2月4日から3日間、浦戸地域の報恩講をお参りしました。
他の所は年末までに報恩講を終えるのですが、浦戸だけは2月に参ります。この地域は、温州みかんの栽培が、早くから盛んで、今のように専用の倉庫がない時代(昭和中期ごろまで)、仏間の畳をはいで、そこにみかんを並べて貯蔵したそうです。それで収穫時期を避けて、2月の報恩講になったのです。
当時、みかんは高級品で、宝物のようだったそうです。そのみかんで子どもを学校にやったという話を今でも聞きます。
仏間は、臨時のみかん貯蔵庫となっていましたが、そうした間でも仏壇の前の一畳は残しておき、新聞紙を通路に、毎朝夕のお勤めを欠かさずしてきたというお話も聞きます。
仏事より生業を優先させているようにも思えますが、生業と念仏生活が同居しているこの話が好きです。
浦戸の皆さん、お世話になりました。