まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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スウェーデン王カール7世妃 クリスティーナ

2011-07-07 21:14:05 | スウェーデン王妃
               北欧神話シリーズ、Sagen作ノルン

3年間の記録しかない王妃
カール7世妃 クリスティーナ・スティグスドッテル・ヘヴィーデ


1145頃~1200/在位 1164~1167

在位6年で殺害されてしまったカール7世の妃クリスティーナは
当時デンマーク領だったスコーネ地方の貴族スティグ・トークソンと
デンマークの王族マルガレータの娘でした。
          
この次期、めでたいことにウプサラに大司教がおかれることになりまして
シュテファン大司教の就任式の後の1164年に結婚したと考えられています。

しかし3年後カール7世は、次の王になるクヌートの支援者に殺されてしまって
クリスティーナは王子スヴェルケル(2世)とともにデンマークに避難しました。

クリスティーナに関して残っているのは、カールと結婚していた、この3年分だけ…
デンマークに帰ってから、いったいどうしてたのかしらね?

息子スヴェルケルが王に即位した1196年には生きていらっしゃったようです。
晴れ舞台が見れて良かったですね。



神様との約束をバッくれようとして・・・
クヌート1世妃 セシリア・ヨーハンスドッテル


生年不詳~1193年以降/在位 1167~1190

そんなわけで、カール7世を倒して王になったクヌート1世はけっこう在位が長く
セシリアも20年以上王妃だったんですが、あまり知られていません。
生年月日から家族構成、名前さえはっきりしてないという…

スヴェルケル1世の王子ヨハンが父親だという説が有力なようです。
             
1160年頃にクヌートと結婚しました。

かように影が薄いセシリアに、語り継がれているエピソードがひとつあります。

1190年頃、セシリアはかなり思い病に罹ってしまいました。
死んでしまうかも…と誰もが思っていた時、セシリアは神に祈り
「もし命を救ってくだされば、修道院に入り一生感謝を捧げます」と誓いました。

するとどうでしょう セシリアは病から回復したではありませんか!

さ、修道院に…と思いきや、セシリアは行きたくなかったのね。
クヌートも行かせたくなかったのね…そこで二人は教皇クレメンス3世に使者を送り
「もちろん感謝は捧げるんだけども、修道院入りはやめて夫婦二人で尽くします」と
願い入れたんですね。

クレメンス3世は「約束を果たしなさい!」とセシリアに王妃の座を放棄させて
修道院に入れてしまいましたとさ。
1193年頃のことだそうです。
その後のセシリアについては不明…どうなっちゃったんでしょう?

(無知故に)何度も書いてるけど、昔のキリスト教って少々狭量じゃないかい?
せっかく治ったんだから一緒にいさせてあげればよかったんではないでしょうか。
奇跡をおこしていただいても、これではありがたさ半減ね

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
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