2013年10月13・14日、北岳に登ってきました。2010年10月10日の夜半におきた、バットレス大崩落の落石をビバーク中に受けて帰らぬ人となった山仲間の追悼登山でした。
これまでの追悼登山では、ふもとなどで慰霊をしたのですが、今回は事故現場を訪ねて、お酒や線香を供え、途中で潰えた仲間の思いを携えて山頂に抜けようという計画です。
12日午後に高山を出て、夕方夜叉神ゲート着。車の脇にテントを張り就寝。
翌13日の朝、ジャンボタクシーで広河原まで。秋晴れの青空の下、北岳が、バットレスがよく見えました。何度目の北岳だろう・・・いろいろな思いが交差します。
8時半頃広河原を出て大樺沢沿いのルートを登り、10時半頃に二又に到着。連休ということもあってけっこう大勢の登山者が休憩していました。そこからさらに沢沿いに登り、11時半頃に登山道を離れてC沢奥の尾根のふみ跡に入り、下部岩壁帯に向かいました。
12時、岩壁基部到着。今回は左側のDガリーから登り、まず事故のあった場所を目指します。
1ピッチ目、私がリードしましたが、はじめの一手が難しく、同行のT氏のアドバイスで何とか乗り越えました。軽量化のためにクライミングシューズを置いてきており、登山靴ではなかなか厳しい場面が多くありました。2ピッチ目はT氏のリードで、右上して事故現場へ。草付にたどり着くと草をつかんでよじ登り,事故のあったテラスに到着。3人でお供え物を並べ、ささやかな慰霊の式を。N氏お手製の栗きんとんが何よりの供養になったかな。
そこから一登りすると、四尾根取り付き。1ピッチ登ったところで本日時間切れとなり、ちょうどよいテラスを見つけてビバーク。シュラフなしのビバークは寒かったけど、事故の夜を思い出すような、風もなく星空のきれいな夜でした。
翌朝、日の出とともに始動。下を見ると、下部岩壁に向かって来るクライマーのヘッドランプがもうゆれていました。
今日も快晴、T氏が終始リードし、私とNさんがフォローする形で、上を目指しました。
T氏が、四尾根で一番難しいとおっしゃる3mの垂壁を越えるところはN氏がリード。その終着点がこのコースでよく知られたマッチ箱と呼ばれる岩峰でした。空に身を投げ出すような高度感、開放感。こんなすごいところに、いま自分がいることが半ば信じられませんでした。(今思い出しても、手のひらに汗がにじんできます・・・)
そこからロープを使って10m懸垂下降します。
そこから1ピッチで、かつて枯れ木テラスと呼ばれたかつての終了点となりますが、2010年の大崩落で、枯れ木テラスの先がごっそり崩落していました。はるか下まで岩場がえぐれており、いかに大量の岩が崩壊して落ちて行ったかを物語っていました。その岩のひとかけらが、仲間の命を奪ったわけです。
(写真は枯れ木テラスからマッチ箱を振り返る。このマッチ箱のあたりの岩場もたくさんのクラックが走っており、次にどこが崩れてもおかしくないような感じを受けました)
今も残る枯れ木から、崩落現場を覗き込みながらナイフの刃のようなリッジに手をかけてトラバースして、城塞ハングと呼ばれる岩壁の基部に到着。このあたりで、今朝下部岩壁からスタートした後続パーティーが追いついてきたようでした。
T氏は、ここでアブミ(簡易はしご)を取り出し、ガリー(岩溝)を越えていきました。ザックが引っかかる厄介なところでしたが、なんとかT氏がロープを引いてくれたおかげで越えられました。
ロープを使ってのクライミングはここで終了。細いふみ跡をたどって頂上を目指します。
12時前に頂上到着。3年越しの仲間の思いを、ようやく頂上に届けることができました。
たぶんこれからも、追悼のために北岳を何度も訪れると思いますが、今回の山行でひとつの節目とすることができたような気がします。
なお私自身、長年の憧れだった北岳バットレスをようやく登ることができましたが、同行のT氏、N氏がいなかったら今回の山行は成功しなかったと思います。充実感や達成感もありますが、自分の登山技術については無力感も同時に感じています。
登山の技術も能力も、まだまだぜんぜんなっていない事を痛感した山行でした。Tさん、Nさん、お疲れ様でした&ありがとうございました!
