まりっぺのお気楽読書

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フランス王シャルル8世妃 アンヌ

2009-03-01 02:08:04 | フランス王妃・王女
略奪された王妃
シャルル8世妃 アンヌ・ド・ブルターニュ


1477~1514/在位 (シャルル8世妃)1491~1498 (ルイ12世妃)1499~1514

ブルターニュ公国は当時戦いの要所として各国から注目され、相続人のアンヌは
(一説には美しくなかったというけれど)小さな頃から求婚が絶えませんでした。
13歳の時、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と婚約し、代理人と式を挙げ
(当時は)立派に結婚したことになっていました。
ところが攻め込んできたシャルル8世に結婚をせまられ
フランス勢に包囲されてしまったアンヌは不承不承承諾します。

        

ウィーンの戦地にいたマクシミリアン1世は、アンヌと自分が結婚しているばかりか
シャルル8世も自分の娘であるマルグリートと婚約しているではないか!と
意義を申し立てますが後の祭り…既に式を挙げてしまっていました。
(ちなみにシャルル8世も自分の城で養育していたマルグリートと式を挙げていたそうで
 結婚していたという解釈のものもあります)

マルグリートは親元へ帰されるのですが、一説によるとフランスでとても人気があったらしく
あとから来たアンヌへの風当たりは強かったそうです。
好きで来たんじゃないのにね。

どうしてもブルターニュを手放したくないフランスは
シャルル8世が嫡子を残さずに他界した場合 “アンヌは次王と再婚しなければならない”
という、とんでもない条項を加えています。 おいおいおい

14歳のアンヌにとって結婚生活は憂鬱でした。
アンヌの輿入れ道具の中には2つのベッドもあったらしいのですが
それは当時王と王妃は別々の寝室で寝るもので、アンヌも当分ひとりで寝るんだとばかり
思っていたからなのです。
が、しかし、シャルル8世はアンヌにそのベッドを使わせませんでした。
てぇことは…アンヌ14歳なのに… ふたりはこの件でよく喧嘩をしたそうですが
相手は男だし、王様だしね。

そんなわけでアンヌは15歳から毎年のように子供を生んでいます(年に2人の時も!)
けれど7人のうち6人までが死産か生後間もなく死亡しています。
かろうじてシャルルという子が3歳まで生きていました。
母体にも子供にもいいことではないですよね。
中世には出産時に死亡する母親や死産、夭折などがすごく多いのですけれど
出産も早けりゃいいってもんじゃないと思うが…

結婚から7年、シャルル8世が急死しますが、これはテニスの最中
ドアの横木に頭をぶつけたからだそうで、数時間後に亡くなっています。
どれだけ強くぶつけたんだか

アンヌは21歳で未亡人になりましたが、そこには結婚の時に結んだ条約が…

To be continued...

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)

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