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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

ひょんな休日

2005-12-27 08:26:30 | 報道写真考・たわ言
昨日は予想外にぽっこりと休みの日となった。

普段通り出勤前に写真部オフィスに電話をいれると、「クニ、きょうは君はシフトにはいってないよ」とデスクがいう。僕はクリスマスの翌日とはいえ、普通の月曜日のつもりで出勤する準備をしていたのだが、どうやら祝日だったようだ。仕事柄あまり関係のない祝日などにはほとんど注意を払っていないのだが、どうもこの日のシフトに僕ははいっていなかったらしい。手違いで僕はそれを知らされていなかったようだ。

急に休みになったので、以前から誘っていただいていた「映画の会」というものに参加した。

1ヶ月か2ヶ月に一度、面白そうな映画を皆で集まって鑑賞し、その後一杯やりながら話をするという日本人のグループがあって、そのメンバーの方から声をかけられていたのだ。

参加といっても、ここ数日調子の悪かった暖房を大家になおしてもらうために昼はアパートを空けられなかったので、映画鑑賞はできなかったのだが、そのあとの飲み会にお邪魔することになった。

集まった人たちはみな個性的で話をしていても面白かった。ほとんど僕と同世代か少し上の人達なので、話も合うのだろう。

一般的に僕ぐらいの年齢になると、多くの人々にとって職場と家庭で過ごす時間が生活のほぼ全てを占めることになると思う。既に子供を数人もっている人達も少なくないので、そうなれば父親、母親としての新たな役割もでてくるし、余計忙しくなる。皆それぞれの生活が確立されているから、学生時代のように、毎日のごとく集まって飲んだり、夜を明かして語り合うようなことなど到底できない。

僕は一人住まいなので、比較的自由な時間が多い方だとは思う。それでも取材で1ヶ月ほど留守にすることは少なくないし、仕事の時間が不規則だったりすることもあるので、自分が望んでいる程には人と会う時間がない。

だから、友人と食事をしたり、新たに人と出会う時間というのはとても貴重なものだ。そういう機会に恵まれたときはできるだけ有意義に過ごしたいと思う。(もっとも、ゆっくり話をしたあと酒が進んでカラオケに突入ということになれば、それはそれでまた親睦が深まって!?よろしい。。。)

人との繋がりは貴重な財産。。。

そんな意味で昨夜はいい人達と知り合いになれた。

餅を食べながら

2005-12-24 13:27:16 | 報道写真考・たわ言
寒さが少し和らいだようで、クリスマスイブの今日は雪ではなく雨になった。

とはいえ、クリスマスとはまったく無関係に過ごしている僕にとっては、普段と特に変わらない土曜日ではある。今日はプロジェクトの撮影もはいっていなかったので、珍しく自宅で一日を過ごす。

平日に不在配達で受け取れなかった荷物を郵便局までとりにいってきた。仙台に住む母からの小包だった。

一人暮らしの不憫(?)を察してか、こうして母は年に数回、日本の食料品をこちらまでわざわざ送ってくれるのだ。

実際のところ、シカゴには日本の大きなスーパーマーケットもあるし、普段の生活の中で和食材の調達に取り立てて困ることもない。割高にはなってしまうが、僕ごときが欲しいものならほぼ何でも手に入る。

母は小包を航空便で送ってくるから送料もばかにならないし、袋一杯の乾燥梅干しなど、あまり口にしないようなものまで詰め込んでくることもあるので、正直言って「こんなにしてくれなくてもいいのに。。。」と思うことも度々だ。

それでも日本からの直送品はやはり嬉しい。

忙しくなって、自分でいちいち食事をつくっていられなくなるときなど、具沢山の乾燥みそ汁や、うどんやそばなど大変重宝するし、なにより甘い物好きの僕にとっては、日本の繊細な味のチョコレート菓子などは実にありがたい。

今日受け取った小包には、季節にあわせて、2袋ほどの餅がはいっていた。餅など自分ではほとんど買うことのない品物のひとつなので、こういうチャンスでもないと口にする機会はない。昼飯にしようと、早速オーブンにいれて焼いてみた。こんなものは数年食べた記憶もないし、ましてや自分で焼くことなどなおさらだ。そんな訳で、火力と時間を間違えたらしく、第一弾は見事に焦がした。

