木村正治のデイリーコラム

木村正治(きむらまさはる)が世の中の様々な事項について思う事や感じた事を徒然に綴っています。

2月5日(土)は北海道釧路市にて講演会

2022-02-07 11:19:31 | 随想
 2月5日(土)は北海道釧路市内において、現在の
諸問題の在り方に違和感を感じて立ち上がった有志の
医師の方々が会を作り、子供達を守るためにという主題
で講演会を催すことになりNPO法人が主催する形で
開かれた。
 私も講師として2時間の講演を行った。

 当日は同調圧力にも屈せず一連のウイルス禍や子供達
へのコロナワクチン接種に疑問を呈されていた内科医で
医学博士の藤岡洋介氏が1時間講演を行い、その後に私の
講演を行った。
 午後からはマスク着用を強要する各現場の問題点に苦しむ
人々の対策と救済に奔走されてきた広島県呉市議会議員の
谷本誠一氏により様々な問題点と解決法を提示する講演が
行われ、最後に3人の講師が前に出て会場からの質問に答える
形で盛会のうちに終了した。
 
 釧路市や近隣の市町村から集まってこられた参加者の方々は
皆さん意識が高くテレビや新聞が垂れ流す偏った情報や嘘の
内容に常々疑問を持っておられる方々でよく様々な物事をご存知
であった。
 小さなお子様も会場にいて良い雰囲気だった。

 思い返せば私が初めて北海道を訪れたのが大学2回生の冬
3月で、その時に東京からフェリーで釧路に訪れた。
 初めての北海道上陸の地が釧路で、それから別海町に移動
して牧場体験をしたことで北の大地の魅力に取りつかれ以降、
大学生時代や20代に有給休暇を取りながら5回程北海道を
旅して特に学生時代は2週間程をかけて北海道を1周した。
 そして歳月は流れ北海道での初の講演会で訪れたのが奇しくも
釧路である。
 私にとって釧路は北海道での初物に関係している。
 私の北海道は旅も講演会も釧路から始まっている。
 釧路は私にとって何かあるのかも知れない。

 北海道は明治半ばに三重県伊勢市の探検家・松浦武四郎が
北海道と命名してその名になった。
 それ以前は蝦夷地と云われた未知の大地だった。
 北海道は本州から様々な理由で新天地を求めて移住した人々
が定住して街の歴史を始めている事例が多い。
 伊達市は戊辰戦争に敗れた伊達藩(仙台藩)の人々が新天地
を求めて移住して始まった。
 北広島市は広島県の人々が新天地を求めて移住して始まり、
新十津川町は奈良県十津川村の人々が明治中期に壊滅的な豪雨
による大洪水で集落を破壊され、新天地を求めて移住してきて
始まった。
 釧路も鳥取藩の賀露港から人々が新天地を求めて集団で
釧路港に移住してきている。

 北海道は日本における新大陸でもあった。
 それにちなみ、この閉塞感に包まれたウイルス禍により
曝け出されてきた様々な本質を踏まえ北海道の人々が再び
新天地つまり新時代の狼煙をあげるべく共に奮起しようでは
ないかという趣旨も講演で申し上げた。

 講演会後は釧路市内の店に移動して希望者の皆様と懇親会
を行い語り尽くせない様々な話題に花が咲いた。
 良い時間を釧路市内で過ごせて感謝している。

 当日の釧路市内は最高気温が氷点下4度、最低気温が氷点下
10度であったが意外にも普通に過ごせた。
 大阪が最高気温が8度で寒いと言っているので釧路でどのよう
に過ごせば良いのか色々と思案したが取り越し苦労であった。
 ホテルの受付の女性に前日に電話であなたはどのように外を
歩いているのかと聞けば、
「スーツを着た上にコートを着ているだけです。」
と普通に答えていたので不安だったが実際に大丈夫であった。

 私は夏の北海道の旅しか経験したことが無く冬の北海道は
未体験だっただけに一抹の不安を覚えたが、やはり何事も体験
してみるものである。
 釧路は夕暮れが美しい街である。
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