これまでの追悼登山では、ふもとなどで慰霊をしたのですが、今回は事故現場を訪ねて、お酒や線香を供え、途中で潰えた仲間の思いを携えて山頂に抜けようという計画です。
12日午後に高山を出て、夕方夜叉神ゲート着。車の脇にテントを張り就寝。
翌13日の朝、ジャンボタクシーで広河原まで。秋晴れの青空の下、北岳が、バットレスがよく見えました。何度目の北岳だろう・・・いろいろな思いが交差します。
8時半頃広河原を出て大樺沢沿いのルートを登り、10時半頃に二又に到着。連休ということもあってけっこう大勢の登山者が休憩していました。そこからさらに沢沿いに登り、11時半頃に登山道を離れてC沢奥の尾根のふみ跡に入り、下部岩壁帯に向かいました。
12時、岩壁基部到着。今回は左側のDガリーから登り、まず事故のあった場所を目指します。
1ピッチ目、私がリードしましたが、はじめの一手が難しく、同行のT氏のアドバイスで何とか乗り越えました。軽量化のためにクライミングシューズを置いてきており、登山靴ではなかなか厳しい場面が多くありました。2ピッチ目はT氏のリードで、右上して事故現場へ。草付にたどり着くと草をつかんでよじ登り,事故のあったテラスに到着。3人でお供え物を並べ、ささやかな慰霊の式を。N氏お手製の栗きんとんが何よりの供養になったかな。
そこから一登りすると、四尾根取り付き。1ピッチ登ったところで本日時間切れとなり、ちょうどよいテラスを見つけてビバーク。シュラフなしのビバークは寒かったけど、事故の夜を思い出すような、風もなく星空のきれいな夜でした。
翌朝、日の出とともに始動。下を見ると、下部岩壁に向かって来るクライマーのヘッドランプがもうゆれていました。
今日も快晴、T氏が終始リードし、私とNさんがフォローする形で、上を目指しました。
T氏が、四尾根で一番難しいとおっしゃる3mの垂壁を越えるところはN氏がリード。その終着点がこのコースでよく知られたマッチ箱と呼ばれる岩峰でした。空に身を投げ出すような高度感、開放感。こんなすごいところに、いま自分がいることが半ば信じられませんでした。(今思い出しても、手のひらに汗がにじんできます・・・)
そこからロープを使って10m懸垂下降します。
そこから1ピッチで、かつて枯れ木テラスと呼ばれたかつての終了点となりますが、2010年の大崩落で、枯れ木テラスの先がごっそり崩落していました。はるか下まで岩場がえぐれており、いかに大量の岩が崩壊して落ちて行ったかを物語っていました。その岩のひとかけらが、仲間の命を奪ったわけです。
(写真は枯れ木テラスからマッチ箱を振り返る。このマッチ箱のあたりの岩場もたくさんのクラックが走っており、次にどこが崩れてもおかしくないような感じを受けました)
今も残る枯れ木から、崩落現場を覗き込みながらナイフの刃のようなリッジに手をかけてトラバースして、城塞ハングと呼ばれる岩壁の基部に到着。このあたりで、今朝下部岩壁からスタートした後続パーティーが追いついてきたようでした。
T氏は、ここでアブミ(簡易はしご)を取り出し、ガリー(岩溝)を越えていきました。ザックが引っかかる厄介なところでしたが、なんとかT氏がロープを引いてくれたおかげで越えられました。
ロープを使ってのクライミングはここで終了。細いふみ跡をたどって頂上を目指します。
12時前に頂上到着。3年越しの仲間の思いを、ようやく頂上に届けることができました。
たぶんこれからも、追悼のために北岳を何度も訪れると思いますが、今回の山行でひとつの節目とすることができたような気がします。
なお私自身、長年の憧れだった北岳バットレスをようやく登ることができましたが、同行のT氏、N氏がいなかったら今回の山行は成功しなかったと思います。充実感や達成感もありますが、自分の登山技術については無力感も同時に感じています。
登山の技術も能力も、まだまだぜんぜんなっていない事を痛感した山行でした。Tさん、Nさん、お疲れ様でした&ありがとうございました!