木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

リトマス試験紙はかく反応す

2008-04-27 21:52:48 | インポート
携帯でニュースを見ていると、衆議院補欠選挙で民主党
候補の当選確実の報が流れていた。
現地での不特定多数の有権者の表情から感じた空気は、
そのまま答えとなった。

有権者の選択の結果、昨年夏より国会は衆議院と参議院
とで形勢が異なるいわゆる「ねじれ」国会となったが、ね
じれたが故に国民の前にねじれるまでは顕在化しなかっ
た、顕在化できなかった議論や問題が提供されるように
なった。

「ねじれ」は決して停滞ではなく、この国が前進している
道のりの中の一つの形に過ぎない。
よく、前進することで見えなくなることもあり、進まな
いからいつまでも同じ眺めしか見えないということもあ
る。

選択は有権者が行うもので、当然ながら選択した結果も
国民が享受する。従って、選択にも重みが増し責任が強
く自覚されるようになる。

二大政党選択が更に定着すると、それだけ有権者の権限
と責任も大きくなる。

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植樹祭

2008-04-27 16:49:45 | インポート
 植樹祭が東大阪市内の小学校で行われ、来賓として参
席した。毎年、市内の各地にて輪番で開催され、今年は
私が住んでいる住所の小学校区の小学校にて開催された。
 緑や自然環境及び食料品に関する市民意識の高まりを
反映してか、目分量でも軽く千人は超える参加者で会場
は賑わった。

 田舎生まれの私は、豊かな自然環境が体に染みている
というのか、体が豊かな海、彩溢れる山の恵み、五感を
育む自然の表情が体の芯に刻まれている。ために例えば
水の中に潜っているとどうしても呼吸のために水面から
顔を出さざるを得ないように、自然環境に乏しい区画の
中にいたり地形的変化に乏しい地理環境の中に長期間い
ると、深呼吸を求めて自然の多い場所に移動したくなる。
 植樹という行事を通じて、自然環境や緑に対する意識
が高まることは有意義である。

 新緑が萌える季節となった。新緑が映える街はどこに
あるだろうか。桜の季節には桜を愛で、新緑になれば新
緑に身を投じ全身で呼吸し、夏には避暑地で自然の涼を
、秋には紅葉に燃える山河で五感を満たし、冬には雪景
色や樹氷に自然の造形美を堪能する。至極贅沢な時間で
はないか。
 子供の頃は、田舎には何もないと思っていた。だから
都会へ出たいと憧れる。田舎から脱出することが先ず目
標だった。年を重ねてくると見える風景が変わってくる。
洗練された街は別として、都市圏には表情がないことに
気づいてくる。逆に田舎には豊かな自然や表情が四季折
々に姿を変えて溢れている。
 贅沢とは何であろうか、と考えてみる。決して金銭で
はない。豊かな自然の恵みに四季を通じて抱かれる、そ
こには満ち足りた幸せがあると気付かされる。

 それにしても、大阪東部は余りにも自然環境が乏しい。
排水路はあっても川や河というものがなく、街に水辺が
なく家屋が周密している。申し訳程度に道沿いに並木が
植えられてはいるが、圧倒的にセメント色の空間に覆わ
れている。従って、四季を通じての色彩的変化に乏しく
年中を通じて街が同じセメント色をしている。
 例えば色彩に豊かな桜島を毎日眺めて過ごす子供達や
瀬戸の内海の絵にも優る色彩感覚の中で育つ子供達、あ
あるいは東北の豊かな山河に内包されて育つ子供達は情
緒面でも贅沢な環境であるといえる。

 都市計画の中にいかに自然を内包するかが大切である。

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