まりっぺのお気楽読書

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スウェーデン王マグヌス妃 リキサ

2011-07-02 09:36:16 | スウェーデン王妃
              北欧神話シリーズ、ヒューズ作ワルキューレ

政略結婚三昧の一生
マグヌス王妃 および スヴェルケル1世妃 リキサ・アヴ・ポーレン


1116年頃~1156年以降/在位 (マグヌス王妃)1129~1130
               (スヴェルケル1世妃)1148~1156

インゲ2世の後選出されて一瞬王についたラングヴァルドを殺して王になったマグヌスと
スヴェルケル1世の二人目の王妃になったのがリキサです。
スヴェルケル1世の最初の妃はウルヴヒルドです。

リキサはポーランド公ボレスワフ3世の娘で
口では言い表せないほど美しかったと言い伝えられています。
当時重要なポジションにあるポーランド、そして美女とくればひっぱりだこですね。
    
ボレスワフ3世はポンメルン公に対抗するためにデンマークと手を組むことにして
ニルス王の王太子マグヌスとリキサを結婚させました。
この時リキサは11歳ぐらいです。

母方の祖父がインゲ1世だったことからマグヌスはスウェーデン王位を主張し
1129年に即位しました。
しかしマグヌスを支持したのはヴェステルイェートランド地方のギーツだけで
他の部族はラングヴァルトを王に選出、マグヌスが支配できたのは一部だけでした。

ラングヴァルトは殺害されたのですが、すぐにスヴェルケルが登場し
マグヌスは廃位・追放されます。
リキサとマグヌスはデンマークへ帰りましたが、こここでも兄弟で権力を争い
結局マグヌスは1134年に戦いに敗れて亡くなりました。

二人の王子をデンマークに残してポーランドに帰ったリキサは2年後、20歳ぐらいで
リューリク家のミンスクの公子ヴォロダルと再婚しました。
これはデンマークとキエフのモノマフ家の連合に対抗するための政略結婚でした。

けれども9年後、モノマフ家が勢力を失い、ポーランドとミンスクの連合が消滅したので
リキサはまたまた二人の公子を残してポーランドに帰りました。

この時リキサがただ一人連れて帰った公女ソフィア
後にデンマーク王ヴァルデマー1世妃になります。

まだスヴェルケル1世に到達していないのに、すでに長い…はしょっていきますね。

ポーランドに帰って3年後、32歳ぐらいの時、スヴェルケル1世と再婚しました。

リキサにはデンマーク、ミンスクに残してきた息子たちがいましたが
スウェーデン王を義父に持つことでそれまでより有利な立場におかれることになります。
実はリキサの狙いはそれだったんじゃないか…と見る歴史家もいますけど
当時の結婚には100%近く損得が絡んでるんだから、別に悪いことじゃないよね。

最初の夫の息子クヌートは1156年に反乱をおこしてデンマーク王になり
スヴェルケルとウルヴヒルドの王女ヘレナ(エリン)と結婚しました。
ここまではいい調子です。
        
しかし、その年のクリスマスにスヴェルケル1世が暗殺され
翌年には息子クヌート5世が殺されます。
そればかりか修道士になっていた次男ニルスも亡くなってしまいました。

王であった夫、息子を亡くした後のリキサの日々ははっきりしません。
スヴェルケル暗殺の一味だった馬丁頭と再婚したという話しが伝わってますけど
どうなんだろう…すごい身分違いだけど。

スヴェルケル1世との間に生まれた王子ブリスレヴは、王位を争って敗れた後
(死んではいないけど)歴史上からは名前が消えてしまいました。
娘ソフィアが生んだ王女リキサは、後にスウェーデン王妃になります。
お楽しみに!

(参考文献 Wikipedia英語版)
コメント
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