真っ黒になった表面の焦げを落として、一緒に送られて来た乾燥みそ汁のなかに餅をいれる。自分では雑煮のつもりだ。

雨降りの静かな年末の休日に餅をほおばりながら、子供の頃によく食べたきな粉餅や、醤油砂糖もち、そして甘いお汁粉などを思い出した。そして、忙しさにかまけて忘れかけていた年末の季節感、というものをふと感じたような気がした。

気にかけてくれる両親がいまだに健在な僕は、随分と幸せである。感謝したい。

もう若くない?

2005-12-23 00:46:34 | 報道写真考・たわ言
膝が痛んで、階段の上り下りがひどく苦痛。。。えらいことになった。

どうも最近、ちょっと駆け足をしただけでもすぐに息が上がってしまうのが気になっていた。筋トレはそこそこ続けていたが、そういえばシカゴに来てからこの1年半、ジョギングなどの「足」を使った運動をほとんどしていなかった。

近所に池があって、緑も比較的多かったボストン時代に比べ、今はかなりの街中に住んでいるので近所を走る気はしないし、何といってもこの時期は寒すぎる。こんな極寒のなかを走って肺のに氷点下の冷気をいれたら、逆に健康を害するのではないかとも思えるほどだ。

そんな事情もあって、一発奮起して昨日トリビューンのスポーツクラブに加入した。かなり立派な設備がトリビューンのビルのなかにあるので、わざわざ車で出かける必要もないし、自宅に帰る前に一汗ながせる。一ヶ月30ドルを給料から天引きされる仕組みで、めっぽう安いというわけでもないが、街中のクラブに行くよりは割安だ。

第一日目の昨夜、トレッドミル(ランニングマシーン)の上で、30分間、3マイル(4.8キロ)を走った。途中で少し膝の痛みを感じたのだが、無視して走り続けたのが悪かったようだ。

家に帰る頃には膝の痛みがひどくなって、階段もまともに上がれない程になってしまった。

友人がいうには、しばらく運動をせずに膝の周りの筋肉が落ちていたところに、急激な運動をしたから負担がかかったのだろう、とのこと。一晩たった今朝もその状態があまり良くならず、普段は4階にある写真部まで階段をつかっていくところを、やむなくエレベーターに乗るはめになってしまった。

2、3日したら痛みもとれるとは思うが、健康のために始めたことが裏目に出てしまい、何とも情けない。

と同時に、もう自分が思っている程若くないのかなあ。。。などと柄にもないことまで考えてしまった。





出張キャンセル

2005-12-21 08:34:59 | 報道写真考・たわ言
「今回のルイジアナ行きは、No Go(キャンセル)だ」

出発前夜、いきなり写真部のボスから電話がかかって来た。
経営不振のため、来年度まですべての出張取材が延期になった、という。

先週海上石油プラットフォームを訪ねたときに、このプロジェクトのための取材に応じてくれる技術者がみつかったので、彼が家に帰る日に合わせて僕もまたルイジアナに戻る予定だった。

ルイジアナの南岸からヘリコプターでおよそ1時間程の沖合にあるこのプラットフォームで働く従業員達は、2週間続けて職場で過ごし、2週間家に帰って休む、という「2週間交代シフト」で働いている。僕らが取材することになっていたこの技術者は、水曜日(今日)がシフトチェンジの日で、この先2週間を家族とともに過ごすことになっていた。僕は家に帰る彼に同行して、妻や子供達と過ごすひとときを撮影する予定だったのだ。

以前このブログでも書いたように、他の多くの新聞社の例に漏れずトリビューンも経営不振に陥っており、リストラさえもおこなわれるほど事態は悪化していた。出張取材に関しても規制がでているのは知っていたのだが、すでに半分以上取材の済んでいるこの石油プロジェクトにまで影響がでてくるとは思っていなかったので、この知らせは意外だった。

まあキャンセルといっても、新しく予算が組まれる来年度(一月)以降まで待て、ということらしいからまた来月行くチャンスはあるだろう。ベネズエラへも行かなくてはならないし、こんな形でこのプロジェクトを中断する訳にはいかないのだ。

