![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/7f/bb777b608f3ec95fbf24ab34ea43cab8.jpg)
略奪された王妃
シャルル8世妃 アンヌ・ド・ブルターニュ
1477~1514/在位 (シャルル8世妃)1491~1498 (ルイ12世妃)1499~1514
ブルターニュ公国は当時戦いの要所として各国から注目され、相続人のアンヌは
(一説には美しくなかったというけれど)小さな頃から求婚が絶えませんでした。
13歳の時、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と婚約し、代理人と式を挙げ
(当時は)立派に結婚したことになっていました。
ところが攻め込んできたシャルル8世に結婚をせまられ
フランス勢に包囲されてしまったアンヌは不承不承承諾します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8a/29966d3ec30aa68d36578c718394d2f3.jpg)
ウィーンの戦地にいたマクシミリアン1世は、アンヌと自分が結婚しているばかりか
シャルル8世も自分の娘であるマルグリートと婚約しているではないか!と
意義を申し立てますが後の祭り…既に式を挙げてしまっていました。
(ちなみにシャルル8世も自分の城で養育していたマルグリートと式を挙げていたそうで
結婚していたという解釈のものもあります)
マルグリートは親元へ帰されるのですが、一説によるとフランスでとても人気があったらしく
あとから来たアンヌへの風当たりは強かったそうです。
好きで来たんじゃないのにね。
どうしてもブルターニュを手放したくないフランスは
シャルル8世が嫡子を残さずに他界した場合 “アンヌは次王と再婚しなければならない”
という、とんでもない条項を加えています。 おいおいおい![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
14歳のアンヌにとって結婚生活は憂鬱でした。
アンヌの輿入れ道具の中には2つのベッドもあったらしいのですが
それは当時王と王妃は別々の寝室で寝るもので、アンヌも当分ひとりで寝るんだとばかり
思っていたからなのです。
が、しかし、シャルル8世はアンヌにそのベッドを使わせませんでした。
てぇことは…アンヌ14歳なのに… ふたりはこの件でよく喧嘩をしたそうですが
相手は男だし、王様だしね。
そんなわけでアンヌは15歳から毎年のように子供を生んでいます(年に2人の時も!)
けれど7人のうち6人までが死産か生後間もなく死亡しています。
かろうじてシャルルという子が3歳まで生きていました。
母体にも子供にもいいことではないですよね。
中世には出産時に死亡する母親や死産、夭折などがすごく多いのですけれど
出産も早けりゃいいってもんじゃないと思うが…
結婚から7年、シャルル8世が急死しますが、これはテニスの最中
ドアの横木に頭をぶつけたからだそうで、数時間後に亡くなっています。
どれだけ強くぶつけたんだか![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
アンヌは21歳で未亡人になりましたが、そこには結婚の時に結んだ条約が…
To be continued...
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)
シャルル8世妃 アンヌ・ド・ブルターニュ
1477~1514/在位 (シャルル8世妃)1491~1498 (ルイ12世妃)1499~1514
ブルターニュ公国は当時戦いの要所として各国から注目され、相続人のアンヌは
(一説には美しくなかったというけれど)小さな頃から求婚が絶えませんでした。
13歳の時、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と婚約し、代理人と式を挙げ
(当時は)立派に結婚したことになっていました。
ところが攻め込んできたシャルル8世に結婚をせまられ
フランス勢に包囲されてしまったアンヌは不承不承承諾します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8a/29966d3ec30aa68d36578c718394d2f3.jpg)
ウィーンの戦地にいたマクシミリアン1世は、アンヌと自分が結婚しているばかりか
シャルル8世も自分の娘であるマルグリートと婚約しているではないか!と
意義を申し立てますが後の祭り…既に式を挙げてしまっていました。
(ちなみにシャルル8世も自分の城で養育していたマルグリートと式を挙げていたそうで
結婚していたという解釈のものもあります)
マルグリートは親元へ帰されるのですが、一説によるとフランスでとても人気があったらしく
あとから来たアンヌへの風当たりは強かったそうです。
好きで来たんじゃないのにね。
どうしてもブルターニュを手放したくないフランスは
シャルル8世が嫡子を残さずに他界した場合 “アンヌは次王と再婚しなければならない”
という、とんでもない条項を加えています。 おいおいおい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
14歳のアンヌにとって結婚生活は憂鬱でした。
アンヌの輿入れ道具の中には2つのベッドもあったらしいのですが
それは当時王と王妃は別々の寝室で寝るもので、アンヌも当分ひとりで寝るんだとばかり
思っていたからなのです。
が、しかし、シャルル8世はアンヌにそのベッドを使わせませんでした。
てぇことは…アンヌ14歳なのに… ふたりはこの件でよく喧嘩をしたそうですが
相手は男だし、王様だしね。
そんなわけでアンヌは15歳から毎年のように子供を生んでいます(年に2人の時も!)
けれど7人のうち6人までが死産か生後間もなく死亡しています。
かろうじてシャルルという子が3歳まで生きていました。
母体にも子供にもいいことではないですよね。
中世には出産時に死亡する母親や死産、夭折などがすごく多いのですけれど
出産も早けりゃいいってもんじゃないと思うが…
結婚から7年、シャルル8世が急死しますが、これはテニスの最中
ドアの横木に頭をぶつけたからだそうで、数時間後に亡くなっています。
どれだけ強くぶつけたんだか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
アンヌは21歳で未亡人になりましたが、そこには結婚の時に結んだ条約が…
To be continued...
(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)