“大魔道師の弟子” 「次なるクエストは……？」

［５月５日２３：００．天候：晴　アルカディアシティ６番街カブキンシタウン　三星亭（Ｔｈｒｅｅ　Ｓｔａｒｓ　Ｉｎｎ）］

　最初のクエストを達成した稲生とマリアは、宿泊先の宿屋に戻って来た。

　ジーナ：「イリーナ先生。そろそろ酒場は閉店の時間ですので……」
　イリーナ：「んー？もうそんな時間～？魔界は閉まるのが早いわねぇ……」
　ジーナ：「６番街駅行きの路面電車の、最終も近づいていますから」

　終電は混雑する。
　その為、路面電車であっても必ず２両編成の定員の多い車両が運用されるらしい。

　稲生：「ただいま戻りました」
　イリーナ：「やあやあ、見てたよー。戦わずして勝つことも、魔道士ならではだよねー」
　マリア：「師匠、また飲んで……」
　イリーナ：「お世話になる魔界にお金を落としてあげるのも大事さねー」
　マリア：「また詭弁を……」
　イリーナ：「さあさあ。マリア、部屋まで運んでちょーだい」

　イリーナは酔っ払って上機嫌だ。

　マリア：「しょうがないな。ジーナ、そっち持って」
　ジーナ：「はーい」
　稲生：「僕も手伝いますよ？」
　マリア：「いい！勇太は荷物持って！」

　マリアとジーナがイリーナを担ぎ上げると、屈強な旅の戦士が口笛を鳴らしながら言った。

　戦士Ａ：「いよーっ！魔道士さん、ごっちそさんなー！」
　戦士Ｂ：「魔法が必要な時、頼むぜーっ！」
　戦士Ｃ：「ゴチっス！」
　イリーナ：「力業が必要な時、戦士を味方にするといいよォ……」
　マリア：「そんなの常識じゃないですか！」

　魔道士達は宿屋となっている２階へと上がった。

　ジーナ：「えっ？あの６番街のブラッドプール卿の屋敷に行ったんですか？」
　稲生：「ああ。王国への忠誠を誓うから、帰ってくれって言われたよ」
　ジーナ：「スゴい、スゴーい！あの屋敷から生きて帰れたなんて！……もしかして、血を吸われてたりはしませんよね？」
　稲生：「献血はしたけど、『主従の契り』は交わしていない」

　稲生は左腕を見せた。
　針を刺した後の絆創膏が貼られているが、首筋に牙の痕は無かった。

　イリーナ：「巧みな話術で交渉を成立させるのも、魔道士のスキルよ。理詰め攻撃ってね」
　稲生：「そんな感じではなかったと思いますけど……」

　少なくともこちらは当初から敵対するつもりで行ったわけではないのと、サラが敵意を持って現れたわけではないことが幸いした。

　イリーナ：「今日のところはゆっくり休んで。次なるクエストは明日になってからよ」
　稲生：「分かりました。おやすみなさい」

　マリアとジーナがイリーナを部屋に運び入れるのを確認してから、稲生も隣の部屋に戻った。

　稲生：「疲れたな。勤行やってから寝よう」

　稲生は東に向かって手を合わせた。
　大石寺の存在しない魔界では、御書の通り、東に向かって勤行をするのが良いのだろうと思われる。

［５月６日０８：００．天候：晴　三星亭（Ｔｈｒｅｅ　Ｓｔａｒｓ　Ｉｎｎ）］

　稲生：「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。よし」

　太陽が昇る方向に向かって朝の勤行を終えた。
　とはいえ、魔界の太陽が本当に東側にあるのかどうかは不明だ。
　バァル大帝が君臨していた頃、空は瘴気の雲に覆われ、昼間でも薄暗かった。
　人間界でもゲリラ豪雨直前、最中の空は黒いが、それが四六時中といった世界。

　稲生：「早く、御登山ができるようになるといいな」

　新型コロナウィルス蔓延の為、緊急事態宣言が延長されたことにより、大石寺の行事も軒並み中止となっている。
　稲生は数珠を片付けていると、部屋のドアがノックされた。

　マリア：「勇太、起きたー？」
　稲生：「ああ、起きてますよ」

　稲生は部屋のドアを開けた。

　マリア：「早く下に行こう。朝食の時間だ」
　稲生：「はいはい」

　稲生はドアの鍵を掛けると、マリアについて１階へ向かった。
　宿屋の１階は夜は酒場だが、それ以外の時間は食堂になっている。

　女将：「おはようございます。昨夜は大変でしたね」

　女将がにこやかな顔で稲生達を迎えた。

　稲生：「おはようございます。見習いとしては、何としても先生の課題をこなさないといけないんです」
　女将：「その先生は、もうテーブルに就いてますよ」
　稲生：「ありゃ？」
　イリーナ：「おーっ！」

