
聖戦が命取りに?
フィリプ3世妃 イザベル・ダラゴン
1247~1271/在位 1270~1271
アラゴン王ハイメ1世の王女イザベルは15歳の時
2歳年上の皇太子フィリプと結婚しました。

父王ルイ9世が参加した第8回十字軍にはフィリプも参加し、イザベルも同行します。
しかしこの遠征は失敗でルイ9世は死亡しました。
帰路の途上のカラブリアで、イザベルが妊娠6ヶ月であることが分かりましたが
フランスに帰り着く前に子供を死産し、自らも17日後になくなりました。
フィリプはイザベルと子供の亡骸をパリまで持ち帰り埋葬しました。

子育て上手?の王妃
フィリプ3世妃 マリー・ド・ブラバン
1254~1321/在位 1274~1285
フィリプ3世はイザベルの死から3年、20歳のマリーと再婚します。
彼女は1男2女を生みますが、王女のひとりが “ 慈愛の王妃 ” とよばれた
イングランド王エドワード1世妃マーガレットです。
息子のエヴルー伯ルイももの静かで思慮深く、政策通だったといいますから
子育て上手だったのでしょうか?

子供のみならず、フィリプ3世もマリーの影響で、前妻イザベルの生家
アラゴン王家(ウルヘル家)に敵対するようになります。
イザベルの家系図に見るように、フィリプ3世の叔父シャルル・ダンジューは
1266年ナポリ・シチリア王カルロ1世として即位しますが
1282年にウルヘル家のピエトロにシチリアを奪われてしまいます。
マリーはこの件に王の注意を向けさせ、戦いに駆り立てたと言われています。
これが政策的なものなのか、前妻イザベルに対するジェラシーからなのかは
ちと量りかねますが、ジェラシーの方がドラマチックでよいですね
31歳の時、フィリプ3世が亡くなると修道院に入り67歳で亡くなりました。
(参考文献 Wikipedia英語版)
フィリプ3世妃 イザベル・ダラゴン
1247~1271/在位 1270~1271
アラゴン王ハイメ1世の王女イザベルは15歳の時
2歳年上の皇太子フィリプと結婚しました。

父王ルイ9世が参加した第8回十字軍にはフィリプも参加し、イザベルも同行します。
しかしこの遠征は失敗でルイ9世は死亡しました。
帰路の途上のカラブリアで、イザベルが妊娠6ヶ月であることが分かりましたが
フランスに帰り着く前に子供を死産し、自らも17日後になくなりました。
フィリプはイザベルと子供の亡骸をパリまで持ち帰り埋葬しました。

子育て上手?の王妃
フィリプ3世妃 マリー・ド・ブラバン
1254~1321/在位 1274~1285
フィリプ3世はイザベルの死から3年、20歳のマリーと再婚します。
彼女は1男2女を生みますが、王女のひとりが “ 慈愛の王妃 ” とよばれた
イングランド王エドワード1世妃マーガレットです。
息子のエヴルー伯ルイももの静かで思慮深く、政策通だったといいますから
子育て上手だったのでしょうか?

子供のみならず、フィリプ3世もマリーの影響で、前妻イザベルの生家
アラゴン王家(ウルヘル家)に敵対するようになります。
イザベルの家系図に見るように、フィリプ3世の叔父シャルル・ダンジューは
1266年ナポリ・シチリア王カルロ1世として即位しますが
1282年にウルヘル家のピエトロにシチリアを奪われてしまいます。
マリーはこの件に王の注意を向けさせ、戦いに駆り立てたと言われています。
これが政策的なものなのか、前妻イザベルに対するジェラシーからなのかは
ちと量りかねますが、ジェラシーの方がドラマチックでよいですね

31歳の時、フィリプ3世が亡くなると修道院に入り67歳で亡くなりました。
(参考文献 Wikipedia英語版)