軽費老人ホーム「札幌市菊樹園」となっていた。
⑳札幌遊郭(白石遊郭)跡
⑲北海道庁立札幌治療院 札幌市助産所跡の道路向かい、現在「菊水公園」となっているところが「白石遊郭跡」である。案内書によると、札幌の遊郭は初薄野地区に明治10(1877)年に開かれたが、薄野界隈の都市化によって大正9(1920)年に果樹園主らからの寄附を受け、菊水地区に移転したのが「白石遊郭」である。最盛期には30軒もの妓楼が軒を連ねたそうだが、昭和33(1958)年の売春防止法の施行によって姿を消したそうだ。
現在は「菊水公園」として地域住民の憩いの場となっているようだ。なお、公園の一遇には「菊水神社」の小さな祠が建てられていた。
※ 「菊水公園」の一隅には「菊水神社」の小さな祠が建っていました。
㉑白石村1番
「菊水公園」からはやや離れて国道12号線沿いに「白石公園」があるが、その一角が「白石1番」と呼ばれるところである。
白石開拓の第一歩は、明治4(1871)年に旧仙台藩の白石城主の家臣が望月寒(も・きちさっぷ 当時の呼び方だそうだ)に移住したのが始まりとされている。彼らは最初に幅18m、長さ3,600m の道路(現在の国道12線)を造り、この道路を挟んで道路の右と左にそれぞれ1番から50番まで番号を付けて土地割りをしたという。その起点となったところが「白石村1番」とされている所だそうだ。
白石地区の歴史を知るのが楽しくなってきた。と思い始めたが「白石歴しるべウォーキング」は残り1コースとなってしまった。残り1コースも楽しみながら巡りたいと思っている。