　イリーナが大きく手を振る。
　イリーナはフランスパンに齧りついていた。

　マリア：「食欲があるのはいいことですけどね、少し不摂生じゃありません？」
　イリーナ：「家では規則正しい生活をしているんだから、出先くらい羽目を外させてよ？」
　マリア：「全く……」
　女将：「朝食、お持ちしてよろしいですか？」
　稲生：「あ、はい。お願いします」

　稲生とマリアはイリーナの向かいの席に座った。

　イリーナ：「昨夜はご苦労様」
　稲生：「いえ……」
　イリーナ：「朝食を食べ終わったら、今日もまた課題を出すよ。まずは昨夜行った戦士夫婦のジムに、もう１度行ってみるといい」
　稲生：「ちょうど僕達も行ってみようと思ったんです。サーシャ達から報酬をもらいませんと」
　イリーナ：「そして私の占いでは、また仕事の依頼が出されるはず。それを受けるのよ？それが今日のクエスト（課題）ね。もちろん、別に出される報酬はあなた達で山分けしていいから」
　稲生：「サーシャ達の仕事の依頼は、魔道士ならではの内容ですからね。次は一体、何なんでしょう？」
　イリーナ：「それは行ってみてからのお楽しみってことになるわね」

　少しして朝食が運ばれてきた。
　目玉焼きにベーコン、ソーセージにサラダといった洋食セットであった。
　少なくとも食べ物に関しては、人間界とほとんど変わることはない。

　稲生：「！　待てよ……」
　マリア：「なに？」
　稲生：「昨夜、エリックが何か言ってましたよね？地下鉄工事現場で、何か問題が起きてるって。もしかしたら、それに関する依頼かもしれませんね」
　マリア：「落盤とかなら私達の出番じゃないよ」
　稲生：「いや、それはちょっとカンベンだなぁ……」

　稲生は苦笑した。
　少なくとも、今朝までは穏やかな時間が流れていた。

“大魔道師の弟子” 「合法ロリ吸血鬼は合法だった」

［５月５日２１：００．天候：晴　アルカディアシティ６番街　ブラッドリバー家］

　サラ：「見ての通り、私は１２歳でヴァンパイアとしての力に目覚めた。以来、体の成長は止まったままだ。さすがは魔道士諸君、今まで見くびって襲って来た賊共とは違う」

　サラは赤ワインのグラスを運びながら言った。

　サラ：「用件を聞こう」
　稲生：「実は無人であるはずのこの屋敷に人が住み着いているのではないか、という疑念があるようです。これがまず１つ」
　サラ：「おお、そうか。王国への帰属届を出しておらんかったなー。ブラッドプールの娘も、心配するわけじゃ」
　男：「その割には警備兵を派遣して来たり、かなり物騒なものでしたね」
　稲生：「あの、その警備兵隊は？」
　サラ：「いきなり発砲してきたので、『返り討ち』にしてやった。これは正当防衛であるからして、ブラッドプールの娘の不手際であろう」
　マリア：「噂に尾ひれ背びれが付いたのはそれが理由ですか……」

　因みにブラッドプールの娘とは、ルーシー・ブラッドプール１世のことを指す。
　つまり、今の魔王だ。

　サラ：「その後は賞金稼ぎ共が不法侵入して来たり、色々大変であったのだが、その理由はようやく分かった」
　マリア：「普通の人間を襲っていたりはしませんか？」
　サラ：「それは無い。『食事』はこやつのだけで十分だで」
　男：「大変光栄です」
　マリア：「見たところ、元は人間であったようですが、ミズ・サラに襲われたクチですか？」
　男：「見方によってはそうなります。自分は元々、人間界でサラリーマンをやっていたもので」
　サラ：「たまたま人間界に遊びに来ていたところ、こやつと会ってな。興味を持ったので、『下僕』にした」
　稲生：（たまたま遊びに来るところは、ここの女王様と同じだなぁ……）
　サラ：「ところで……」

　サラの目がギラッと光る。

　サラ：「ここには監視カメラなど存在しない。つまり、手土産無しにやってきたお主達を不法侵入者として排除もできるのだがな……」
　稲生：「分かりましたよ。僕達に何をしろっていうんですか？」
　サラ：「私はこれから王国への帰属届を書く。それを持って帰れば、お主達も『子供の使い』にはなるまい？本来なら私を悪にして、この首を持って帰れば大勝利なのだろうがな。それとも、やってみるか？」

