まりっぺのお気楽読書

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スウェーデン王マグヌス3世妃 ヘルヴィク

2011-07-20 20:50:25 | スウェーデン王妃
心優しき王妃、息子の喧嘩に悩む
マグヌス3世妃 ヘルヴィク・アヴ・ホルシュタイン


1260~1324/在位 1276~1290

兄王ヴァルデマーを敗って王座についたマグヌス3世は
即位前に他の女性と結婚していたと言われていますが、詳細はわかりません。

即位した後に再婚した相手がヘルヴィクです。
ヘルヴィクの父のホルシュタイン伯ゲルハルトはおいといて…
母エリーザベトがスヴェルケル2世の王女と言われるクリスティーナの
子孫にあたる…らしいです。
          
1278年、ヘルヴィクの父ゲルハルトは、フォルクンガ家内の反対派が起こした
スカーラの反乱の時に捕らえられました。
ヘルヴィクも標的になっていて、市内の修道院に避難しなければなりませんでした。

ヘルヴィクが王妃になってから5年後に戴冠式がありました。
これは確認できている限りでは、スウェーデン王妃初の戴冠式だそうです。

ヘルヴィクは政治的なことに首をつっこみませんでした。
高貴な雰囲気漂う淑女で、平和主義者で、母性に溢れた女性でした。
王子ビュリイェルの妃になる予定のマルタは、幼い頃からスウェーデンで育ちましたが
ヘルヴィクはまるで我が子のように愛情を注ぎました。

とにかく敬虔な人で、いくつもの修道院や教会の設立に関係し
司教の就任式・聖人の日のミサや式典などに桁違いの寄付をしていました。

しかし、当時スウェーデンでは、マグヌス3世が導入した貴族制度のおかげで
大きな階級差ができて、農民たちが重税に苦しんでましたのでね…
強会への寄付もいいけど貧しい人たちのために使ってあげても良かったのでは?

マグヌス3世が亡くなった翌年の1291年、ヘルヴィクはヴェストマンランドにある
ダボスの領地に退いて過ごし、64歳で亡くなりました。
マグヌス3世が眠る、ストックホルムのリッダーホルム教会に葬られました。

ただですね~、こんなに愛情深く争いを嫌う母親を持った3人の王子は
やはり権力を奪おうと争うんですよね… どうしてそうなっちゃうかな?
ヘルヴィクも晩年は息子たちの確執に胸を痛めていたみたいです。

王女のインゲボリはデンマーク王エーリク7世妃になりました。
こちらも悲劇的な一生でして…
結局ヘルヴィクは、5人の子供のうち次女のサンタクララ修道院長リキサ以外
自分より早く亡くしてしまいました。

事故や病気だったら仕方がないけど、家族の争いで親より先に逝くなんて
親不孝極まりないですな!

(参考文献 武田龍夫氏『物語北欧の歴史』 Wikipedia英語版)
コメント
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