それでも、一抹の不安は残る。。。大企業は怖い、のだ。

いちカメラマンの僕ごときには、この財政問題がどれだけ深刻なものなのか正確にはわからない。しかし、会社のトップが必要と判断すれば、僕ら末端のカメラマンやレポータの事情などおかまいなく決定は下されるだろう。この石油プロジェクトがぶつ切りで中断されることも全くない、とはいえないのだ。

新聞社とはいえ、それが利潤第一主義の「企業」というものなのだから。

そんなわけで、少なくとも1月なかばくらいまではこの極寒のシカゴで過ごさなくてはならなくなった。とほほ。。。

スランプ?

2005-12-19 21:04:38 | 報道写真考・たわ言
最近ろくな写真を撮っていないなあ、とふと思った。

2ヶ月程前からレポーターと一緒に手がけている石油プロジェクトについても、これだというような手応えのあるものが撮れていない。駆け足で各地を移動してきたので、じっくり腰を落ち着けて撮ることができないせいもあるのだが、それ以外にも問題がありそうだ。

自分が必死になって撮っていない。。。のだ。

このプロジェクトはもともとレポーターのポールのアイディアで、彼が主導して取材を進めている。それで僕の思うように物事を運ぶことができないという部分もあるし、時間的な制約など、取材環境によるところも確かに大きい。しかし、そういうことを何処かで言い訳にしている自分がいるのも分かる。

このプロジェクトに、100パーセント自分をのめり込ませることができていないのだ。

確かに石油問題は重要な課題だし、取材も興味深いものではある。しかし、ポールはそれぞれの土地で暮らすごく普通の家庭の生活を通して石油問題を語る手法をとっているので、撮影もそれほどの変哲もない一般家庭の普通の暮らしを追っていくことになる。おまけにひとつの家族を取材できる時間は2日とか3日といった短期間にすぎない。被写体がとりたててエキサイティングなものという訳でもないし、感情移入するには時間も短すぎる。

米軍のイラク侵攻や、リベリアの内戦のときのように、生死に関わるような極限に状態にいるわけでもないから、精神的に張りつめてもいない。この石油プロジェクトを始めてからずっと、充実感とはほど遠い、生温い感覚が拭いきれない。正直なところ今、どうすれば自分がこの取材に没頭できるのか分からない状態なのだ。

このままではまずいな、と感じ始めてきた。

これから年始にかけてシカゴでの撮影がいくつか残っているし、1月半ばにはベネズエラに行くことになるだろう。このプロジェクトを終えたときに後悔しないような、納得いく写真を撮っていくためには、自分の気持ちのどこかを切り替えなくてはならないのだ。

こういうのもスランプというのだろうか?

とにかく自分が満足できる写真が撮りたい。それだけだ。それができなければ、読者の心も動かせないのだから。





慌ただしい師走

2005-12-13 23:20:46 | 報道写真考・たわ言
シカゴにもどってからまた忙しくなってきた。

石油プロジェクトのためにシカゴで撮らなくてはならないものも沢山あるし、水曜日からはルイジアナにある石油プラットフォームの取材のために数日間また出張だ。

毎年年末は写真コンテストのための準備で写真の整理に時間をとられるし、まさに「師走」の字の如く、今月は駆け足で物事をこなしていかなくてはならない。(この例え、正しいのかどうかちょっと疑問?)

時差ぼけのほうは少しずつ回復しているのか、夜はだいぶ起きていられるようになったが、朝はまだ5時には目が覚める。まあやることが多いので一日が長くなっていいのだけれど。。。

今日はまず郵便局からスタートして、そのあと歯医者、そして午後はずっとプロジェクトのための撮影で、夜はレポーターとのミーティング。

以前このブログで「何もしない時間」のことを書いたことがあるが、ここにいるともうそんな時間は夢でしかないなあ、と、ふとあのドバイでのひとときが懐かしくなった。


時差ぼけ

2005-12-11 12:15:57 | 報道写真考・たわ言
まだ時差ぼけが抜けなくてしんどい。

あさ4時半には目が覚めてしまって、そのあともう眠れなくなる。夜は夜で、9時過ぎにはまぶたが鉛のように重たくなる。。。いっそのこと、このままこの老人のような早寝早起きの生活にしてしまおうなどかなどと思ったりもするが、この時間はさすがに極端すぎるよなあ。

