
昨夜BS2で映画「アミスタッド」を観た。アフリカで「人狩り」に遭い奴隷船でアメリカに売られにやってくる黒人達の苦難と自由を獲得するまでの戦いを描いたものである。スピルバーグにこのような作品があるとは知らず、私にとっては封切り映画ものであった。自由を獲得するまでの法廷闘争がテーマの一つにもなっていてなかなか見応えがあったが、その舞台にNew Havenが登場した。アメリカの東海岸、コネチカット州の大西洋に面したエール大学の街でもある。かって1年ほど住んだことのある土地だけにある種の懐かしさを感じた。
その前夜は、このNew Havenで30数年前に始めて出会い、その後細く長く交流の続いている友人夫妻とわれわれ夫婦が夕食を共にしたばかりなので、二日続けてNew Havenが出てきたことからつい昔のことを思い出した。
アメリカ映画の見過ぎだったのかどうか、New Havenで住むところは裏庭のある一軒家に決まっていて、幸い格好の家が見つかった。家賃は月150ドル。一階が居間に食堂とキッチン、二階に寝室が三部屋、屋根裏は物置になっており地下室には暖房用の灯油タンクにボイラーや貯湯器などがあった。隣家が大家さんで年配のご夫婦、何かあると直ぐに聞くことが出来てとても助かった。秋も深まる頃、灯油を小型のタンクローリーで配達して貰って貯蔵タンクを満たし、暖房機(スチーマー)の運転を心待ちにしていた。72度(華氏)で快適な冬を送ろうなんて電気会社の新聞広告を見たせいだと思うが72度に温度を設定した。
ニューイングランドの冬は早い。待望の運転を始めたのは多分10月のいつか、スチーマーが金属音を出すのも心地よかった。戦前、子供の頃、スチーマーで暖房をとるアパートに住んでいたので童心が呼び起こされたのだろう。そして快適な暖房生活が始まった。
ビックリ仰天したのは一ヶ月分使った灯油の請求書が届いた時だ。なんと家賃の倍近い金額が記されている。大家さんに駆け込んでかくかくしかじかと訴えた。そうしたら大家さんいわく「窓の目張りをしたか」と。そういえば窓の周辺から冷たい風がスースーと遠慮なく入ってくる、でもチャンと暖房しているからこんなのヘッチャラという気でいたのである。使わない部屋のスチーマーは閉じておく、スチームの流れを朝夕こまめにコントロールするなどと、今考えてみれば当然の心がけを懇々と諭された。戦後の耐乏生活をまだ引きずっている日本から経済繁栄を誇っているアメリカにやってきて、生活水準の三段跳びアップに有頂天になったあまりにも世間音痴の未熟な自分がいた。そして、大家さんの指示に従ったところ月の払いが家賃以下になりほっとしたことであった。
友人夫妻とそのような思い出話もした。私たちはその後、西海岸に移り予定の2年あまりを終えて帰国したが、その夫妻は日本に帰ることなく外国に定住した。ご本人は、だから出来たことと云われるのだが、専門の分野で、しかし影響が広範に及ぶエポックメイキングな業績をあげた。その成果は世界の大学教科書に取り上げられており、なかには顔写真入りのもある。今回も講演のための一時帰国であったと聞く。
われわれがNew Havenに滞在していた頃、来る大統領選で再選を目指すブッシュ大統領は学生として在学していたことになる。すれ違う可能性もあったのでは、と語り合ったことである。ベトナム戦争が進行中の時期でもあった。(23日に書き始めて24日にまたがりました。)
その前夜は、このNew Havenで30数年前に始めて出会い、その後細く長く交流の続いている友人夫妻とわれわれ夫婦が夕食を共にしたばかりなので、二日続けてNew Havenが出てきたことからつい昔のことを思い出した。
アメリカ映画の見過ぎだったのかどうか、New Havenで住むところは裏庭のある一軒家に決まっていて、幸い格好の家が見つかった。家賃は月150ドル。一階が居間に食堂とキッチン、二階に寝室が三部屋、屋根裏は物置になっており地下室には暖房用の灯油タンクにボイラーや貯湯器などがあった。隣家が大家さんで年配のご夫婦、何かあると直ぐに聞くことが出来てとても助かった。秋も深まる頃、灯油を小型のタンクローリーで配達して貰って貯蔵タンクを満たし、暖房機(スチーマー)の運転を心待ちにしていた。72度(華氏)で快適な冬を送ろうなんて電気会社の新聞広告を見たせいだと思うが72度に温度を設定した。
ニューイングランドの冬は早い。待望の運転を始めたのは多分10月のいつか、スチーマーが金属音を出すのも心地よかった。戦前、子供の頃、スチーマーで暖房をとるアパートに住んでいたので童心が呼び起こされたのだろう。そして快適な暖房生活が始まった。
ビックリ仰天したのは一ヶ月分使った灯油の請求書が届いた時だ。なんと家賃の倍近い金額が記されている。大家さんに駆け込んでかくかくしかじかと訴えた。そうしたら大家さんいわく「窓の目張りをしたか」と。そういえば窓の周辺から冷たい風がスースーと遠慮なく入ってくる、でもチャンと暖房しているからこんなのヘッチャラという気でいたのである。使わない部屋のスチーマーは閉じておく、スチームの流れを朝夕こまめにコントロールするなどと、今考えてみれば当然の心がけを懇々と諭された。戦後の耐乏生活をまだ引きずっている日本から経済繁栄を誇っているアメリカにやってきて、生活水準の三段跳びアップに有頂天になったあまりにも世間音痴の未熟な自分がいた。そして、大家さんの指示に従ったところ月の払いが家賃以下になりほっとしたことであった。
友人夫妻とそのような思い出話もした。私たちはその後、西海岸に移り予定の2年あまりを終えて帰国したが、その夫妻は日本に帰ることなく外国に定住した。ご本人は、だから出来たことと云われるのだが、専門の分野で、しかし影響が広範に及ぶエポックメイキングな業績をあげた。その成果は世界の大学教科書に取り上げられており、なかには顔写真入りのもある。今回も講演のための一時帰国であったと聞く。
われわれがNew Havenに滞在していた頃、来る大統領選で再選を目指すブッシュ大統領は学生として在学していたことになる。すれ違う可能性もあったのでは、と語り合ったことである。ベトナム戦争が進行中の時期でもあった。(23日に書き始めて24日にまたがりました。)