日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

第21回宝塚混声合唱団音楽会を聴いて

2009-07-21 11:23:32 | 音楽・美術
上手な合唱団と友人に勧められて、そしてチケットまで貰ったものだから7月18日の午後、会場のいたみホールまで出かけた。開場が午後2時で私が到着したのが10分過ぎ、それなのにまだ長い行列が続いている。大ホールに入って少し前の方ではあるが見やすく聴きやすい席に腰を下ろすことが出来た。

団員が舞台の左右から登場、後列、中列、前列と三段に分かれて踏み段を埋めてゆき、左右ほぼ同時にならび終える。女性が50人ほど、男性がほぼ30人、合わせて80人のなめらかでなんとなくリズミカルな動きが気持ちよい。演奏への期待が高まる。

プログラムは四部に分かれていて、一部は谷川俊太郎作詞、松下耕作曲の「信じる」、二部はJ.G.Rheinberger作曲の「Requiem in d Op.194」、休憩を挟んで三部はJ.Brahmsの「Vier Quartette Op.92」に四部はRobert Ray作曲の「Gospel Mass」。どの曲もみな長い。だから皆さんが楽譜を手にしているのに安心した。これを暗譜でなんて言われたら私なんか卒倒してしまう。

私には初めての曲ばかりなので最初は少々身構えてていたようであるが、80人の醸し出す大人数ならではのハーモニーはやはり快い。女声男声のバランスもよく、歌の終わりの、意図的にそうしているのだろうか、和音が時間をかけてすーっと消えていくところが何回かあり、とても美しくて印象的であった。

面白かったのはピアノにベースギターとドラムも加わった「Gospel Mass」である。なかなかのりがいい。音楽はこうでなくちゃ、と身体もなんとなく揺らいでくる。女声と男声のソロが入るが、臆せずにマイクを使ったのがよかった。とくに女声高音の張りと艶やかさ。あんな声を聞かされたらついふらふらとついていって、気がついたら信者にされてしまっている。まさにSIREN、おそろしやおそろしやである。その後の誠実そうな男声ソロで、はやる心が鎮められたのがよかった。

それにしてもこの「Gospel Mass」といい、「Requiem in d Op.194」といい、日本の合唱団が宗教曲を多く取り上げるのはどういうことだろう。教会の合唱団から始まったので、と言うのならそれはそれなりに分かるが、こいう歌を歌い続けている間に自然と宗教心が厚くなるのだろうか。プログラムの半分が宗教曲なので、世俗曲大好きの私はついそんなことを考えた。

世俗曲と言えばBrahmsの曲、同じことなら「Liebeslieder」のようなポピュラーな歌を取り入れてほしかった。知っている曲が一つもないというのは寂しいものであるからだ。だからというわけではないが、「Vier Quartette Op.92」に限って、緊張感が薄らいでいるように感じた。と言うのも歌詞がドイツ語のせいか、「信じる」の日本語と違って言葉が、従って曲がボヤーんと耳に入ってくるのである。私の席の位置のせいでコーラスの右端と左端から声の届く時間がずれているせいか、と思ったぐらいであった。日本人がドイツ語の発音を大人数で合わせるのは難しすぎるのでは無かろうか。

と勝手な感想を述べたが、私が驚いたのはプログラムパンフレットの立派な出来である。B5サイズで表・裏表紙を合わせると12ページにもなり、プログラム、曲の解説、歌詞のすべて(外国語の場合は対訳が附せられている)に出演者の紹介などが過不足無く収められている。おかげさまで開演までに一通り目を通すことで、歌詞などもおおまかに掴むことができた。


紹介されて初めて知ったこの宝塚混声合唱団の合唱にかける意気込みとレベルの高さには感銘を受けた。団員一人ひとりがそれぞれの人生ドラマを演じながら、意気投合した仲間同士寄り集い、日々の精進を積み重ねて聴衆を感動させるコーラスを作り上げていく。こういう創造の動きが私たちの周辺にさりげなく繰り広げられていることをあらためて実感し、日本人の心の豊かさを共有し合えたのが嬉しかった。