万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

さがしています アーサー・ビナード詩集

2012年07月26日 | Weblog
                               
                              アーサー・ビナード詩集

 広島平和記念資料館の学芸課下村真理さんより上載の写真詩集が贈られてまいりました。この詩集は資料館に納まっている原爆

関係資料2万点を超える中から反戦、反核の詩人アーサー・ビナードさんの心を捉えた14点が選ばれ写真家岡倉禎志氏が撮影し

た14点の写真にビナードさんが詩作した14篇とがタイトル『さがしています』として東京童心社から編集発行されたもので

す。

 この写真詩集の14点の遺品の中に少年用の一足の「軍手}があります。実はこの「軍手」は昭和20年8月7日夜半、廿日市

の親戚宅で死去した私の兄綜智(広島崇徳中学校1年生、13才)が6日被爆時に手にはめていた作業用手袋なのです。

 平成13年1月15日死去した母弥笑の所持品の中に袋に入れて大切にされていた兄綜智の「最後の着衣」の中にこの軍手があ

ったのです。平成17年に家族の話し合いにより原爆資料館へお預けしようと云うことになり、資料館に赴き他の着衣と共にお預

けしたのでした。

 その後、この軍手は度々企画展に展示されて来たようです。思いますに、この軍手が見る人の心に残るのは、手袋の余りもの小

ささにあるのかと思います。このようなことからか、反戦反核の米国人の詩人アーサー・ビナードさんの眼に留まり詩作のテーマ

となったのではないかと思っています。不思議なご縁を感じずにはおれません。

                              
                                       兄綜智の被爆手袋

 がんばれ がんばれ
   みんなで がんばろう       

  右手と 左手に ぼくらを はめて
  ソウチという 男の子は 毎日 がんばっていた。
  板を はこんだり 柱を ひきたおしたり・・・・・
  でも それは むだな しごとだった。
  なにかを つくるんじゃなくて ヒロシマの
  たてものを つぎつぎと こわしていったんだ。

   (中略)

  原子爆弾が ピカアアアアアッと おとされた。
  たった いっぱつの
  ほんの 1キログラムの
  ウランが はじけて まちを ぶっこわした。
  がんばろうと したけれど ソウチくんは
  その日から あと 1日しか いきられなかった。

         ぼくらは いまも あの右手と
         左手を さがしているんだ。

              詩 アーサー・ビナード           

 
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