4/14明朝、いよいよ法要参詣にバスで出発いたします。大阪から合流の方も入れて45名です。天候が一番気がかりです
が、今のところ大丈夫のようです。
昔の写真の中に明治30年に営まれた蓮如上人の400回御遠忌法要の写真がありましたので紹介しておきます。親鸞聖人の6
50回大遠忌法要はこれより14年後の大正元年に厳修されましたが残念ながらこの折の写真は拙寺に保存が見られません。です
が明治30年と云う交通事情のまだまだの時代に境内に溢れる群参の盛事に驚嘆いたします。
境内を埋めた参詣者
大玄関門を出発する庭儀(お練り)
お練りの到着を待つ境内
雅楽用の大太鼓(だだいこ)が一対見えます
大正元年の大遠忌法要には鉄道を利用した団体が組織され、大規模な法要となったようです。その折の団体乗降駅として作られたのが梅小路駅(現鉄道博物館)だそうです。
七百回大遠忌の頃は団体バスでの参拝が多くなり、今回の法要も恐らく90㌫がバス利用だと思います。
万福寺の団体参拝は前回の昭和36年は今治から関西汽船を利用し、大阪からバスでしたが、今回はしまなみの橋を使ってバスのみで上洛いたします。法要後は琵琶湖畔の雄琴温泉に泊し翌15日は大原三千院、比叡山と巡拝して法然、親鸞両聖人偲ぶことにしております。
雪柳、散り初め
屋久島石楠花蕾膨らむ
が、今のところ大丈夫のようです。
昔の写真の中に明治30年に営まれた蓮如上人の400回御遠忌法要の写真がありましたので紹介しておきます。親鸞聖人の6
50回大遠忌法要はこれより14年後の大正元年に厳修されましたが残念ながらこの折の写真は拙寺に保存が見られません。です
が明治30年と云う交通事情のまだまだの時代に境内に溢れる群参の盛事に驚嘆いたします。
境内を埋めた参詣者
大玄関門を出発する庭儀(お練り)
お練りの到着を待つ境内
雅楽用の大太鼓(だだいこ)が一対見えます
大正元年の大遠忌法要には鉄道を利用した団体が組織され、大規模な法要となったようです。その折の団体乗降駅として作られたのが梅小路駅(現鉄道博物館)だそうです。
七百回大遠忌の頃は団体バスでの参拝が多くなり、今回の法要も恐らく90㌫がバス利用だと思います。
万福寺の団体参拝は前回の昭和36年は今治から関西汽船を利用し、大阪からバスでしたが、今回はしまなみの橋を使ってバスのみで上洛いたします。法要後は琵琶湖畔の雄琴温泉に泊し翌15日は大原三千院、比叡山と巡拝して法然、親鸞両聖人偲ぶことにしております。
雪柳、散り初め
屋久島石楠花蕾膨らむ