時差ぼけが直るのに、時差1時間につき1日かかる、と聞いたことがあるが、それが本当だとすれば時差8時間の土地から戻ってきた僕の場合、体内時計が元に戻るまで8日かかることになる。

このブログを書いている今も、まだ午後9時過ぎだというのにもう頭がふらふらしてきた。

今晩また雪が降り出してきた。。。。明日から仕事に戻る。

トリビューンのリストラ

2005-12-02 18:58:49 | 報道写真考・たわ言
ドバイはどうもいけない。

街が悪いという訳ではない。ここにくると気が緩んでしまって、どうにもだらけたような生活になってしまうのだ。
アフガニスタンやイラクの取材を終え、超近代的でインフラが整い、爆弾テロや誘拐の心配のない(少なくとも今は)ドバイに戻ってくると、緊張の糸はいとも簡単にプツリと切れてしまう。

そんな訳で、とりたてて書くようなこともしていない僕は、ここ数日間ブログの更新も怠ってしまった。

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今朝メールをチェックすると、トリビューンの編集主幹から、ニュース・ルームの社員達にあてた告知が届いていた。

「ニュース・ルーム」というのは日本でいう「編集室」よりももっと広義で、そこで働く人間は、エディターはもとより記者、フォトグラファー、それからウェブサイトやビデオ関係のマルチメディア部も含まれる。

このニュース・ルームから年末までに28人を解雇しなくてはならない、という知らせであった。

テレビのケープルや衛生番組の多様化に加え、インターネットによるニュースの配信などが原因で、ここ数年新聞の購読率は低迷、その結果による広告収入の減少で、新聞社は痛手を負っている。

ニューヨーク・タイムスをはじめ、アメリカの大手新聞社は程度の差こそあれみな経営不振に陥っているし、僕の古巣であるボストンのヘラルド紙やグローブ紙でも最近ばっさりとリストラが行われたことは耳にしていた。だからこういう知らせは覚悟していたし、ああ、やっぱりな。。。という程度の感じだった。

新聞社とはいえ、結局は資本主義社会のなかの組織である。利益をあげなくては成り立たないし、だからリストラもやむを得ない。

ただ、トリビューンの経費削減対策の内容には疑問を感じてしまった。

告知には、マルチ・メディア部は人員据え置きでこれ以上の増員なし、また今後、特集記事にかける人員とページを減らす、とあるが、この2点に関して僕はどうしても同意することができないのだ。

情報源をインターネットに頼る人々が急増する中、マルチメディアはこれからさらに重要な部署になっていくはずだ。人手不足で現在まともなウェブサイトをつくれないトリビューンだからこそ、ここに有能な人材を登用して魅力あるホームページをつくり、幅広い読者を獲得すべきだと思う。ニューヨークやカリフォルニアなど他州ではなかなかシカゴ・トリビューンを買うことができなくても、インターネットなら世界中の人々がアクセスできるのだから。

また、特集記事削減についても、これは新聞の持つ武器をみすみす捨ててしまうことになると思う。ニュースの速報性では、日に一度しか発刊されない新聞はテレビやネットに太刀打ちできない。だからこそ新聞は時間をかけて深く取材する特集記事で独自のカラーをだし、読者を魅了することが必要なのではないか?速報ではなく、内容重視のジャーナリズムを続けることで、読者の支持をつかむべきなのだ。

と、今日はいち平社員カメラマンの立場で思いを綴ってみたが、やや固い話になってしまったようだ。

ちなみに写真部からは2人リストラされるということだ。。。



ワシントンDC到着

2005-10-24 12:09:38 | 報道写真考・たわ言
午後9時、珍しく定刻通りに飛行機はDCに着陸。

週末とあって、飛行機は満席、というよりオーバーブッキングされていたようで、次の飛行機に移ってくれる乗客をボランティアで募っているほどだった。ボストン時代の友人で、現在DCで日本のラジオ局の仕事をしている仲野君と軽い食事をしたあとホテルに戻る。DCはみなやたらホテルの値段が高くて、そこそこのところを探すのに苦労したが、なかなかいいところが見つかった。Carlyle Hotelというブティックホテルで、ここからならアンゴラ大使館まで歩いていける。

