![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/11/c1288ac69104eb32febf1217e9136887.jpg)
ロマノフ王朝への道を開いた
イヴァン4世妃 アナスタシア・ロマノヴナ
1523~1560/在位 1547~1560
イヴァン4世は3歳で即位したものの、まずは母であるエレーナ・グリンスカヤが、
その後は次々と実権を握る高官たちにによって政治を牛耳られていました。
1547年のモスクワ大火で、母方の一族であるグリンスキー家が“ 呪いのせいだ ” と
民衆の怒りにさらされて失脚してから、やっと主導権を握ることができました。
同じ年イヴァン4世は大貴族ロマン・ユーリエヴィッチの娘アナスタシアと結婚しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/90/07b9c6432936038c5176a78938eaaffa.jpg)
例によってクレムリンに集められた(アバウトですけど)500~1500人の
お妃候補の中から選ばれたアナスタシアは穏やかな性格だったそうで
激しやすく凶暴な面を持つイヴァン4世を落ち着かせることができる女性でした。
なにしろイヴァン4世は “ 雷帝 ” と呼ばれた人ですからね! 手がつけられなさそうです。
結婚から14年目の1560年、アナスタスアは突然病にかかりました。
日に日に衰弱していくアナスタシアを見守っていた雷帝は、毒を盛られたのでは?と
疑いを持ち始め、高官たちを次々拷問や処刑にかけていきました。
(上の画は死に瀕したアナスタシアで、隣には心配そうな雷帝が描かれています
ブーツの刺繍がかわいいっす!)
ただ、雷帝は高官たちを嫌っていたのでアナスタシアの病気を口実に
粛正をおこなったとも考えられますね。
雷帝は生涯で8度
結婚していますが、アナスタシアを一番愛していたみたいです。
彼女が生きていたら雷帝の今後の人生も違うものだったかもしれないですね。
アナスタシアの兄ニキータがロマノフ家の始祖になりまして、アナスタシアの子
フョードル1世のいとこの子にあたるミハイルがロマノフ王朝最初の皇帝になります。
もちろん、ロマノフ王朝になるまでにはいろいろあるわけですけどね…
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
辞典みたいに厚いですけどね…
イヴァン4世妃 アナスタシア・ロマノヴナ
1523~1560/在位 1547~1560
イヴァン4世は3歳で即位したものの、まずは母であるエレーナ・グリンスカヤが、
その後は次々と実権を握る高官たちにによって政治を牛耳られていました。
1547年のモスクワ大火で、母方の一族であるグリンスキー家が“ 呪いのせいだ ” と
民衆の怒りにさらされて失脚してから、やっと主導権を握ることができました。
同じ年イヴァン4世は大貴族ロマン・ユーリエヴィッチの娘アナスタシアと結婚しました。
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例によってクレムリンに集められた(アバウトですけど)500~1500人の
お妃候補の中から選ばれたアナスタシアは穏やかな性格だったそうで
激しやすく凶暴な面を持つイヴァン4世を落ち着かせることができる女性でした。
なにしろイヴァン4世は “ 雷帝 ” と呼ばれた人ですからね! 手がつけられなさそうです。
結婚から14年目の1560年、アナスタスアは突然病にかかりました。
日に日に衰弱していくアナスタシアを見守っていた雷帝は、毒を盛られたのでは?と
疑いを持ち始め、高官たちを次々拷問や処刑にかけていきました。
(上の画は死に瀕したアナスタシアで、隣には心配そうな雷帝が描かれています
ブーツの刺繍がかわいいっす!)
ただ、雷帝は高官たちを嫌っていたのでアナスタシアの病気を口実に
粛正をおこなったとも考えられますね。
雷帝は生涯で8度
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彼女が生きていたら雷帝の今後の人生も違うものだったかもしれないですね。
アナスタシアの兄ニキータがロマノフ家の始祖になりまして、アナスタシアの子
フョードル1世のいとこの子にあたるミハイルがロマノフ王朝最初の皇帝になります。
もちろん、ロマノフ王朝になるまでにはいろいろあるわけですけどね…
(参考文献 デヴィッド・ウォーンズ『ロシア皇帝歴代誌』
外川継男氏『ロシアとソ連邦』 Wikipedia英語版)
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辞典みたいに厚いですけどね…