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まりっぺのお気楽読書

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スコットランド王マルカム3世妃 聖マーガレット

2008-12-14 23:01:32 | スコットランド王妃・王女
スコットランド王室唯一の聖人
マルカム3世妃 聖マーガレット・オブ・スコットランド


1045~1093/在位 1067~1093

マルカム3世の二人目の妃マーガレットは
サクソン王エドマンド・アイアンサイドの孫娘にあたり
兄はサクソン人のイングランド王継承者として一身に期待を集めていた
エドガー・アジリングでした。

       

ノルマン公ギョーム(ウィリアム1世)によるイングランド征服は拡大する一方で
マーガレットの母で、ハンガリー王イシュトヴァーン1世の娘アガサは子供たちを連れ
一旦故国へ亡命する決心をします。
ところが船が難破しスコットランド沖へ漂着してしまいます。
マルカム3世は王自らその救助にあたっていたのでした。
なんだか Destiny な感じです。

美しく知的で、しかもサクソン王の血を引く女性とあっては
見過ごすわけにはいきません。
イーンガボーグの死からはすでに3年たっています。
マルカム3世は即求婚し、即結婚しました。

一説によるとマーガレットはとてもシリアスな性格で
誰も彼女を笑わせることができなかったと言われています。
でも慈善心には富んでいたらしく、病院や施療院への見舞いにもでかけ
孤児たちや貧しい人への施しは毎日欠かさなかったといいます。
また、古い教会を修復し、王宮にはチャペルを建設、夜中のミサにも出席し
日曜日に教会へ通う習慣を広めました。

これらの慈愛に満ちた行いや教会への忠誠から
1250年、ローマ教皇によって聖人の列に加えられています。
スコットランド王室で聖人の列に加えられたのは彼女だけです。

              
               聖人のイメージのマーガレット

少女時代までをハンガリーですごしたマーガレットは、衣服、マナー、式典などに
大陸スタイルを取り入れ、公用語にラテン語を使用するように変えていきます。
王との間には8人の子供が生まれていますが、全てイングランド系の名前で
スコットランド名をつけませんでした。
王にはかなり影響力があったみたいですね( 密かにカカア天下か? )

              
                大陸スタイルの王と王妃

1093年11月3日、マルカム3世と長男エドワードが
イングランド侵攻の途上で殺害されました。
病床についていたマーガレットは、このことを息子エドマンドから聞かされると
重体に陥り、3日後の11月6日、息を引き取りました。

なお、マルカム3世の死後勝手に王位を宣言した弟ドナルド3世は
マルカム3世がイングランドかぶれになったのも王妃の仕業だとして
マーガレットの遺体を奪い、公開処刑(死んでるのに?)にしようとしますが
王妃の遺体は側近たちによって匿われ無事でした。
おちおち横たわってもいられないですね

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版
      HISTORIC-UK.com)

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