さて、明日の朝は9時の開館にあわせて大使館に行く予定だ。ビザがおりれば午後6時の便でアフリカに向けて出発できるが、果たしてどうなることか。。。。

一人の人間の死から

2005-10-18 23:21:24 | 報道写真考・たわ言
仙台の友人からメールが届いた。

「悲しいお知らせです」とタイトルにあったそのメールは、一人の人間の死を伝えるものだった。

森塚威次郎というその男性は、活動家で、医学博士でもあったという。
そして昨年、仙台市で僕の写真展を企画、実現してくれた実行委員のメンバーでもあり、その最年長者であった。

彼の存在は、皮肉なことに彼の死を伝えるメールで初めって知った。僕は彼と一面識もなかったのだ。

彼と親しかった、実行委員のリーダーが彼女のブログで森塚氏のことを回想している。

「森塚さんは、
温かい方でした。
厳しい方でした。
気配りの方でした。
優しい方でした。
そして何より、
人の痛みに寄り添い、
傷が癒えるのをじっと一緒に待ってくれる方でした」

こういう人間と、僕の写真を通して接点を持ったにも関わらず、面識をもてなかったのが悔やまれる。

昨年は、ボランティアの方々の熱意と尽力によって、仙台を皮切りに全国6都市で写真展をひらいてもらうことができた。しかし、実際に力を貸していただいた人達に僕はほとんど会うことができなかった。取材がたてこんでいて、日本への帰国がままならなかったとはいえ、みなさんには失礼なことをしたと思う。

一度も会ったこともない人々の手によって、僕の写真は伝えられ、そのメッセージは伝えられていく。
僕の知らないそういう人達の存在が、僕の写真を支えている。。。
一人の人間の死をきっかけに、そんなことをあらためて考えさせられた。

森塚氏のご冥福をお祈りします。

カラオケ

2005-10-17 13:47:20 | 報道写真考・たわ言
最近カラオケに行くことが多くなった。

ボストンに住んでいた15年間の間にはカラオケにいったことなどせいぜい1回か2回。さかのぼって日本での学生時代だってほとんどいった記憶がない。だいたいカラオケボックスなるものが流行りだしたのは、僕が日本をでて、アメリカで生活するようになってからだ。

それが昨年シカゴに引っ越してきてから、いきなり行く回数が増えた。

それはズバリ、「歌い友達」ができたからに他ならないが、さらにシカゴには、韓国系(日本の歌もしっかりある)のものも含めて、カラオケ屋が多いのだ。

出張取材がなくシカゴにいるときは、月に一度くらいの割合で友人たちと一杯やりながら歌いにいくことが今ではすっかり楽しみになってしまった。

トリビューンに移ってから、イラクやアフガニスタン、アフリカの国々など、年のうち半分くらいは海外取材にでているような生活になったが、無意識のうちにやはりどこかにストレスが溜まってきて、そんなものを歌と一緒にはきだしているのだろうか?

歌い友達のひとりが、そのまた知人の言葉として食事の席でこんなことを言っていた。

「日本人にとっての『歌を楽しむ』という文化をつくりあげたのはカラオケだ」

その知人がいうには、歴史的にも一般の日本人にとって「人前で歌う」という行為は、義務とか強制でやらされることが多かったが、カラオケの浸透によって普通の人々が歌う楽しみに開眼した、ということらしい。

確かに僕の小学、中学生時代を思い出しても、なにかの罰ゲームで歌わされたり、音楽の時間に強制的にクラスのみんなの前で歌わされたり、新入部員挨拶で歌わされたりと、自分の意思に反して義務的に歌わされた記憶のほうが多い。

このカラオケ論、極端なような気もするが、それでも一理あるなあ、と思わずにはいられない意見ではある。まあ僕にしてみれば、歌をはじめとして音楽というのは、その字の示す通り、音を楽しむことができればいいと思っているので、そのための能書きは必要ないのだけれど。。。