　サラは更に魔力を解放した。
　種類こそ違うものの、高等妖怪たる威吹が似たようなことをしたことが何度もあり、稲生はそれを思い出してむしろ懐かしくなった。

　稲生：「いえ、結構です。少なくとも、僕達が戦ってもすぐに『ゲームオーバー』になることは目に見えています。それで、王国への帰属届の代わりに何を求めますか？」
　サラ：「これは私がお主達と会うことを決めた理由でもあるのだが……。お主、名前は？」
　稲生：「稲生勇太です」
　サラ：「イノウ。お主は確か、ブラッドプールの娘に献血をして表彰されたらしいな？」
　稲生：「ええ、まあ。金杯を頂きました」
　サラ：「ブラッドプールの娘が表彰したくなるお主の血、私も試飲してみたい。それが条件だ」
　男：「サラ様！サラ様に身も心も捧げた私の血に飽きたのでしょうか！？」
　サラ：「誰がそんなことを言った？ちょっと試飲してみるだけだ」
　マリア：「直接牙を立てて吸う行為は、『下僕』になることを意味していると思いますが？」

　マリアは下僕の男の首筋を指さして言った。

　サラ：「誰が『直接吸う』と言った？」

　サラがポンポンと手を叩くと、パタパタと蝙蝠が何かを運んで来た。

　サラ：「これは献血キット。こやつが医療機器メーカーに勤めていたおかげだな」
　男：「大変光栄です」
　稲生：「凄いツテだ……」
　サラ：「ブラッドプールの娘には、どのくらい献血した？」
　稲生：「合計で？」
　サラ：「１回辺りの献血量は？」
　稲生：「４００ｍｌです」
　男：「日本赤十字社と同じか」
　サラ：「では、その半分を頂こう。何しろ試飲だからな」
　マリア：（２００でも試飲としての量は多いと思うが……）

　マリアは首を傾げた。

　サラ：「ああ、そうそう。お主、マリアンナとか言ったな？」
　マリア：「はい」
　サラ：「女を狙うヴァンパイアもおる故、気をつけられよ」
　マリア：「百も承知です」

　男の吸血鬼にも、女の吸血鬼にも女性の血は狙われやすい。
　マリアとサラが話している間、下僕の男は粛々と献血の準備を行っていた。

　稲生：「どうしてあなたはミズ・サラの下僕を？」
　男：「たまたま営業に行った古いクリニックに、サラ様がおられたのです。そして、侵入してきたキリスト教会の連中に襲われました。しかし、サラ様はその連中を返り討ちにされたのです。ところが当時普通の人間だった自分は、恐れ多くもサラ様に恐れをなし、自宅に逃げ帰ってしまったのです。しかしそんなサラ様は自分を追い掛け、そして『快楽と悦楽の境地』をお与え下さったのです。以来、自分はサラ様の忠実な下僕なのです」
　稲生：「『退廃的な生活が待っている』と、うちの先生が仰っていたのを思い出します。それですか」
　男：「そんなところです。しかし、幸せです」
　稲生：（『退廃的生活による幸せ』は、日蓮大聖人の教えによるものではないな）
　男：「準備ができました。それでは、献血を始めます」
　稲生：「分かりました」

　針を刺しただけでサラはごくりと唾を飲み込んだ。

　サラ：「なるほど。強大な魔力……いや、霊力か？それを感じる。お主、過去にそれが理由でモンスター共に襲われたことはないか？」
　稲生：「何度もありますよ。人間界でもね」
　サラ：「人間界でひっそりと暮らしているはずのモンスター共がその立場を弁えず、お主に牙を剥けるほどの霊力。実に素晴らしい。下僕第２号になってもらいたいくらいだ」
　稲生：「遠慮しておきますよ。今、僕は魔道士ですから」
　サラ：「それは残念だ。だが、今や王権に就いたブラッドプールの娘から『横取りされた』と因縁を付けられるのもつまらんからな、ここは手を引こう」

　サラは肩を竦めた。
　献血はすぐに終わるものではない。
　その間、サラは王国への帰属届を書いた。

［同日２２：００．天候：晴　アルカディアシティ６番街　６番街駅前］

　エリック：「やはりあの屋敷には吸血鬼が住み着いていましたか！」
　稲生：「ああ。だけど、王国への帰属意識はあるらしい。この通り、『帰属届』をもらってきたよ。王国へ抵抗する意思が無いのであれば、無理に倒す必要は無いだろう？」
　エリック：「さすが魔法使いさんです。一体、どうやって説得なさったんで？」
　マリア：「企業秘密。色々と交渉したというわけ」
　エリック：「さすがです」

　路面電車がやってきて、それに乗り込んだ。
　今度はヨーロッパのどこかで運転されていたと思われる２両編成の電車だった。
　２両編成だと車掌が乗務している。

　エリック：「この書類は明日になったら、役所へ届けましょう。約束の報酬をお渡しします」
　稲生：「ありがとう」
　マリア：「これで、最初のクエストは完了かな？」

　戦わずして勝つことも、作戦の１つということだ。