まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝フェルディナント1世皇女 アンナ

2011-04-25 00:44:59 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
“ 三度目の正直 ” 結婚
フェルディナント1世皇女 アンナ・フォン・エスターライヒ
バイエルン公アルブレヒト5世妃


1528~1590

アンナはフェルディナント1世とアンナ・フォン・ベーメンの三番目の子で次女です。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の妹になります。

           
幼い頃、バイエルン公子テオドールと婚約しましたが、相手が亡くなりました。
テオドールは1534年に8歳で亡くなっているので
アンナが6歳になるまでに婚約したみたいですね。

次にシャルル・ドルレアンと婚約しましたが、またまた相手が亡くなりました。
シャルルは1545年に23歳で亡くなっているので
アンナが17歳になるまでに婚約したと思われます。
シャルルは、アンナとカール5世の皇女マリアの、どちらと結婚してもいいという
ダブル婚約だったみたいです。
          
シャルルが亡くなった翌年、バイエルン公子アルブレヒト(5世)と結婚しました。
アルブレヒトは最初の婚約者テオドールの2歳下の弟でした。

アンナの伯父カール5世は、シュマルカルデン戦争でバイエルンの支援が欲しくて
この結婚を決めました。

アルブレヒトはドイツ国内のカトリック改革のリーダーで
政治よりもそっちに力を注いでいました。
とはいえ、当時のヨーロッパでは政治と宗教は密接に繋がっていたんだけどもね。
アンナもそんな夫共々精力的に活動したみたいです。

また、アルブレヒト5世とアンナは芸術面でミュンヘンの評判を高めていきました。
アルブレヒト5世には、ギリシャやエジプトの骨董品をはじめとする
美術品のコレクションがあり、芸術面のパトロンでもありました。
蔵書も多く、バイエルン州立図書館の前身になる宮廷図書館も建てています。
自分の名前を冠したギナジウム(中・高等学校)も建てています。
アンナも一緒に芸術をサポートしていました。

してみるとこの夫婦、ものすごく気が合っていたみたいですね。
アンナにもともと芸術方面の興味があったのか夫唱婦随なのかはわかりませんが
良いコンビだったように思えます。

仕事一辺倒の亭主よりは多趣味な亭主の方が一緒にいて楽しいものね。
趣味にもよるけど…

お子様は7人。
娘のマリア・アンナは、アンナの弟の内オーストリア大公カール2世と結婚しました。
この二人の長男が後に神聖ローマ皇帝フェルディナント2世になります。
娘二人は相次いでポーランド王ジグムント3世妃になっています。
ポーランド…ハプスブルク家にとってどんだけ重要だったんだ…
すごく興味が湧いてきました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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2 コメント

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Unknown (エリア55)
2011-04-25 21:30:00
30年戦争がらみですか?
そのあたりはややこしくてゼンゼンわからないです~><
ポーランドって大国に翻弄された国ですよね~
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こんばんわ (まりっぺ)
2011-04-26 22:25:44
そうなんですよね~

ハプスブルク家はハンガリー&ベーメン(ボヘミア=チェコ)を手に入れ、さらにポーランドも…と考えていたんじゃないかと思います。
ポーランドはもともとベーメンと繋がりが深くてかけもち君主もいましたから、取り戻したかったのではないでしょうか。
もともと人の国だっていうのに、獲ったり獲られたりの忙しい時代ですよね。
30年戦争はもう少し後になります。

ところで、先日エリア55さんの腰痛の話しを読んでいて、私も昼間は仕事でパソコン、夜はブログでパソコン&韓流でテレビ…と座りっぱなし生活をしているので、これはイカン!と何年ぶりかの腹筋をしてみたしだいです。
でも次の日はしなかったんですけどね…
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