そういうわけで、もっと楽しめる機会を増やそうと、ここ最近はトリビューンのカメラマン達や他の部署の友人達もまるめこんで、カラオケ友達の輪を広げている。みなカラオケボックスの存在など知らなかった連中ばかりなので、仲間うちで気楽に歌える環境が大受けだ。しかし彼らはアメリカ人なので歌うのも勿論英語。僕も英語の曲のレパートリーを少し増やしてみるかな、などと密かに企んでいる。


子供達からのメッセージ

2005-10-16 14:18:15 | 報道写真考・たわ言
横浜から郵便が届いた。

昨年末におこなわれた僕の写真展での来訪者の感想メモを、写真展を企画、実現してくれたボランティアの人々がまとめて送ってくれたのだ。学校の授業の一環として来てくれた子供達もいたようで、パッケージのなかには彼らからの感想文も多く含まれていた。
写真展は、拙書「ぼくの見た戦争_2003年イラク」(ポプラ社)の出版後におこなわれたもので、イラクを始め、リベリアやハイチなどの紛争地からの写真を集めたものだった。

本や写真展の感想はとても励みになる。それが子供達からのものであれば、なおさらだ。

小学生でもいろいろ考えているんだなあ、とこちらが感心させられてしまうものも少なくない。

物資の溢れかえっている日本でほとんど不自由なく暮らしている日本の子供達にとって、(いや、大部分の大人にしても同じだろうが)戦争なんて映画やテレビのなかでの出来事にすぎないだろう。普段それを想像する機会さえほとんどないのではないだろうか。そんな子供たちが僕の写真をみて、戦争や平和、死についてあらためて考えてくれる。

「これからは『戦争』の二文字の言葉をなくすために将来気をつけて生きていきたいです」
「『死ね』とかいっている人がいたら、絶対に注意しなきゃいけないなと思いました」
「。。。退屈と思った何もない日々が本当は幸せなんだって気づきました。今までわがままだった僕は、自分の命も人の命も大切にして生きていきたいと思います」
「現実から目をそらしてはいけない。。。未来をつくるのは私たちなんだよ!!。。。どの写真もそれを思わせるものでした」
「。。。これからも写真をとりつづけてください、ファイト」

拙いながらも丁寧に書かれた小学生達のこんな文字を読んでいるとき、僕は自分の仕事に意義を見いだすことができる。





憲法は「理想」

2005-10-15 09:03:34 | 報道写真考・たわ言
昨夜は久しぶりに酔った。

仕事帰りにカメラマン仲間とトリビューンの隣にあるバーによったのだが、カウンターで飲んだのでつい杯がすすんでしまったようだ。アパートに帰るなり、ズボンを脱いで靴下とってそのままばったり、ということになってしまった。

そんなわけで今朝はあまりすっきりしない起き抜けだったのだが、腰を下ろしたトイレで読んでいた永六輔氏の「無名人語録」のなかの、こんな言葉が目にとまった。

「憲法というのは規則じゃありません。理想なんです、理想。夢といってもいい、それを改正するなんておかしいでしょ」

誰がいったのかは知らないが、まさになんと的を得た言葉か!と感心してしまった。

平和憲法九条に関してこれまで議論されてきていることは「改正」どころか「改悪」だろうと思うが、憲法が国家の「理想」と考えるならば、それに対する僕らの姿勢がどうあるべきかがはっきり見えてくるではないか。「改正」や「変更」などとぐたぐたいう前に、僕らが戦後からずっと持ち続けてきたこの「理想」を実現するためにいまの日本は努力しているだろうか?

