ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

Super Sonic Koto Music

2012-04-20 04:47:55 | その他の日本の音楽

 ”山田流箏曲”by 中能島欣一

 何事か探しものがあって部屋をゴソゴソやっている際に、ふとこのCDが出てきて、「うわ、こりゃ何だ?こんなアルバム、持っていたっけ?」とかジャケを眺めて驚いたりすることはあるのであって。そりゃそうだ、純邦楽、箏曲のアルバムなんてさすがに私も聴く趣味はないよ、本来。
 とはいえこのアルバムは別に間違いでも勘違いでもなく、確かに聴きたくて買った一枚で貼るのだった。

 あれはもう10年くらいも前になってしまうのか、ふとした気まぐれで国営放送の教育テレビ、「邦楽回り舞台」だっけ、あれをボ~っと見ていたら、はじまった琴の演奏に一発でやられたのだった。邦楽って、こんなにぶっ飛んだものだったんだ!
 それは日本の伝統音楽である邦楽、なんて垣根をもう初めからまったく問題にしていない、という感じで軽々と乗り越え、全く独自の美学が乱れ飛ぶ、マジカル・ワールドだったのだ。その曲は、ずいぶん昔に作られたものであるはずなのに、そして伝統的な邦楽の演奏形態を保った琴の独奏曲であるのに、空間に描き出される映像は、その果てしもないイマジネーションの彼方に、見たこともない新世界の輝きを感じさせた。

 そこにはクラシックの影響も伺えたし、ファンキー、と呼びうる部分も確実に存在していた。とはいえそれらは「あちこちつまみぐいしてみました」みたいな下品な雑食性などはかけらも見えず、すべては箏曲作曲家である中能島欣一の邦楽者としての美学のうちに消化吸収され、まったく中能島ワールドという以外に名付けようもない堅牢な建築物の一構成要素として、邦楽世界の中に磨き込まれて溶け込んだ、鈍い光など放ちさえしていたのである。

 その後、それなりに調べてみて、中能島欣一が邦楽界の大革命児であったことを知る。人間国宝であり文化功労者であり、昭和を代表する筝曲家であったことを。
 なにより驚いたのは彼が両親に早く死に別れた苦労人であり、私がなんとなく想像していた、文化的にも経済的にも恵まれた芸術家の家に育って、本職の邦楽と同じくらいクラシック音楽などにも造詣深く、それが当たり前のように育ってきた人、などではなかったことだった。彼の音楽の向こうに窺える、博覧強記とも言いたい内なる文化の多彩さは、彼が個人的努力で身に付けたものだったのだ。

 いや実に、この音楽の翔び具合は大変なものなんだよ。保守の権化みたいに見える邦楽の世界で、こんなにも奔放な冒険が行われていたとはね。
 とはいえ、中能島欣一はただ一人であり、そのような”邦楽の楽しみ”に応えてくれるような音楽は、そうそうあるわけではない。燃え上がりかけた私の邦楽への関心は、いつの間にか途絶えてしまったのだが。
 いや。これは私が不勉強なせいで知らないだけで、きちんと探せば中能島欣一的音楽上の冒険の続編が邦楽世界のどこかで繰り広げられている可能性だってあるのだが、もちろん。