万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

木村太刀子さんの詩集

2014年09月21日 | Weblog

                

 

 昨日(9/20)、万福寺本堂で8月8日今治市桜井で亡くなられた古都美さんのご主人の49日法要が行われました。古都美さんは口総のご出身で私(住職)より一学年下の人でした。ご姉弟の太刀子さん、富士太さん、祥二郎さんらもご夫婦でご参詣されていました。何と60数年振りにお会いすることです。懐かしい限りで、60数年前の思い出に火がつき、話が止めども無く湧き出て来ます。不思議な時間が流れました。

太刀子(たちこ)さんは今尾道にお住まいです。5学年も上の方なのですが、私の姉と歳が近いこともあって寺によく来ておられました。「たっちゃん、たっちゃん」と呼ばれていました。      その「たっちゃん」は自由詩の創作を日々続けておられる詩人であられます。詩集「ゆでたまごの木」や詩誌「蘭」79、そして太刀子さんが編集しておられるエッセイ誌「R」87を下さいました。 そしてコピーですが東京の思潮社の「現代詩手帳」に掲載の太刀子さんの詩「鼻唄三町矢筈斬り」が添えられていました。この詩は今広島に居られる反原発を精力的行っておられる詩人アーサー・ビナードさんとの出会いを詩にしておられ、この中に爆死した私の兄綜智のことから万福寺での日曜学校や姉理子とのことにまで懐旧の思いが広がっている詩篇であって、いろんなことでご縁の広がりに驚きました。この「鼻唄三町矢筈斬り」の詩を紹介しておきます。    

「や、斬ったな!」  /  いたずらっ子のような目が笑って  / 指差す中天には ちょっぴり欠けた十六夜の月 / 斬り口からレモン色の香りが滴って耳朶をくすぐる / 広島へ帰るアーサー・ビナードさんをバス停まで送った時のこと

「あなたの名前を書きましょうか」と / 心遣いを示してくれた 講演会の後のサイン会 / 慌てて取り出した名刺を一目見るなり  /  「ワッ、凄い人が現れた  / 今日の話 体現しているみたいじゃないですか」 / 大仰に驚きながら「木村太刀子様」 / つづいてご自分の名前を英字とカタカナで並べ / 「ぼくの体現のようないい漢字 妻が考えてくれました」 /  自慢しながら 「朝 美納豆」 / 隣にいた夫に向かっては / 「斬られているのに気づいてないでしょう / あの世に行ってからでは遅いよ」とからかい / 「実は、この太刀、ちっとも切れなくて。すっかり錆びついてーー」  /  もぞもぞ言い訳していると / 「研げばいいでしょう!」と、一太刀 / その日、ビナードさんは / 古今亭志ん生の小咄 / 妖刀「村正」のあまりの切れ味に / 斬られた人は気づかないまま三町ほどを鼻唄で歩くという / 「鼻唄三町矢筈斬り」マクラに / 放射能の恐ろしさについて話された

黒焦げの弁当箱や ぐにゃりと溶けたビー玉が /  「いただきます」や「あそぼ あそぼ」を探し続けているという /  写真絵本 「さがしています」 / 家に帰って その中に見つけた一双の小さな軍手 / 痣のように染みついているのは血痕? /  思った瞬間目に飛び込んだ持ち主の名前 大三島の地名 /  万福寺の綜智さんだ! /  広島の中学校に入ったばかりの十二歳で / 建物疎開の作業中ピカドンで死んだ

万福寺の日曜学校では、ご隠元(院家)さんのオルガンに合わせ「ナームアミダーアンブ ナー」声はりあげている。境内に大銀杏。綜智さんが熱々のギンナンを手渡してくれる。妹の理子さんは二年生で私は一年。一緒にお琴の稽古に通った。「シャシャコロリン ツンテン コロリン シャン」先生の口三味線まねながら鳳仙花の実を弾かせては笑い転げている。

持ち主を探し続けている軍手 / ギンナンを手渡されている小さな手と手を /  「さがしています」私も  /  斬り口を滴り続ける月のことばに 耳を澄まし


 遠き遠き70年近くも古の情景が生々しく回想され詩に綴られています。ありがとうございます。                                                                                  



 

 

 

 

 

 

 

       

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