まだ酒の少し残っていたあたまが、少しクリアになったような気がした。

手段は選ばず

2005-10-13 10:14:12 | 報道写真考・たわ言
早朝6時からシカゴ郊外にあるガソリンスタンドで撮影。これも石油問題プロジェクトの一環だ。そんなわけで起きたのが朝4時半、早起きはそれほど苦にならないが、さすがにここまで早いとしんどい。現場に向かう途中、車のラジオからこんなニュースが流れてきた。

「L.A.エンジェルス(大リーグ野球のチーム)の選手達が宿泊しているシカゴのホテルで、選手達の部屋のドアをたたき回って安眠を妨げた男2人が逮捕された」

ここで状況説明をしておこう。
昨夜(11日)、ここシカゴではアメリカン・リーグの優勝決定シリーズがシカゴ・ホワイトソックスとエンジェルスのあいだで幕をあけた。レッドソックスを3連勝で下し、早々に勝ち進んでいたホワイト・ソックスに比べ、ヤンキースとがっぷり四つに組んで5戦をフルに戦ったエンジェルスが決勝進出をきめたのは10日の夜。シリーズのスケジュール上、その翌日にホワイトソックスとの第1戦を戦うという強行軍になった。
ヤンキースとの試合後、エンジェルスの選手達がシカゴのホテルにチェックインしたのは昨日の明け方近く。その晩には第一戦開始ということで、ほとんど休む間もないという状況だった。そのエンジェルスの選手達にとって球場入りするまでの貴重な睡眠時間を妨害してやろうと、ホワイトソックスファンの2人組がホテルに侵入しドアをたたきまくった、ということだった。

このニュースをきいて僕はたまげたが、と同時に、ありえるよな~と妙に納得もしてしまったのだ。

自分の利益のためには手段を選ばない。。。
「正々堂々」なんて言葉はあんまり存在しないんだから、この国には。

96年のアトランタ・オリンピックのときを思い出す。体操競技で、アメリカの選手がでる度に「USA! USA!」の大唱和。同時に競技していた他国の選手達が、全然集中できない、と不平を漏らしていた。あれはテレビで観ていてもひどいものだった。

スポーツだけではない。イラク戦争だって、アフガニスタンの爆撃だって、さかのぼってベトナム戦争だって、すべて自国の利益ばかりで、相手のことなんて眼中にない。相手も同じ人間だっていう感覚が欠如しているんじゃないか、と思う。

捕まったホワイトソックスファンの2人は取り調べでこういったそうだ。

「俺たちはホワイトソックスのために、自分たちの役割を果たしたんだ」

なんかイラクにで任務に就いている多くの米兵の言葉に似ているよなあ。。。。

不平等な命の重さ

2005-10-11 09:10:19 | 報道写真考・たわ言
土曜日におこったカシミールでの地震の犠牲者が2万から3万になりそうだといわれている。

石油問題のプロジェクトが始まっていなかったら、取材にいかせてもらえるようすぐに名乗りをあげていたところだが、実際に取材が会社から認めらていたかどうかははなはだ疑問だ。現実にいまのところトリビューンからフォトグラファーは誰もこの地震取材に派遣されていない。年末も近くなり、財政状況が厳しくなっているために、ニュースに限らずスポーツや文芸などすべての部署で出張取材が切り詰められているのも大きな理由だが、それだけではない。

この地震が、ロンドンやパリ、東京などの先進国首都でおこり、そこでこれだけの犠牲者がでていたとしたらどうだったろう?

間違いなく1人ないし2人のフォトグラファーがシカゴから現地に送られていたと思う。財政云々いっている場合ではない。まさしくそれは大事件だからだ。

ほぼ毎年のように何処かの「後進国」とよばれる国で大天災により何千、万という人間が命を落としている。しかしそれは同規模の災害が「先進国」でおこった場合ほどの大ニュースにはならない。

ここに見えてくるのは、「後進国」の人間の命の重さは「先進国」のそれより軽視されている、ということだ。少なくともアメリカのメディアをみればそれは明らかだし、ここトリビューンのニュース・ルームでも、地震のことよりも、プレイオフを順調に勝ち進んでいるホワイト・ソックスのほうが話題になっているようだ。

しかし、こんなことを書いている自分も、悲しいかな例外ではないのだ。もし、この大地震がパリや東京などでおこっていたら、石油問題のプロジェクトを後回しにしても取材に行かせてくれと上司に頼み込んでいただろうと思う。第一報を聞いて「また地震か。。。」程度にしか考えなかった僕は、取材に行くため上司を説得する努力さえもせずに、自分のプロジェクトを優先させたのだから。。。