万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

3月の法語

2014年03月01日 | Weblog


  帰ってゆくべき世界は
    今遇う光によって
   知らされる      浅井 成海(じょうかい)

今月の法語は龍谷大学の真宗学の教授であられ、平成23年に76才でもってご往生された浅井成海先生のお言葉が法語として

掲げられています。

 私どもは皮相的な問題については必死になって論議したり、自分の思いがある程度叶えられている安心してみたり、喜んでみた

り、逆に叶えられないと腹立たしく思ったり、時にはぐちぐち云ったりするのですが、自分自身の「いのち」の行く末のことや、

落ち着きどころと云うようなことになると無関心になってみたり、顔を背けたりで腰が引けることが多いように思います。

 今法語に浅井先生が云われる「帰ってゆくべき世界」とは何のことでしょうか、それは私の「いのち」の定まり場所、帰着点に

ついてのことは自分の習得した知識や思索や経験からは答えは出て来ない。それは「今遇う光」によって恵まれるものであると云

われています。「今遇う光」とはどんな光でしょうか、この光のはたらきこそが「南無阿弥陀仏」のお念仏のはたらきなのです。

 「南無阿弥陀仏」のお名号のおいわれを聞かせていただくままが私のいのちのありようが知れて来るととともに阿弥陀さまのは

かり知れない「いのち」いだかれてあることが知らされるのです。そこにこそ私の「いのち」はお浄土へといざなわれていること

がほのかに知らされるのです。


 浅井成海先生著『いのちを生きるーー法然上人と親鸞聖人のみ教えーー 』から

 「限りなき光」と申しましても、太陽の光なんだろうか、如来さまの光というのは、いったいどういうことをいうのだろうかと、なかかわかりにくいかもしれませんが、それは、み教えに遇わせていただくということであります。み教えに遇わせていただくということが、じつは限りなき光に遇わせていただくということなのです。
 今までは、仏とも法とも知らなかった私が、毎日毎日の日暮らしに追われ続けて生きてきた私が、いろいろなご縁の中から「ああ、そうでありましたか。こういう教えがあるのですね」と、あるいは仏さまが「南無阿弥陀仏」とはたらきかけてきてくださるのでありましたか、とお育てを受けていくことになるのです。
                                        (2004年1月30日京都法蔵館刊)
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